「流行が繰り返す」のは、「人の気持ちが変わらない」せいかもしれない。
駅の構内の、旅行を促すポスターで、いつまでも若い有名女優が「大人の旅行」として勧めているプランはとても落ち着いていて、自分も対象年齢に入ってきているはずなのに、とても遠い出来事に思えていた。
旅行の意味合い
大人になったり、成熟したり、豊かになったりの差が、歳を重ねるほどに広がっていくような気がして、自分には、とても旅行に行く余裕がないと感じると、変な話だけど、勝手に微妙に悲しくもなって、さらに縁遠い感覚になる。
今でも、ありがたいことに、年賀状のやりとりが続いている昔からの友人たちは、独身時代は、それぞれ違うタイプの賀状が届き、ある時期からは、子供の写真が中心になる人も多かった。
さらに時間がたつと、写真のないハガキになり、そのあとは、ご夫婦だけの写真になる人は、だいたいどこかの旅行で撮影された映像のようだった。「大人の旅行」は、こういう人たちのためにあるのかもしれない、と思ったし、どこか豊かさの象徴のようにも思えていた。
それでも、自分でも、少ないけれど、旅行に行く事もあった。
一番最近は、2年前に、妻と二人で、あいちトリエンナーレに行き、台風に見舞われたが、そこからさらに西に行き、身内のささやかな結婚式に出た時だった。それは、行ってよかった、楽しい思い出になっている。
バブルの記憶
そして、旅行というものが、2020年からは、コロナ禍で、また違う意味合いになった。個人的には、感染拡大予防を考えたら、極力、避けるものと感じていた。
そして、自主的に外出自粛をしていたから、電車に乗る機会をなるべく減らそうとしていたのだけど、駅のポスターで「大人の旅行」のポスターが様変わりしていたのを見かけたことがあった。
そこには「わたせせいぞう」がいた。
本当は「いた」という表現はおかしくて、「わたせせいぞう」というイラストレーターが描いた、旅行の風景がポスターになっていて、それが旅行を促すものとして、駅の構内に貼られていただけだった。
「大人の休日倶楽部」 https://jre-ot9.jp/campaign/watase.html
代表作となった『ハートカクテル』は、1983~89年に、漫画誌「週刊モーニング」(講談社)で連載され、後にテレビアニメ化される等、当時の若者から絶大な支持を得た。
このサイトには、「わたせせいぞう」は、そんな風に紹介されている。自分は支持をしていた側ではなかったのだけど、駅の構内でポスターを見た時に、「わたせせいぞう」という作者の名前と、代表作の「ハートカクテル」というタイトルも、すぐに思い出せた。
それだけ、今回のポスターの画風も、昔と全く変わっていないように見えた。
この人の作品は、私にとっても、おそらくは、その当時、若かった人間にとっても、「バブルの記憶」とともにあったと思うし、それだけ人気があって、やたらと目にしていたから、支持をしていない自分のような人間でも、すぐに作者名も代表作も思い出せた。
そして、その「バブルの記憶」に関して、ポジティブだったか、ネガティブだったかで、勝手な話だとは思うけれど、「わたせせいぞう」への印象もかなり違ってくると思う。
マンガの記憶
大学生の頃は、近くの喫茶店でダラダラしている時間が多く、そこにあった漫画週刊誌などは、自動的によく読んでいた。「ビッグコミック」「ビッグコミックオリジナル」「ビッグコミックススピリッツ」という小学館の雑誌。さらには「モーニング」や、週刊でないけど「アフタヌーン」。そして、「ヤングジャンプ」や、「ヤングマガジン」も「アクション」も読んだ記憶がある。
「AKIRA」も「松本大洋の作品」も、「ボーダー」も「さるまん」も読んで、さらには「ゴルゴ13」も「あぶさん」もやっぱり読んでしまい、おそらくは今でも、いろいろな影響を受けていると思う。
その中で、「モーニング」を読み進めると、開きやすいはずの真ん中あたりに、全面カラーの短い漫画があって、それが「ハートカクテル」だった。
