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ラジオの記憶⑨「理想の放課後」を支えるライムスター・宇多丸の誠実な知性。

 映画を見に行って、何だかモヤモヤしていて、どうなったら満足というか、見てよかった、と思えるのだろうと考えながら、その頃、聴き始めていたポッドキャストで、すごく納得のいく話しかたに出会った。それは、「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」という番組だった。

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

 松本人志監督「しんぼる」を川崎に一人で見に行って、その夜に映画の話を聞いて、その納得感で、他の話も聞くようになった。

 その番組の司会であり、話し手であり、映画評論をするライムスター宇多丸氏の語りによって、映画への興味が久しぶりに湧いて、そして、宇多丸氏の評価する映画にほとんどハズレがないことに気がついた。

 場合によっては、映画評が、(意識的に)ハイテンションな話芸にしたことによって、聴いている方は、映画の内容はそれほどでもないのだろうけど、もしかしたら、今聞いている「映画評」の方がはるかに面白いのではないか、と思ったりもしたから、これはラッパーだから出来るというよりも、宇多丸氏だから可能なことなのだろう、と思うようになっていた。

「キュレーター」としての力

    土曜日の夜に2時間放送していて、最初は映画評を聞いていたのだけど、そのうちに、他のコーナーも聞くようになる。こういうことは、それ以前からの熱心なリスナーにとっては、申し訳ないことなのだけど、その内容は、私にとっては意外であるような話題も多く、面白かった。

 宇多丸氏は、アートの世界で展示に誰を呼ぶか?ということを決めたり、どうやって見せるか、といったことを考える(ラジオ番組における)キュレーターのような力が本当に優れているのではないか、と思い始める。

 そして、個人的に、本当にすごいと思ったのが、「アイドルとしての大江戸線の駅」というテーマの放送を聞いた時だった。

 最初は、何を言っているのだろう、と思いながら聴いていたが、それを奇をてらっているわけでもなく、本気で、大江戸線のいろいろな駅が、どのタイプのアイドルなのかと話し続け、聴き終わる時には、この困難(?)なテーマを語り尽くして、納得させられてしまった振付師「竹中夏海」氏に対して、心の中で「先生」をつけるようになり、その後、テレビなどで見るときも、「先生」として話を聞くようになった。


(著書↓では、アイドルダンス、というジャンルを確率させたというすごさも、少しわかったように思えた)

 こうした番組を支えているスタッフもすごいはずだったが、何しろ、パーソナリティの宇多丸氏の興味の持ち方、見立て、伝え方が、この番組の魅力となっているように思えていた。そして、恥ずかしながら、それまであまり知らなかったが、様々なジャンルの、すごい方々の名前や功績も知るようになった。

 しまおまほ、コンバットREC、吉田豪、古川耕、西寺郷太、三宅隆太 (敬称略) etc………。


 リスナーからの投稿によってできるコーナーも、独特の視点のため、大げさにいえば、投稿しなくても聞いているだけで、自分の気持ちや小さな行いに、違う意味を見つけられるような気持ちになった。

(今回、この番組のことを伝えようとすると、その関連本のことや、そこから生まれた本を、オススメしたくなり、本の紹介も増えてしまい申し訳ないのですが、この中の1冊でも読んでいただければ、新鮮な視点を得られると思っています)。


アフター6ジャンクション

 それだけ聞くようになっていた「タマフル」も、2018年に終わり、次の「アフター6ジャンクション」になると、そのうちに聞かなくなったのは、月曜日から金曜日。午後6時から、午後9時、という時間帯が、自分にとっては、ラジオを聞く時間ではなかった、という勝手な理由が大きいと思う。

 それでも、どういう経緯か、一時期は、一斉に撤退したはずのポッドキャストで、TBSのラジオ番組も、最近になって聞けるようになって、そして、個人的には、ごく最近になって、また聞くようになった。

