「コロナ禍の中で、どうやって生きていけばいいのか?を改めて考える」④「どうしようもない不安や恐怖への対応」(前編)。
このシリーズで3回にわたり、「コロナはただの風邪という人たち」「見えにくい政策」 「自粛警察は、どこにいるのか?」を(リンクあり)考えてきました。それぞれ、今の時点で、社会の片隅で感染を恐れて息を潜めるように生きている人間からは、どう見えるかを書いたので、それを読んでいただければ、それぞれのことを改めて少しでも考える材料になるかと思います。
よろしかったら、もちろん、これまでの3回分を読んでいただきたいのですが、その前提がなくても、今回は、やはり感染拡大になってしまった現在、もしくは、さらに感染者が増大し、重症者が増えると思われる近い未来を、どうやって生きていけばいいのか?を改めて考えていきたいと思います。
持病を持つ家族がいるので、感染に怯えながら暮らしている平凡で貧乏な人間ですが、ここまでの不安の中で思ったことや考えたことをまとめ、わかったことを振り返り、これからのことに生かしていきたいと思い、自分の能力の未熟さを自覚しつつも、自分のためにも、この時点で書いておきたいと思いました。
さらには、申し訳ないのですが「④どうしようもない不安や恐怖への対応」は長くなってしまったので、前編と中編と後編と、3回に分けてお伝えします。記事の投稿が遅れたり、いろいろと当初の予定と変わってしまい、すみません。
不安の種類
今、コロナ禍による不安や恐怖は、いくつもあると思います。
個人的な見極めという限界はあるとしても、大きくは5つになるのではないでしょうか。これだけ揃えば、どうしようもない不安や恐怖で、多少眠れない日々が続いたとしてもおかしくありません。
① 新型コロナウイルス感染の可能性への直接的な不安と恐怖。
② 感染者になってしまった場合の予測もつかない変化への不安。そして、差別と排除への恐怖。
③ 医療崩壊への不安と恐怖。
④ 今の生活が続くことでの経済的なダメージ。場合によっては失職の不安と恐怖。
⑤ コロナ禍が、いつまで続くか分からない不安。
こうしたことに関しての、個人的な対応については、できることは、本当に限られていると思います。とはいっても、何もしないのは、不安と恐怖が育ち、強い無力感に囚われて、より精神的にはマイナスになると考えられるので、今、確実にやったほうがいいことを続けるか、まだやられていない場合には、少しでも始めたほうがいいのだと思います。
この前編では、①と②に関して、何をすればいいのかを、考えていきたいと思います。
「感染の可能性の直接的な不安と恐怖」への対応
これは、個人としては、地味で基本的なことを繰り返すことで、感染のリスクを少しでも減らすことしかできないと思います。その行為をすることによって、何もしないよりも、気持ちの不安は減る可能性があります。
「新しい生活様式」ということに関して、抵抗感がある人もいらっしゃるかと思いますが、それでも、この中での「感染防止の3つの基本」は、今後も守っていくことで、少しでも感染リスクは減ると思います。私自身は、医学的には素人ですが、ここのサイトにあるから、というよりは感染病対策としての常識ではないでしょうか。(以下は、このサイトの項目から引用しています)。そして、大変だとは思いますが、気をつけ続ける、ということだと思います。
感染防止の3つの基本
① 身体的距離の確保(できるだけ2m。最低でも1m)
② マスクの着用(人との距離が取れない場合)
③ 手洗い(家に帰ったら、まず手や顔を洗う。手洗いは30秒程度かけて、水と石けんで丁寧に洗う)。
「 感染の可能性の直接的な不安と恐怖」への行動変容
こうした感染防止の基本を徹底するとすれば、今までいわれてきたように不要不急の外出をなるべく減らす、ということになると思います。難しいと思いますが、在宅ワークが可能であれば、それを選択し、人との接触を可能な限り、少なくする、ということでしょう。
なるべく外出しない
人がたくさんいる場所にはなるべく行かない。
可能な限り在宅ワークを選択する。
それは、緊急事態宣言の時と近い行動にするということでもあり、たとえば、コロナ感染をほぼ完全に抑え込んだと言われる台湾では、こうした方法↓をとっていたようです。
