ラジオの記憶⑤「最終回の涙声」
9月から10月にかけては、テレビやラジオでも、番組改編の時期といわれ、今は、出演者も内輪ネタでありながら、そのことを話題にしているから、ただの視聴者であっても、そのことについて気になるようになってきた。
それでも、ラジオのほうが、番組の寿命は長いことが多く、好評であれば、10年も20年も続いて、それこそ、生活の一部になっていくことがある。だから、最終回に出会うチャンスは、テレビよりもラジオのほうが少ないと思う。
少し前の話になってしまったけれど、9月に2本の番組の最終回を聴くことができた。それが、印象に残ったので少し粗いけれど、記録しておきたいと思いました。
TBSラジオ 「ACTION」
この番組は、その前身の番組が「荒川強啓 デイキャッチ」という20年以上続いた名物番組で、聴取率も高いのに終わることになり、それは時事問題を積極的に扱う姿勢が、問題とされたのではないかといった憶測が飛んでいたのは覚えている。
そのあとに始まったのが「ACTION」で、月曜日から金曜日までパーソナリティが日替わりになるスタイルだった。宮藤官九郎、尾崎世界観、DJ松永(クリーピーナッツ)、羽田圭介、武田砂鉄の5人でそれぞれの曜日を担当し、幸坂理加が当初は「アシスタント」として毎日登場するという番組だった。
5人のパーソナリティの中で、おそらくもっともメディアに出るのが少なかったのが金曜日担当の武田砂鉄だった。ただ、ラジオで話すのを聞いていると(いい意味で)「おじさん転がし」の印象が強く、さらには、バービーの芸人に留まらない魅力や力に、おそらく最初に本格的に注目し、ゲストに呼んだりもした。(それがきっかけになったのか明確ではないが、バービーは、土曜日の名物番組「久米宏ラジオなんですけど」のあとの番組のパーソナリティに就任した)。
この「ACTION」は、おそらく、若い世代のリスナーも意識していただろうし、そして、文化面のことを取り上げたかったかもしれないが、それも、1年半で終わることになった。これも、もしかしたら、ラジオ界では不可解なこととして語られるのかもしれない。
「ACTION」 最終回 2020年9月25日
最終回は、9月25日。金曜日。パーソナリティは武田砂鉄だった。
冒頭に武田砂鉄が話す。いつもよりも、少し早口に感じる。
低めの抑揚の少ない声。それでも、正直に感じるから、おそらくは(いい意味で)「おじさん転がし」なのだとも思うが、まず触れたのは、一緒に番組を進めている幸坂理加の結婚の話題だった。もしも、この「ACTION」の5人のパーソナリティを呼んでくれれば、何かしますよ、いった話までする。
幸坂は、この番組が始まる直前の2019年3月に秋田放送を退社し、そして、2019年4月から、この番組のアシスタントになったが、いつのまにか、アシスタントという感じではなくなって、リスナーにとっても、おなじみの存在になっていた。
武田は、この番組が終わると知り、寂しいとか悔しいみたいな気持ちが、ずっと居座るのは久しぶりなので、それだけこの番組を楽しむことができたのだと思う。それは、スタッフや聴いてくれる人や、何より幸坂さんのおかげ、ということをつなげる。
武田は、番組が始まる時に、『幸坂理加の「ACTION」になる』と言っていたのだが、その予言はあたった。最後に自分の結婚を発表し、それぞれのパーソナリティからお祝いの言葉をもらっている。最初は、ハンバーグの横のパセリと言っていたのに、そのパセリの存在感はどんどん増して、今はメインなのではないかと、ハンバーグ業界が動揺してる。と続ける。
幸坂は、基本的に明るい笑い声で、そんなことないです、と返し続ける。
武田は、さらに、幸坂理加について、この人はすごい、と思ったエピソードをいくつか並べる。
土井善晴さんがゲストで、一汁一菜でいいんだ、という話をしたあとに、幸坂さん、今日の夕食は、何を?と聞かれた時、海鮮丼、と答えて、土井さんがうろたえていた、というような話が続く。
そして、武田は、周りはいろいろと考えすぎるような人が多い中、幸坂のような、まっすぐで表玄関で旗を振っているような人と仕事をするのは久しぶりだったと話をし、そのあとに、この1年半のことを語り、この半年はコロナ禍で、特にラジオは必要とされたのかもしれない。その時期にこうしてラジオの仕事をできたことは意味があったのかもしれない、といった話になる。