 シュワルッツネッガーに関するファンとしてのこじれた溢れるばかりの愛情による情報。

 カーペンターズ、という知っているつもりだった存在に関する全く知らなかった事実。 

 オバマ元・大統領の怖いほどの教養。 

 リモートプロレス、という馬鹿馬鹿しくても、そのセンスが厳しく問われる、という点で、ある意味で、プロレスの本質かも、と思えるコーナー。 

 相変わらず、それほど熱心なリスナーでなくて申し訳ないのだけど、番組を聞くと、なんで生きているのだろう?と思うことが多くなった、毎日の憂うつさを、少し忘れられるような気持ちになることもあった。

 そういう意味では、とてもありがたいし、最近の投稿コーナーでは、「イキりゲンドウ」を聞くと、他人事ではなく楽しめて、恥ずかしさも伴いながらも、そんなことを感じられる自分に対しても、少しうれしくなる。

いとうせいこうの発言について

 ここは、少し蛇足です。

 今の「アフター6ジャンクション」が始まってからしばらくたって、その略称がほぼ決まっていた頃だった。確か「ターロク」といった呼び方になりそうになった頃に、ゲストで登場した いとうせいこう氏 が、少し遠慮がちに提案したのが、今の「アトロク」だった。

 リスナーとしても、聞いた瞬間に、その方がいいと思えるネーミングだった。
 同時に、いとうに対しての、ひがみの気持ちの歴史が蘇っていた。

 20代の新人の編集者としての「業界くん物語」によって早くに注目を浴び、その後に、まだ新しかったラップのレコーディングを行い、だから、近年のフリースタイルダンジョンの審査員も務めることができる。小説は寡作でも、ゲームがテーマになっているデビュー作の「ノーライフキング」が話題になり、東日本大震災の後に「想像ラジオ」という作品を書いている。また、家庭菜園の趣味も文章にし、それがドラマになったりもしている。

 とてもタイミングのいい活躍に思えてきた。

 そして、今回の、おそらく、これからもより重要度が増すに違いない、ラジオ番組の略称に対しても、センスを見せつける。

 その凄さを思いながらも、やっぱりひがみの気持ちが出てきてしまったが、この番組の歴史にも、いとうせいこうの名前が刻まれたのだと思う。これだけ長いこと、活躍しているからこそ、ひがんでしまうのだけど、でも、当たり前だけど、いとうせいこうの凄さは再確認できた。

宇多丸の誠実さ

 「タマフル」も「アトロク」も授業というよりは、放課後の部室で、その伝説のOBでもある宇多丸がやってきて、知らないことを教えてくれたり、一緒に遊ぶ、というような「理想の放課後」だと思う。

 だけど、こうした番組のパーソナリティが「伝説のOB」として、今の言葉でいえば「マウンティング」を無意識にでも取りやすい状況なのに、私が聴いている範囲に過ぎないのだけど、そうしたことは感じたことがない。

 それは、ある意味、不思議だったのだけど、たぶん誠実さだろうと思いながらも、今年の番組で、ふと具体的に、その要素が、一瞬、具体的に形として、分かったように思えた時があった。

 2021年1月28日の放送。
 アイドルソング2020 ベスト15。
 その1位として、ハイパーヨーヨーを選び、コメントしている最後の部分。

 宇多丸氏は、「感心」と言い切りそうになってから「感動」と言い直していた。
 それは、「炎上予防対策」とも受け取られそうな言動にも聞こえたのだけど、リスナーとしては、同じミュージシャンとして、自分の方がキャリアがあるので、余計に「上から目線を避けた」行為に見えた。

 半分、無意識かもしれないけれど、こうした時に生じる誠実さを感じ、こうした底堅いフェアさを持っているパーソナリティが中心になっているからこそ、この番組も「理想の放課後」という安心感があるのだと思う。


(今年に入っての、番組がらみのトラブルも、トラブルやその言動を批判しながらも、その人物の全面否定にならない微妙なラインを保っていて、私には筋を通した見事な言動に思えた)。

ポッドキャスト

 ここまでの書き方も、人によっては、おそらくは、ほめすぎに感じられてしまうとも思います。
 もし、よかったら、午後6時からの、ラジオ番組を生で聞くのは難しい方も多いと思いますので、ポッドキャストでも、自分の興味があるテーマから聞いていただければ、と思っています。

(それでも、ほめすぎ、と思われる方は、コメント欄などでご意見をいただければ、とてもありがたく思います)。




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