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「ポッドキャスト」には、すでに「古典」が存在しているし、それを大事にした方がいいと思う理由。

 今は、速いのではなく、すべてのことが「加速」するらしい。

 ということは、どんどん速くなり続けるから、そこにずっとついていかないと、その速さ自体に慣れるのも難しそうだ。逆に、一度、ついていけなくなったら、再び、追いつくことは不可能だから、歳を重ねるほど、取り残される怖さは増していく。

 現在は、コロナ禍も、戦争も終わりが見えないので、いったん停止している部分もあるはずだけど、それでも、すべての動きが止まっているわけでもないのだろう。

すべてが「加速」する

 「いいアイデアがあるぞ」から「10億ドル企業を経営している」という状態にいたるまで、かつては20年はかかった。それが今日では、たった1年の冒険でそこまで到達できるケースもある。


 「GAFA」という言葉があって、今はフェイスブックが社名を変えたから、すでに使われなくなっているのかもしれないけれど、今や、世界を代表する企業なのは変わりがない、と思う。

 しかも、アップル以外は、20世紀の常識では、まだ若い企業と言っていいのだろうけど、コロナ禍でも、それこそ「加速」するように成長しているようだ。


 個人的な感覚で言えば、2007年にアップル社からアイフォンが発売されて、それから15年が経ったが、この製品がない国はない。という印象があるほど、地球上の隅々まで行き渡ったと思えるのだけど、こんなに早く、スマートフォンという新しい製品が世界中に広がるとは思わなかった。

 ただ、この「加速」するように行き渡ったことに関し、それほどの驚きもなく、とても自然に「人類」は受け止めていたと思うのだけど、個人的には、あの頃から、決定的に、世界の「加速化」が本格化した印象がある。

少年ジャンプ

 今後、紙の雑誌として残るのは難しいと思われるけれど、「少年ジャンプ」という漫画雑誌は、確実に一つの時代を築いたし、あれだけ売れ続けた雑誌も珍しいはずだ。

 それを支えたのが、アンケートシステムの徹底であることは有名な話であり、実態はどこまで徹底していたのかは、よく分からないけれど、それでも、読者の人気が高い作品を掲載し、人気がなくなった作品は打ち切る、というシステムを続けていたのは、間違いないように思う。

 それを継続すれば、原理上は、最も人気が高く、つまりは、ずっと「少年漫画誌」の中で、トップを走り続けられるはずだったのに、そうはならなかった。

 そのことについては、様々な専門家も分析しているのだけど、そうしたことも含めての印象は、「才能ある作家は数が限られている」ことが原因だったように思う。

 数少ない才能のある漫画家を、毎週、アンケートにさらし、その結果を絶対視するようであれば、作家が消耗するのは当然で、そこから離脱する人も出てきやすくなる。もしも、脱落者が出ても、次の才能のある作家が「無尽蔵」に存在するとすれば、このシステムは、ほぼ永久に成果を出し続けるはずだけど、そうはならなかった。

 大げさに言えば、規則正しく一定の「才能」を生み続けることは、おそらくは、これからの「人類」もできない、と思う。

 単純にビートルズとモンキーズを比較してはダメなのだろうけど、時代や世代や場所によって、偏るように「才能」が生まれたりすることもある一方で、環境を整えても、そこで「才能」が育つとも限らない。

 偶然という要素を抜きには、「才能」が育たないのが「人類」であり、それはとても美点だとも思うのだけど、これから「加速」する世界では、そのことは、人類の限界として問題視される可能性もある。

ポッドキャストの「復活」

 今は、iPodが壊れてしまい、食器洗いの時に聞く習慣は減って、だから、トータルでの聴く時間も減ってしまったのだけど、それでも、ポッドキャストは毎日のように聞いている。

 個人的な印象では、TBSラジオが一斉にポッドキャストから引き上げた時には、このまま衰退しそうな気配だったのけど、それから数年が経って、再び、戻ってきたあたりから、復活の空気感が強くなり、今は「加速化」しそうな勢いさえある。

「古典化」するための時間

 今は、紙媒体という「レトロニウム」な名称でも呼ばれるようになっている「本」だけれど、その製造して流通する過程は、アマゾンなどの通販を除けば、とても遅いけれど、でも、そのことによって、本という存在が、誰かの目にとまる時間は、まだ長めだと思う。

 例えば、本屋の本棚で、しばらく置かれている本(今は、本当に少なくなったとしても)は、まだゼロではないだろうし、少しほこりを被った文庫本も、少し前までは、本屋の片隅で見かけたことも少なくない。

 そんなある種の「時間の余裕」があって初めて、どこかで誰かの目にとまったりする可能性が増えることで、初めて「古典化」するのだと思う。だから、現代の本屋でも、売れ行きを考えるほど、売れる本を仕入れて、売れない本を店頭から外す、という繰り返しのテンポは「加速」しているだろうから、それが進むほど、「古典」になる作品は減っていくようにも思う。


 そうであれば、次々と作品が誕生して、バズれば大勢の目に留まるけれど、そうでなければ、インターネット上という、気に留められにくい場所に、あっという間に埋もれてしまうような環境にあるポッドキャストでは、自然に任せた場合、おそらく「古典」は生まれないのではないだろうか。