さらに、最終回と、プロデューサーに言われた時に、最後に幸坂さんが話をする時間を作ってください、とお願いをした、と武田が言ったあとに、「えーパセリなのに」という幸坂の声がかぶって、オープニングが終わった。だいたい10分だった。
最後の10分
午後3時30分から始まった最終回も、午後5時20分くらい。もう最後まであと10分。
武田砂鉄が、いろいろな思いを抱えていると思うので、幸坂さん、どうぞ。と言葉を向ける。幸坂が話し出す。
「最後、こうして時間をいただけているので、久米さんみたいなかっこいい締めをしたいと思っていたけれど、武田砂鉄に、今、思っていることを、しゃべったほうがいいと言われました」。
「聞いてもらって、感謝の気持ちでいっぱいです。
どこの馬の骨か分からないわたしに、優しくしてもらって…」。
ここで、聞いているほうにも、明らかに涙声になっているのが分かる。
「プロなので泣かないつもりだったのに、うー」。
「泣いちゃいましたね。特別な日なので」と武田が応える。
そして、話は、この1年半の振り返りのようになってくる。
「最初、5人のメインパーソナリティーが中心だから、アシスタントの名前は覚えてくれないくらいでいいと思って」。
「10月に亀渕さんがあらわれて」。
ニッポン放送の伝説のパーソナリティ。元ニッポン放送の社長がゲストとして登場した。
「アシスタントというのは、やめたほうがいいよ。と言われて、そこから、自分でも開いていこうと思って。それでも受け入れられてもらえるか、不安で、でも、今は、ある程度は、って勝手に思っています」。
女性アナウンサーをサポート役として、アシスタントとするのは、これからは、古い習慣になりそうだったから、それをいつの間にかパーソナリティと対等の存在に変え始め、それを変える力があったことに、本人が気がついていないパターンだと、聞いていて、思った。
それから、幸坂の、仕事に賭ける話が続き、そのあとに、武田が5人のパーソナリティの誰がやりやすいのか、といった質問には笑って答えなかった。
最後になって、武田は、「1年半で、これだけ肉厚で重厚なことができたから、いい思い出になった」という感想を述べたあと、最後のあいさつになる。
「ここまでのお相手は、…全員の名前ですね。
宮藤官九郎、尾崎世界観、DJ松永、羽田圭介、武田砂鉄でした」。
「幸坂理加でした」。(涙声が強まっている)
1年半ありがとうございました。さようなら。(最後は二人の声だった)。
これまでと、これから
そんなに熱心なリスナーでなかったけれど、この1年半の間に、幸坂がすごく成長しているのが分かったし、バービーという新しいラジオスターも生まれたし、武田砂鉄がラジオに慣れていって、他の場所での活躍も増えた。
さらには、「アシスタント」としてスタートして、実質的には「パートナー」になっていった番組という意味でも、短いけれど、密度が濃く、二人の「パーソナリティ」のコンビネーションも、そのフラットな感じも含めて、気持ちがよかった。
武田は今は、「アシタノカレッジ」の金曜日担当。
幸坂は、日曜深夜の「MUSIX」を担当している。
TOKYO FM 高橋みなみの「これから、何する?」
午後1時からの番組。AKB48所属のアイドル・高橋みなみが「卒業」と同時にラジオのパーソナリティを始めたのが、この番組で、それが4年半前だった。情報としては知っていたのだけど、このタイトル自体が、すぐに次のことを始める前提に思えたし、おそらくは続いても2年、たぶん1年くらいで終わるのではないか、と思っていた。
それが、よく聴くようになったのは、この1年くらいだった。iPodが静かに壊れてしまい(リンクあり)、今のiPodは昔と違ってしまったので購入しないままだし、携帯もスマホも持っていないので(リンクあり)、食事のあと、食器を洗う時に聴くものがなくなって、それでラジオをつけることが多くなった。
その中で、午後1時から、午後3時まで放送している、この番組を聴くようになったのは、高橋みなみの声が、想像以上に素直に届いてくるように思ったのと、ラジオに慣れてきてはいるのだろうけど、変なスレ方もしてないように感じ、そして、それぞれの曜日のパートナーとの会話も自然だったし、おおげさかもしれないが、自分を出すよりも、内容を届けようという(リンクあり)気配を少し感じていたせいかもしれない。
とても長く続くかもしれない、と思っていたら、この秋に終わることを知った。
高橋みなみの「これから、何する?」 「最終回」 2020年9月30日
