20代後半で出来るようになった、いくつかの事。
逆上がりが出来るようになったのは、幼稚園か、小学校に入るくらいのことだった。
どうして、鉄棒に興味を持ったのか、それとも、何かの課題だったのかは覚えていないのだけど、その頃、住んでいた社宅------といっても、鉄筋コンクリート4階建の建物が小高い山にいくつも並んでいるような場所だったから、その間に小さい公園のような場所があり、そこにも鉄棒があった。
昼間というか、日が暮れるまでは、その鉄棒で練習していた、と思う。
だけど、まだ幼い上に、小柄な子どもだったから、使える鉄棒は並んでいる中で一番低いもので、だから、ずっと使って独占するわけにはいかないし、それほど長い時間集中が続くわけもなかった。
あまりしゃべらないおとなしい子どもだったらしいけれど、何かにこだわると、しばらく続ける癖があったのか、それとも両親としても早く逆上がりをマスターさせたい思いがあったのか。
そのあたりは、すでに両親ともに亡くなっているし、はっきりと確認したこともなかったのだけど、社宅の部屋に戻ってからも、さらに逆上がりの練習をしたことを覚えている。
ほうき
両親が家の中にある一番大きいほうきを支えてくれて、それを鉄棒に見立てて、子どもだった私は、それを使って、逆上がりの練習をした。
そのころは、ただ夢中で行なっていたから、気がつきにくかったけれど、いくら小柄だといっても20キロ近くは体重があったはずだから、特に母親にとっては大変なことだったと思うけれど、そのほうきでしばらく練習をした。
かなりグラグラしていた印象もあって、それについて文句も言えなかったのは、やっぱり両親が一生懸命やってもらっていて、申し訳ないような思いもあったせいかもしれない。
そのあとも、何日か練習したと思うのだけど、逆上がりができたのは、小さい公園の鉄棒で、だった。
体が軽く動いて、空が見えた。
自転車
同じような話になってしまうけれど、自転車に乗れたのも、似た時期のはずだった。だけど、それぞれの記憶は独立していて、同じときに同時に練習していたわけではないようだ。
体が小さいだけではなくて、無口でほとんど笑わず、不器用で、運動神経もよくなかったから、今考えると、親にとっては心配な子どもだったのだろう。
だから、もしかしたら、露骨に強制すると表立っては反抗しないけれど、ぐっと黙って固まったようになって、ただ動かなくなるような子どもだったような気がするから、自転車に乗ることを、自分が望んだわけでもない場合、どうやって、その練習を始めたのかは、よく憶えていない。
だけど、気がついたら、小さい自転車に乗って、それまで補助輪をつけていたのを外して、ペダルをこいでいた。
もちろん、そのままでは転ぶから、そのとき、後ろで父親が支えてくれていたのは覚えている。
何度も何度も練習をして、自分ならまだしも、父親はよく付き合ってくれたと、あとになって思う。
ただ、この小学校に入るか入らないかの時期に、逆上がりと、自転車を練習した記憶があるのは、あまりにも消極的で何もできない子どもが少し心配になって、少しでも何かを身につけさせた方がいいのではないか。
もしかしたら、親としたら心配になって、その練習をするように誘導してくれ、その上で、その練習に付き合ってくれたのではないか。
そんなことを長い年月が経ってから、思うようになった。
自分に子どもがいないから、その気持ちへの確信は弱いとしても、やっぱりありがたいような気持ちもある。
自転車に乗れたときは、やっぱり体が軽かった。
自分がこいでいるのに、何かに支えられているようで、でも自由な気持ちがした。
逆上がりや、自転車など、できたときと、できる前で、あれだけ感覚が変わることは、それほどない。
そして、記憶が薄くなってきたとはいえ、そのときのうれしさや、解放感のようなものも覚えている。
口笛
何かに一人で取り組んで、できるようになる。
その能力が低いのではないか、と20歳をすぎてから思うようになったのは、他の人たちが普通にできることを、自分ができないと気づいたせいだ。そういうことに気づくのが遅いところも、何か欠けているのだろうと思った。
口笛が吹けなかった。
それで、特に困ることもなかったけれど、そういえば、どうやって身につけるのだろう、と思いながら、いろいろな習い事があるけれど、口笛教室、というのは聞いたことがないし、誰かに教えてもらったこともなかったし、何しろ、何かが出来るようになった、という記憶が少なかった。
なんのきっかけか分からないのだけど、20代の後半になって、急に口笛を吹けるようになりたいと思った。
誰に聞くでもなく、唇をつぼめて、息を吐き出し、音を出す。
周りに人がいると恥ずかしかったので、一人でいるときや、雑踏のような場所を歩いているときなど、限られたときに、練習を続けた。
そんなことを1ヶ月くらい続けて、急に音が出るようになった。
そのクオリティは、口笛というには、メロディーのバリエーションも少なく、なんとか口笛っぽい音にはなった程度だったけれど、うれしかった。
それから自由自在に吹けるまでの練習をする気力もなかったけれど、全く音が出なかったから、それだけで、ちょっと満足だった。
やればできる。とても小さいことだけど、そんな気持ちにはなれた。
指パッチンとけん玉
同じように、20代後半になってから、指パッチンとけん玉ができるようになった。
とはいっても、本当の意味でできるようになった、というレベルではなく、これまで、指パッチンは、音が全くならなかったのが、一応、音ができるようになったくらいだし、けん玉は、上の棒の部分に、かなりの確率で球がささるようになった程度だった。
だけど、それだけで、できなかったことから、できるようになった、という気持ちは味わえたし、その瞬間に、何かから自由になって気持ちが軽くなる感覚は、共通していた。
指パッチンは、それができる人たちは、テレビなどで見ていたから、その姿を見て、なんとか真似することで、少しできるようになった。
けん玉は、最初はヒモをひねって回転させ、球の穴の位置が安定してから、それで棒にさすことから始めて、そのあとに、ヒモをひねらなくてもできるようになった。
どちらも、主に一人でいるときに、地道に繰り返して、そして、できるようになったからといっても、特に誰かに披露したわけでもなかった。
ただできるようになった、という自己満足だけだったけれど、年齢を重ねても、なんとかなる、といった漠然としたほのかな自信は得たような気がする。
それもあったから、中年になって、再び学校に通って、それまで知らなかった分野を学ぶこともできたのかもしれない。
こじつけかもしれないけれど、何かができるようになるのは、それだけ影響が大きいように思う。
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