ファンの方もいらっしゃるだろうし、今でも、こうした作品が好きな方は思った以上に多いのかもしれないけれど、私にとっては、甘過ぎて、おしゃれすぎて(本当におしゃれな人はそう思わないのかもしれませんが)、これがフィクションなのは分かっていても、バブル期に地味な若い時代を過ごしている人間にとっては、あまりにも自分と関係がなく、ひがみや嫉妬という、黒い感情を刺激するものだった。
さらには、マスコミの片隅で仕事をするようになってから、この「わたせせいぞう」の人気が想像以上にすごいと思ったのは、イラストの仕事をしている人が、全く違う画風なのに「わたせせいぞう風に描けないか」みたいなことを言われた、という話を聞いた事もあって、それで、「わたせせいぞう」氏には全く落ち度もないのに、勝手に嫌な印象を煮詰めていた。
だけど、そのうちに「わたせせいぞう」を目にする事もなくなっていった。それは、自分がファンでなく、追いかけていなかったからだと思う。
それでも、年月が過ぎ、時代は変わり、自分もたぶん変化もしていて、もし、遭遇したとしても、昔とは違う感じ方をするのではないか、と思っていた。
変わらない感覚
「わたせせいぞう」に久しぶりに遭遇したのは、コロナ禍で不安で、外出も控えている2020年の頃だった。「50歳からの旅行」を促す、このキャンペーンは、2020年8月から、2021年1月までらしく、個人的には、外出も控えてきて、とても旅行はできない、と思っていた頃だった。
そのポスターを見て、一瞬で、わきおこってきた感情は、若い時と同じような黒い感情だった。相変わらず、縁が遠くて、関係ないままで、どこかうらやましさや、ひがみなどというネガティブなものだった。
そして、「わたせせいぞう」がまだ健在であることへの驚きや、画風の変わらなさも見て、さらにモヤモヤした。
自分のこととはいえ、こんなに人の感覚や感情は変わらないんだ、と思った。同時に、自分が少しは変化したり成長したり、と思っていたのが勘違いかもしれない、とがっかりもした。
「流行が繰り返す」理由
ただ、このキャンペーンのターゲットは「50歳以上」であっても、「わたせせいぞう」や「ハートカクテル」に対して、ポジティブな感情を持っていた、かつての「若者」のはずだから、このポスターを見た時の反応は、おそらくは、こういったもののはずだ(すでに、ひがみが入った想像ですみませんが)。
あ、これ、わたせせいぞうだよね。
なつかしい。
若い時、よく見てて、少し好きだった。
あの頃も楽しかった。
これ、50歳以上へのキャンペーンで、それにGoToもあるし、こんな時期だけど、たまには、旅行へ行きたい。
まだ、自分たちも、若いかもしれないし。
このキャンペーンのポスターに描かれている女性は、50歳以上にはとても思えない若いビジュアルをしているのは、いい意味で希望を感じさせる、という意味でも、とても正しいことのように思う。
それに、ターゲットになっている世代が、若い時に好きだったことは、年月がたっても変わらない、という見極めがあって、ビジュアルに「わたせせいぞう」が選ばれたはずだけど、こういう私のような「アンチわたせせいぞう」のような人間が、若い時と同じような反応をするということは、その戦略も当たっているのだと思う。
1度でも広く知れ渡ったことは、人の気持ちの中で、想像以上に「存在の強さ」を、長く持ち続けるのかもしれない。
「流行は繰り返す」と言われていて、それには、いろいろな理由があるだろうし、繰り返すといっても、その以前と「全く同じ」ということはあり得ないとしても、若い時のポジティブな(ネガティブな)記憶や印象は、年齢を重ねてもそんなに変わらないということが、「流行は繰り返す」理由のひとつではないだろうか。
駅の構内で「わたせせいぞう」を何十年ぶりかで見かけて、そんなことが少し分かったように思った。
(なお、今も「わたせせいぞう」氏は、現役で活動しているので、懐かしく思われたり、興味がある方には、比較的、最近の作品もあります↓)。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしく思います)。