感染者が多い地域から帰国したすべての人に対して、一旦公共交通機関との接触を禁じ、確実な隔離を実施し、なるべく潜在的な感染者と市民との接触を減らすのだ。それが、ウイルスの海外からの侵入を防ぐ最前線である。
今の日本でいえば、海外ではないのですが、特に東京や大阪は、「感染者が多い地域」です。感染経路として、公共交通機関の可能性があるから、そこでの移動を禁じ、そのことで台湾は感染を抑え込んだのだから、そうした方法に学ぶ価値はあると思います。
どうしても外出しなくては仕事にならない場合は、可能な限り、あきらめずに「感染防止の基本」を、大変ですが、とり続けるしかないと思います。
「GoToキャンペーン」をどう考えるか
そうなると、人の移動を促す「GoToキャンペーン」のような「政策」をどう考えればいいのでしょうか。もちろん様々な見方もできるでしょうし、政府の側は、この「正当性」を訴え続けると思います。
ただ、ここ↑でも考えたのですが、コロナ禍が始まってからの「政策」は、決して「国民の命優先」のように思えません。
政府が勧めている「新しい生活様式」の中に、「感染が流行している地域からの移動、感染が流行している地域への移動は控える」という言葉があるのですから、「GoToキャンペーン」が何ヶ月も行われているのは、すでに矛盾している部分があります。
もちろん、それでも旅行に行きたいという方はいらっしゃると思うのですが、それは、感染のリスクを高める行動でもあるということを、示すデータも出てきています。
感染予防の基本は、まだワクチンもなければ、根本的な治療法もない以上、どうしても感染者を減らすことになります。それは、人と人との接触を減らすしかないのですが、感染予防を優先させるのであれば、「政策」を信じ過ぎないことも大事になってくるのかと思います。
「陰謀論」への対応
コロナ禍の時間は長くなっていき、これからもさらに続きそうなので、不安のために「コロナはただの風邪」といったある種の「陰謀論」にはまらないことも、実は重要かと思います。ただ、健康で若くて、周囲に持病を持ったり、高齢者がいない場合は、「コロナはただの風邪」という主張が、本当に思えてしまうという、やっかいな側面もあります。
それでも、分かりやすい「陰謀論」には副作用もあるので、余計なお世話かもしれませんが、気をつけた方がいいと思っています。もちろん「陰謀論」は自らは「陰謀論」ではなく、「正しいこと」として伝わってくるので、より注意が必要だと思います。
「感染者になってしまった場合の予測もつかない変化への不安」への準備
基本的に、ここまで述べた「感染予防」の対応を徹底したとしても、感染の可能性はゼロではありません。本当に誰とも接触することなく、それでも生活が可能な人以外は、感染する可能性はあります。
そう考えると、私も怖くなります。喘息という持病を持つ家族がいると、その怖さが増すのを感じています。ですので、ご自身が高齢者だったり、持病を持っている方だと、感染への恐怖の質が違うのだと思います。
まずは、感染の疑いがある時に、どこへ連絡したらいいのか。そういったことを、現時点で、改めて把握することも、ほんの少しでも不安を減らすかと思います。
これは、東京都の例に過ぎませんが、お住まいの地域の行政の「問い合わせ先」を把握するのも、少しは気休めになるかもしれません。さらには、現在は、基本的には「かかりつけ医」に相談してください、という原則になっています。
もし、「かかりつけ医」がいらっしゃる場合は、何か別の機会にでも、前もって相談するのもいいと思います。(もちろん、その医師の方の都合に合わせて、ということになると思いますが)。
全国各地の問い合わせ先も参考になるかと思います。このサイト↑のタイトルは、あいかわらず「帰国者・接触者センター」になっていて、不安になる部分もあるかもしれませんが、現在は、都道府県によって、すでに違う名称になっているところも少なくないようです。
「感染者になってしまった場合の予測もつかない変化」を知ること。
今でも、毎日のように「新しい感染者数」の報道は続いています。12月になってからは、感染者数の増大につれて、重症患者の数まで伝えられるようになりました。さらに、死亡者数もそこに加わり、その数字の意味は、実は、よく分からないまま、ただ不安がふくらむだけになっているように感じています。
