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ラジオの記憶⑧「TBSラジオ 澤田大樹記者」について考えること。

 これも「記憶」とありながら、現在進行形のことでもあるので、少し申し訳ない気持ちがあります。その上、TBSラジオを聞いている方なら、私よりも、もっとご存知の人もいらっしゃると思いますが、今回は、「TBSラジオ 澤田大樹記者」のことです。

 オリンピック関連の話題で、ツイッターでも注目をされていた人なので、その点では、トレンドの人だと思います。

 そういえば、他の番組でも、この「澤田記者」の名前は聞いたことがあったのだけど、はっきりと意識したのは、この「アシタノカレッジ」で、武田砂鉄氏がパーソナリティの金曜日、番組終盤に登場してきて、その週のニュースを武田氏と語っている時だった。

 個人的には、国会のことに対して、そんなに興味が持てなかったし、特にコロナ禍になってからは、テレビを見ると不安を増すだけになってしまうことが多かったから、そんなに映像も見ていなかった。

 時々見かける政治家、といわれる人たちは、どんな時でも、なんだか堂々としているだけで、微妙な嫌悪感だけが残る、ということを、見るたびに、繰り返すことになっていた。

 それは、政治家を語る人たちに対しても、似たような印象だった。

違う言葉

 そんな時に、夜中のラジオ「アシタノカレッジ」で政治家の話をしていた澤田記者の選ぶ言葉が、これまでとは違って聞こえた。

 政治を語る政治記者と言われる人も、政治評論家という肩書きの人たちも、政治家と同じような言葉を使っているから、どうしても同じ色合いのように見えてしまって、聞く気持ちまで遠ざかることが多かったのに、その澤田記者の言葉は、日常に近い響きだった。

 ある政治家は、とても長く話すけれど、内容がほとんどない。だから、あんまり面白くない、といった言い方をしていて、その政治家の顔はテレビでもよく見かけて、少し難しげな言葉を使うような、ちょっと嫌味な人に見えていたのだけど、それに「話の長さとつまらなさ」という印象が加わり、以前よりも身近に、立体的な感じに見えるようになった。(それで好感度が増したわけではなかったが)。

 政治の世界の話を、これだけ距離感を近く感じさせてくれる話は、新鮮だった

 その後も、澤田記者は、「ジェーン・スー 生活は踊る」「セッション」など、他の番組でも声を聞くようになった。実は、以前から聞いていたのかもしれないけれど、やたらと耳に入るようになったのは、自分が「澤田記者」という固有名詞に、注意深くなったせいだと思った。

 だけど、どうして他の政治記者とは違って、政治家を、いってみれば「日常」に近い場所へ持って来られるような言葉を話せるのかが、不思議だった。最初は、その理由もよく分かっていなかったし、ただ「澤田記者」個人の独特な能力の高さだと思っていた。

所属していないこと

 ラジオで何回か「澤田記者」の話を聞いていて、少しずつ分かったのは、いわゆる記者クラブには属していないこと。さらには、記者が少ないので、政治部や社会部、というのではなく、一人で様々な取材をしている、ということだった。

 それによって、少し分かった気がしたのは、記者クラブ、に属していないことで、どちらといえば、「リスナーに近い感覚」を維持しているのではないか。ということと、政治部や社会部、という専門に特化し過ぎていないことで、「総合的」な視野を獲得しているのではないか、ということだった。

 もちろん、「澤田記者」本人の能力の高さ、といったこともあるのは前提としても、おそらくはマスメディアの世界では失礼ながら、「傍流」にいる記者が、優れた視点を提供してくれているところに、これからの「記者」はどうすればいいのか、といった大事なヒントも提供してくれているように思う。

 そうした「傍流」でいることで、取材対象との適度な距離を保てていること。さらに主に一人で取材をしていることで「総合的」な視点がある上に、現場での動きの方法などが、本人にかなり任せられている「自由な判断力」があることで、森喜朗・東京五輪組織委員長への質問にもつながっていると思う。(このあたりは、リスナーとしての聞き方なので、実際は違うかもしれません)

 「所属しないこと」や「総合的な視点」については、社会部でありながら(というよりも社会部だからこそ)、沈黙をせずに「記者」として、質問を続けた東京新聞の望月衣塑子記者のあり方とも関係してくるのかもしれない。

記者としての優れた感覚

 さらには、「女性蔑視発言」(それだけでなく、全ての人へ“わきまえること”を強制するような思想にも思えて怖かったが)の森喜朗氏への質問がインターネット上で評価されている、といったことを踏まえての、「アシタノカレッジ」(2021年2月5日放送)での、パーソナリティの武田砂鉄氏との話を聞いて、この「澤田記者」の感覚は、あまり評価されるのは本人は不本意かもしれないけれど、やっぱりすごいのではないか、と思った。

(詳細は、このYouTube↑の1時間28分あたりからを聞いてくださるとわかると思います)


 この「記者会見」は、ツイッターでも話題になって、澤田よくやったといった言われ方をしているが、決して、自分だけの手柄ではない他の記者も質問し、その上での流れだったから、といった内容を澤田記者は語った上で、この「森発言」に対して、日本社会全体のこと、と指摘し、リスナーとして、それは確かにその通りで重要なことだけど、他の場所でも聞いたと思ったら、さらに発言は自分自身へと向いた。

 この最初の森氏の、いわゆる「女性蔑視発言」に対しては、新聞各社も反応がそれほど速くなかったらしい。それは、この発言が、それほど問題だと思わなかったからだろうし(メディアも男性社会のせいか)、そのことについて澤田記者も、自分自身を振り返り、この発言にすぐに反応できるほど、敏感ではなかった、と話した。

 だから、こうした個別で具体的な反省も含めた上での、その後の森氏への質問へもつながったことも振り返っていた。

 この発言を聞いて、個別な出来事から全体への課題と見極めた上に、それをさらに個別性に戻した上で、自分自身の反省にもつなげ、そしてただ首をうなだれるのではなく、具体的に生かすことができるのは、相当の能力でもあるのだと、改めて思い、勝手ながら、リスナーとしては、これからにも、やはり期待をしてしまった。

 ただ、とても勝手な見方でもあるのだけど、「澤田記者」は、もっと評価され、さらにベテランになっても、政界やマスメディアの「中の人」になりきらず、「普通の人」の視点を失わないでいてほしい、などと思ってしまった。

 専門家でありながら、「中の人」になりきらない、「普通の人の視点」問題は、「澤田記者」だけでなく、広くこれからのマスメディア全体や、プロフェッショナルのあり方に関わってきそうなので、機会があれば、(もしできたら)また別の機会に考えたいと思います。

 どちらにしても、考えすぎかもしれませんが、「澤田記者」が、変な策略で陥れられることがないように、TBSの組織でも、守ってもらえることを、リスナーとしては希望もしています。

「東スポWeb」について

 さらに、これはラジオとは関係ないのですが、この「森喜朗氏の発言」に対する、柔道家で、オリンピアンで、筑波大教授でもある山口香氏の言葉(もうすでに、多くの方はご存知かと思いますが)が、森氏の発想の背景にまで踏み込むような思考もあり、素晴らしいと思いました。

 同時に、この記事が載っている「東スポWeb」↓で、山口氏に取材をしてまとめた人物がいるはずなので、発言をした山口氏だけではなく、優秀な「記者」がいると感じました。




(他にも、いろいろなことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。


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