2020年9月30日。水曜日。パートナーは音楽ジャーナリストの高橋芳朗だった。この人の名前はラジオを聴いていると、耳にすることが多い。つまりは、この世界のベテランなのは間違いない。
最初から泣けません。そんな高橋みなみの言葉で、最終回は始まる。
最初の曲は、この前のAKB傑作選で、この日のために選ばなかっ曲。「ギブミーファイブ」です、と髙橋芳朗が紹介する。
二人の語りの中で、高橋芳朗は、いわゆる業界のベテランで、50歳を超えているから、かなりの年上のはずだが、高橋みなみのことを自然に「高橋さん」と呼び続けていた。
高橋みなみの指摘で、高橋芳朗は、「高橋みなみ」のTシャツを着ていることを聞いているほうは知る。そして、ラジオの現場のスタッフも、全員、そのTシャツを着ていることも、分かる。
涙の気配の最終回
ラジオは、この4年半を振り返る内容が続く。はっきりと泣いて、声が続かない状況にならないが、声の滞りや涙の気配は濃いまま、番組が進んでいく。
第1回目の放送を改めて聞いた高橋芳朗は、その時の高橋みなみを、堂々としている、と評価している一方で、まだスタッフと打ち解けていない、といった話になる。それは、この番組が始まった時には、まだアイドルとしての活動が全部終わっていなかったこと、そして、打ち解けるのも、「卒業」してから徐々にという話を、高橋みなみは、話を「盛る」こともなく、振り返っていた。
いろいろなメールが来て、それを読み、高橋みなみは、グッときて、こらえる、の繰り返し、といったことを話しながらも、番組は進む。
テレビとのコラボレーションがあったので、石橋貴明のコメント。そのあとには、桑田佳祐。高橋みなみと、話をすると気持ちがあがる。それにラジオで声を聞くと幸せをもらえる。一緒に仕事をさせてもらいたい気持ち、という桑田のメッセージが流れていた時は、高橋みなみは号泣していた、らしい。
ベテランの涙
番組の終盤。
高橋芳朗が、話を始める。
「25歳直前で、アイドルからパーソナリティになって、4年半。
真似できないことだし、誇りにしていいと思う」。
完全にシリアスなトーンで本気の声だった。
「また、ラジオパーソナリティで、語りかける時がくる、と思う。
きれいな言葉で、聞いている人に寄り添えるのは、財産なので…」。
そう言いながら、すでに泣きそうな感じになっているのは、聞いていても分かった。
「最後の曲。選択肢。他になかった」。高橋芳朗が続ける。
AKB48「桜の花びらたち」。
その曲が終わった頃には、スタッフは全員入ってきたという。
高橋芳朗は、この番組に関わったのは1年なのに、最後のエンディングで、高橋みなみに指摘されるほど、かなり泣いていて、それは、メッセージを読みながら、涙声になっていることでも、分かる。
最後の高橋みなみの言葉。
「最初の頃はアイドルがパーソナリティをやるなんて。
声のトーンがお昼に合わない、といわれた。
それが、徐々に、ラジオは楽しいと言ってくれる人がでてきた。
だんだん、人が見てくれるようになってきた。
メッセージが支えてくれた。
このあと、ラジオの仕事できるかどうかわかりませんが、このスタッフと一緒にしたい。
最後、ちょっと泣いちゃましたけど、これまで、本当にありがとうございました」。
大勢が拍手している音で、番組は終了した。
これだけ、肯定的な空気で最終回が終わるのは、すごいと思った。
最終回の印象
その次の番組のパーソナリティのハマ・オカモトが、「高橋芳朗さんが、あんなに泣くなんて」と、意外そうに、だけど、尊重する気配で話をしていた。「みなみちゃんは、こらえてましたけど」。
そのハマ・オカモトのコメントも含めて、「これから、何する?」の高橋みなみも、高橋芳朗も、プロでありながらも、正直さを失わない絶妙なバランスを保っていると思った。それが最終回だけに、より鮮明に出ていたように感じた。
その最終回の印象は、「ACTION」にも同様に感じていたから、どちらも記憶に残ったのだと思っている。
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読書感想 『百年と一日』 柴崎友香 「神様の覚書、天使のスケッチ」
「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」② 2020年4月 (有料マガジンです)。
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