「ポッドキャスト」の「加速化」

 「ポッドキャスト」は、復活したように見える今の方が、以前よりも、番組はとてもたくさん生まれ続けているはずだ。プラットフォームも増えている。

 だけど、その中で、実際に耳にすることができるのは、どれだけの数になるか分からないけれど、おそらくは、耳にしない番組が、そのまま去ってしまうスピードは、おそらくは「加速」しているように思う。

 しかも、ポッドキャストは、何しろ、今も番組を続けていないと、耳にする可能性が圧倒的に減って、以前の「本」のように、どこかの本屋の片隅に存在し続ける、といったことすら不可能になっている。

 すると、もし、優れた番組があっても、それほど長く続かなかったり、今は、継続していない場合は、本当に視界から消えやすくなる。

 そうなると、ポッドキャストが「古典」になるのは、やはり、とても難しいのだろうし、元々、そういうメディアではない、という言い方もできるのかもしれない。

 だけど、人類の限界を考え、才能のある人間も、傑作と言われるような作品も数に限りがあるとすれば、新しいメディアでも、優れた作品を「古典化」しないと、せっかくの人類の遺産が、ただ流れ去ってしまう可能性が高くなる。

ポッドキャストの「古典」

 ここまで、こんなことを長く書いてきたのは、ポッドキャストを聴いて、面白いと思える番組があったからだ。

「TVOD」というのは、「コメカとパンスとのテキストユニット」で、書籍も出している。

 この二人に、ライターの高橋洋詞と、地下アイドルの経験もあるライター・姫乃たまが加わり、4人が色々なテーマについて話し合う、というシンプルな構成。仲が良さそうなので、時々、うちわ受けすぎる時間もあるものの、4人の年齢やジェンダーなどのバランスもいいせいか、思った以上に、普遍的で新鮮な内容になっている(と思う)。

 「エモについて」「主体性について」「共感について」「甘えるということについて」「オリジナリティについて」「世代について」「父性について」「暮らしについて」「街について」「仕事について」。

 選ぶテーマも、重要で一般性も普遍性も高く、これまでも、これからも語られ続けそうなことで、それだけに聞く人を選ばないし、今後も重要性を保つように感じている。

 番組は全部で14回。配信を開始したのが、2019年9月で、最新回でも、2021年1月。すでに1年以上、更新もされていないから、このまま、ポッドキャストの遺跡のようにインターネット上に残され、人の目には触れにくいままになってしまうのかもしれない。

 だけど、個人的には、テーマも基本的で重要なことを取り上げているので、何かを考えたい人には、とても必要なポッドキャストだと思ったし、多くの人に聞いてほしいと感じている。

 そうであれば、(この番組にかぎらず)埋もれそうだけど、重要で面白いポッドキャストの番組は「古典」として取り扱うことで、人のに耳に触れる機会が多くなり、「文化資本」として有効に使われる確率が高くなる。それは、大げさに言えば、生活の質を上げることに、遠く繋がると思う。


(もちろん、個人的には、この「焼け跡ラジオ」は優れた番組だと思うけれど、人によって「古典」と思う番組は違って当然だし、だけど、「古典」として認定するような作業は、「質の評価」を定着させるためにも、いろいろな人によって行われた方がいい、という考えです)。

「古典化」による「人類の文化資本保全」

 それは、ポッドキャストだけでなく、YouTubeやTikTokなども同様(このことについては、私はほぼ知りませんので、すみません)に、膨大な量から選ぶこと自体が困難を極めるかもしれないけれど、その「古典」としてのアーカイブをしっかり作っておくことは始めた方がいい。

 どうしてかといえば、「AIの爆発的な進化」が迫っているように思うからだ。(これは、冒頭にあげた『2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ』に影響されすぎているのかもしれないが)

 コロナ禍が続き、戦争まで起こり、2030年よりも「加速」の時は遅くなるかもしれないが、それでも、今後、様々な技術が「加速」し、特にAIの進化が「加速」した場合は、様々なテキストも、映像も、AIによって創作され、しかも、膨大なデータをもとにしているので、その質は安定しているはずだから、あっという間に世界は、AIの作品に覆われてしまうかもしれない。

 それでも、希望的観測を言えば、偶然も味方につけた場合の、人類の「作品」の突発的な質の高さには、少なくともしばらくは、敵わないのではないか、という予想もできる。

 とするならば、ポッドキャストや、YouTubeやTikTokの作品が、「AI作」で覆い尽くされる前に、人類の優れた作品を、意識的に「古典化」し、残すことを考えないと、その「文化遺産自体」が、無かったことにされてしまうのではないか、という薄い恐怖があるので、今から、なんとかしたい。

 その時代に進む前でも、優れた作品は、できるだけ人の目に触れたり、耳に入ったりした方がいいと思うので、「再生数」という数だけでなく、「古典化」という「質の評価」のようなものを始めた方がいいのでは、というささやかな提案でもあります。

 少しでも、考えてもらえたら、うれしいです。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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