2021年(コロナ2年)1月1日
2020年の最後の日に、東京都内の新規感染者は1300人を超えた、という速報のテロップが、そんなこととは全く関係ないバラエティの画面の上部に流れた。
全国では、4500人を越えて、過去最高、という人数だった。
12月下旬まで、旅行を促進するような政策を積極的にすすめていたのだから、ある意味、当然の結果だろうし、まだ増大する可能性があると思っていたのだけど、実際に、そういう数字(本当は数だけで考えてはいけないと思うのだけど)を目にすると、ただコタツでテレビを見ているだけなのに、体の中が微妙に緊張し、気持ちも重く、暗くなった。
夜には、それでも「紅白」を少し見た。「笑ってはいけない」の方を多く見たかもしれない。
星野源は、中途半端な希望を歌っていないように見えた。
1月1日
今年も家にいる時間が長くなりそうだし、と思って、室内での服装も明るくしたいと思い、インターネットで買い物をして、だけど、1月1日販売開始ということなのに、妻が好きなキャラクターの室内シューズが、午前中で、もう売り切れていた。
なんだかついてない、といったようなことを思って、そして、他の欲しいものを買うことにした。在宅の時間の充実のために、と思ったけれど、普段はこうして購入することが少ないから、1点1点は高くないのに、何点も購入することで、馬鹿みたいだけどその金額に、微妙に緊張する。
身内に不幸があって、年末に喪中ハガキを出したのだけど、やはり出すのを忘れてしまった方々がいて、ポストの中に、午前11時過ぎには、何通かの年賀状が届く。うっかりしていて、申し訳ないけれど、ありがたい気持ちになる。
天気がいい。
庭に古い机が置いてあるのだけど、そこにあまり見かけない白と黒の鳥が止まって、サッカーのミッドフィルダーのように、不規則に左右だけでなく、上下に首を動かし続けているのを、妻と二人でしばらく見ていた。もう柿の実はきれいになくなっているのに、なにやっているのだろう、という話をしていたら、もう1羽やってきて、そして、その一羽はすぐに飛び去り、最初の一羽も、ほどなくしていなくなった。
ラジオのニュース
午後12時のラジオのニュースが聞こえてくる。
夜通しの初詣を自粛した明治神宮には、午前6時の開門と同時に大勢の人が訪れ、コロナ禍の早い収束を祈願していました、ということを知った。どうして本当に閉めないのだろう。祈願していることと、逆の行動にならないだろうか、と思う。
まだ感染者は増えていくように思う。
新しく年が明けたからといっても、今年は喪中ということもあって、正月らしいことは、ほぼ何もしていない。
年が変わったとしても、不安が一掃されるわけでもなく、感染者数が増大し続けていったこの1ヶ月でも、何か有効な対策が公的にされたというニュースを見たことも聞いた記憶もないし、そのうちに、詳しくは分からないが、新型コロナウイルス自体が、また変化したという情報だけは、それほど関心がなくても、わりと早く知ることになり、それは、ただ不安につながるだけだった。
金星の1年間
1年は早い、という言葉は、いつもの年末のように、あちこちで聞いた。
この時間の基準は、誰かが決めた、というよりは、地球が太陽の周りを1周する時間だから、ある意味では納得のいくような事でもあるのだけど、短い、早い、といった言葉は、特に大人からよく聞く。
それなら、「1年」を、今の4倍の時間、「4年」にしたとしても、多分、「慣れると早いですね」という言葉とともに、「1年たつと、老けますね」と言われるようになるかもしれないし、今の学校のシステムだと、1年の間に卒業する、ということになるかもしれない。
金星では、1日は1年より長い、ということを知ると、時間の流れは一緒のはずでも、1年という単位の印象は全く違うと思う。
これから1年の始まりだと、そんな、思っても、しょうがないことを考える。
それは、ここまでの1年が、かなり非日常的だったせいもあるかもしれない。
コロナ2年
夕方午後4時のラジオのニュース。
コロナ禍で迎える初めてのお正月。
重症者の入院施設はいっぱいなので、さらに感染者を増やさないようにしてください、というような話。
その一方で、過度の自粛によって、体を動かす機会が減ったり、お酒を飲む量が増えたり、といったことによって、コロナを怖がるあまりに、生活習慣病のリスクが高まってしまう、ということも語られている。
どうすればいいのだろう。
いつか終わる、早く終息してほしい、といったことが、昨年も数限りなく語られているのだけど、コロナ禍という言葉よりは、すでにコロナ時代になってしまって、いつ終わるか分からないくらいの構えでいた方が、たぶん、気持ちがやられにくいような気もする。それは、この半年以上、ずっと思い続けてきたことだった。
個人的には、あと数年は、程度は変わったとしても、もしかしたら、さらに長い年数、これが日常になってしまうことを想像しているから、すでに完全に時代は変わり、その上で、どうやって生きていけばいいのか、を考えた方がいい。だから、2021年は、「コロナ2年」と思った方がいいのかもしれない、と新年になって、改めて自分に言い聞かせるように思った。
河川敷
そんな重いことばかりを考えていたら、妻が帰ってきた。
近くの河川敷にカメラを持って、暖かい格好をして出かけていた。
人がいっぱいいたよ。出かけるところがないから、だと思う。
それを避けて、いろいろと撮れた。富士山も見えたよ。
明るい声で、そんなことを教えてくれた。
駅前には、新しくできた唐揚げ屋が2軒開いていて、あとは、スーパーはやっていなくて、それから、〇〇に、最近、会っていなかったから、チャイム鳴らして、顔見てきたよ。
明るい顔で話してくれたので、自分にもお正月が少しやってきたように思えた。ありがたかった。
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