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「身振り手振りが似合わない人」の共通点。

 大企業の社長が、CMで話をしていた。
 それも、新製品を記者たちの前で紹介する、という形だった。

 微妙な違和感があったのは、両手を広げて動かして、いわゆる身振り手振りの姿が不自然に感じたせいだった。

 それは、人が聞いてくれないかもしれない、という焦りや怖れがないせいだと思った。

プレゼンテーション

 企業のトップが人前に出てきて、自社の製品のアピールする姿を、よく見るようになったのは、やはりスティーブ・ジョブズ以来だと思う。

 すごく準備をしてプレゼンテーションに臨んだ、といった話は書籍以外でも、いろいろと聞いた気がするけれど、それに加えて、「TED」のような場所が注目されたことで、人前で話している企業のトップは、さらに増えてきたように思う。

 スティーブ・ジョブズも、「TED」で見かける西洋の人たちも、ほとんどの場合は、その場面で急に、あのプレゼンテーションをしているわけではなく、おそらく自己主張を幼い頃からしてきて、さらに工夫しているのだと思う。

 その後、自分を抑え気味の文化のある日本でも、いつの間にか、社長ではなく、CEOという肩書きを名乗る人まで増えてきた。

 そういう背景があってこそ、大企業のトップが、自ら新製品の説明をする、というCMも目にするようになったのだと思う。

話を聞いてくれない経験

 とても個人的な感覚なのだけど、身振り手振りが伴うほど話をするときは、自分の言っていることが届かないし、聞いてくれないし、だけど、伝えたい、といった気持ちがあるときで、そこから想像すると、身振り手振りが自然な人は、思わず、動いている、という事だと思う。

 それは、自分が話をしても、誰も耳を傾けてくれない。そんな経験があってこそ、伝えたい気持ちが強い時に、思わず出てしまう動き、と言ってもいいのだと思う。

 そして、それは、自然で切実な身振り手振り、と言ってもいいのだろう。

身振り手振りが似合わない場合

 だから、たとえば大企業のトップや、あとは選挙の政見放送でも、社会的に認められた仕事から候補者として立候補していた人たちの身振り手振りに違和感があったのは、偏見かもしれないけれど、その姿に、どこか余裕があり、それは、人に話を聞いてもらえないことを、そんなに経験していないせいではないか、と思った。

 おそらく、その人たちが話をすれば、周囲の人は、きちんと聞いてくれる経験を積んできたのだと思う。それは生まれや育ちに恵まれたり、社会的な地位が高ければ、それが自然かもしれないし、そのことで、落ち着きや信頼感のようなものは身につくはずだ。

 だけど、たとえば、現代のスピーチライターのような人たちは、おそらく身振り手振りは必要だと言うだろうし、人が聞いてくれる体験を積んでいる人であっても、スティーブ・ジョブズのようなモデルケースが存在すれば、真似したくなるのも無理はない。

 だけど、人が聞いてくれないという思いや、伝わらない悔しさみたいなものがあった方が、おそらくは、身振り手振りに切実さと自然さが宿り、そのことで、初めてその動作に意味を持たせることができるのではないだろうか。

 だから、そういう怖れや悔しさを、それほど経験していない人は、どうしても身振り手振りが似合わなく見えてしまうから、もっと落ちついて、動きが少なくても、普段通りに話せばいいのにと、どうしても思ってしまう。

 ただ、それは、恵まれた人たちに対しての、自分のひがみのようなものもあるのかもしれない。



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おちまこと
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