コロナウイルスに感染した場合に、どうなるのか。感染症の専門家ではありませんが、医療の専門家として、情報を発信している山中伸弥氏のサイトが、比較的、分かりやすいように思いました。感染したら、どのようになるのか。何も分からない時に、もっとも不安がふくらむはずなので、感染後の様子を知るのは怖いのですが、その場合にどうなるのかが、少しでも明確になることで、不安が減る可能性はあります。
ワクチンがなく、誰もが感染する可能性あります。中国らの報告では、感染すると、20%程度の方は重症化します。息切れ、激しい咳、高熱が続きます。有効な薬はないため、患者さんは耐えるしかありません。5%くらいの方では、1~2週間で呼吸困難となり、人工呼吸器が唯一の治療法となります。人工呼吸器が不足すると助かる命が助かりません。80歳以上では15%くらいの致死率です。20代、30代であっても、感染者500人に一人くらいが死亡しています。日本のデーターでも感染者の4%くらいは、集中治療室での治療や人工呼吸器が必要となり、その半分は亡くなっています。発症してから数週間で急激に亡くなるのが特徴です。
こうしたことを知ると、まずは感染しない、感染を広げないということが、何より大事であることを再認識でき、面倒くさくなりがちな「感染予防の行動」への改めての動機付けになる可能性もあります。
「差別と排除の恐怖」を自分が作り出さないために
感染への不安から、周囲の人のことが必要以上に気になり「自粛警察」になってしまう可能性は誰にでもありますが、そうした行為は、感染者に対して、「ここから出ていけ」という「排除」になったり、医療関係者への家族への「差別」につながったりしがちです。
どれだけ気をつけても、誰にでも感染の可能性があります。それだけに怖いのですが、まず、病気に感染することは、ただ不運である、ということを再確認したほうがいいのかもしれない、と思います。
感染を恐れるあまり、「感染は悪」と思い込んでしまうと、知らないうちに自分が「自粛警察」になってしまい、「差別や排除」をしてしまう側に容易に立つことさえありえます。そんな時でも、その本人は、不安にかられた正義感からの行為なので、自分自身が「自粛警察」になっていることに、気がつきにくいはずです。
不安がふくらみ過ぎる前に、感染症に関することを、もう一度確認することで、自分が「差別や排除」をするような「自粛警察」にならない、といったことも大事だと思います。
「差別や排除」をされた場合
新型コロナウイルスに感染してしまった時に、もしそのことによって「差別や排除」をされても、自分を責めないことが大事だと思います。
今後は、一見「差別や排除」という露骨な顔を見せずに、さらに巧妙な形に変わっていくようになると思いますが、感染した時や感染の疑いがある時に、自責の念を呼び起こすような言動をしてくる人たちには、どれだけ優しそうな外見でも、なるべく近づいてはいけないと思います。
そして、さらに、「差別や偏見」と思われることに見舞われた場合には、それが「差別や偏見」かどうかを検討したり、考えたりする前に、自分が傷ついたり、ふさぎこむようなことを言われたら、誰かに相談したほうがいいのではないでしょうか。
近くに、そうした方がいらっしゃらない場合には、公的な相談窓口もあります。
これ↑は東京都世田谷区のサイトですが、こうした場所に「差別と排除」に反対する意志があるということだけで、少し気持ちが整う可能性もありますし、ここには、世田谷区以外の他の地域の方のための相談窓口も、あげられているので、そういう場所を知っておくことも大事ではないか、と思います。
「前編」は以上です。
③ 医療崩壊への不安と恐怖。
④ 今の生活が続くことでの経済的なダメージ。場合によっては失職の不安と恐怖。
⑤ コロナ禍が、いつまで続くか分からない不安。
あと3つの項目がありますが、「中編」では、③のことを考えていきたいと思います。
※こちら↓も、参考になるかもしれません。
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