「実は、もう死にそうになっていて、今は夢を見ているだけなのかもしれない」と思ったことがあった。
夜中に、階段を降りて、玄関の引き戸にヤモリのような小さい生き物が見えて、しばらくじっとしている影を見た時、ふと思った。
今の自分は、すでに死んでいるのか、それとも死にそうになって意識を失っていて、今の生活は、こうだったらいいな、という願望が夢になっているだけなのかもしれない、と思った瞬間があった。
胡蝶の夢
自分が蝶になっている夢を見た人間が、目が覚めてから、今の自分は蝶が見ている夢かもしれない、という故事は「胡蝶の夢」と言われていて、これを聞いた時に、何を言っているのだろう、という気持ちと、微妙にひっかかる思いにもなった。
そんなことはあるわけない、と言うのも簡単だけど、今の自分が本当に生きているのかどうかも、体の痛みなどがある場合は別として、証明するのも難しい。
それに、自分自身が、心の底から、生きていることに、納得できない場合もあると知ったのは、若い時というよりは、中年と言われるくらいまで、生きてきたあとだった。それは、気づくのが遅かっただけかもしれない。
とても個人的な感覚に過ぎないのかもしれないけれど、死というものが、自分がいつかは死ぬことが、リアルに思えるようになってきた方が、かえって、今、本当に生きているのだろうか。と、ふと思う機会が増えるような気がする。
だから「胡蝶の夢」という故事が生まれた背景には、今では想像もつかないくらいに、死が身近だった、ということも関係あるのかもしれない。
心臓の発作
とても個人的な経験に過ぎないのだけど、介護を始め、家族が入院している病院のスタッフに、心身ともに追い込まれ、心房細動の発作を起こしたことがあった。
胸の中に知らない生き物が暴れているような感覚を覚えた時は、確実に死ぬことを意識しつつも、変に冷静だった。目の前の、介護を必要とする家族を見て、自分が死ぬのならば、この家族をこのままにしておいていいのだろうか、という怖いことも穏やかに考えていた。
幸いにも、数時間、左側の視界が欠けた感覚はあったが、後遺症もなかった。しばらく、よくめまいを起こしていた。
それからいろいろとあり、介護者にこそ、個別で心理的なサポートが必要だと強く思うようになり、自分自身が、その支援に関わろうと考え、介護を続けながら、心理学の勉強をし、学校に入学した。その頃は、7年ほど飲み続けた心臓の薬を飲まなくてもよくなり、「心臓」を意識することは、とても少なくなっていた。
心房細動の発作を起こしてから、10年が経っていた。
学生生活
学校は、想像以上に楽しかった。
資格を取るために必要だから、通い始めただけだったのに、そこには若い人から、自分と同世代まで、幅広い年代で、さまざまなバックボーンを持っている人たちがいた。
そして、介護は続いていたから、体には負担がかかっていたはずだけど、同期にも周囲の人たちにも恵まれて、とても楽しい毎日だった。
学ぶことは体質を変えることだと気づき、辛さもあったが、それ以上に、生まれて初めて、学ぶこと自体も楽しかった。
仕事をやめて、ただ介護を続けていた10年の年月のあとだから、実社会がキラキラして見えるだけなのかもしれない、とも疑っていたが、3年間、ずっと気持ちは充実していた。
夢かもしれない
そんな頃、夜中の2時過ぎに、介護のために、階段を降り、玄関の引き戸で、小さい生き物の影を見た。少し動いて、しばらく止まる。
それを見た時、今は夢かもしれない、と変に生々しく感じる。
10年くらい前、介護途中で心臓発作を起こした時、本当は死んでいたんじゃないか。もしくは、その時に死にそうになっていて、意識を失い、今は、夢を見ているだけではないか。
あの時、ただ介護をしていて、自分がこのまま死ぬと思って、迷惑になるから、介護が必要な家族も一緒に連れて行こうなどと考えていたけれど、その現実の辛さや悲しさから逃れるために、こうなったらいいな、という願望を、今、夢として見ているだけではないだろうか。
そういう夢を見てからであれば、安らかに死ねる。そんな体と心の防衛反応みたいなものが、今起こっているだけではないだろうか。
そんなことを思った。
その頃の毎日は、介護は続いていて、夜中の4時過ぎに眠る生活は続いていたものの、学校へ通うことが、とても楽しくて、その一方で、こんなことがあるわけがない、とも感じていたのかもしれない。
だから、今が夢かもしれない、という思いが、起こったのかもしれない。そこからしばらく、ふとした瞬間に、今は夢かもしれない、と思うことが続いた。
どうしてそんなことを思うのか。それを、少し冷静に考えると、自分のことだけど、ちょっと悲しくなった。
夢から覚める
3年間の学生生活が終わる前から、就職活動をしていた。
介護は続いていたから、午後からの数時間の仕事しかできず、そうした仕事ばかりに応募していたが、それでも、全く決まらなかった。
2010年代の就職活動は、それが「常識」であることを少しは知っているつもりだったけれど、履歴書が、ただ送り返されることが50回を超えたあたりで、やはりしんどくなった。
その頃、今が夢なのではないか、とは、ほとんど思わなくなった。
自分でも、調子がいいというか、げんきんなものだと感じた。
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