「座りの悪い緊張感」と「思った以上の嬉しさ」。2020.6.20.
午前9時は、もう暑い。
電車内は静かで、冷房もかかっていが、窓もほとんどが開いている。
座りの悪い緊張感
次の電車に乗り換えたら、つい2日前の木曜日は、完全に「距離」が消えていたと思ったのだけど、今日は、少し復活している。車内を構成している年齢が高めのせいかもしれない。やはり冷房がかかっていて、でも、この車両で窓が開いているのは1か所だけだった。それでも、少し時間が戻ったような、微妙な緊張感を感じる。
一時期、スマホの画面はウイルスがつきやすい、みたいなことが言われていて、つり革も手すりも、スマホさえ、さわる人が減った印象さえあったのだけど、スマホは、もう完全に日常的な地位に戻っているように見えた。
電車内で、スマホに出て、結構大きい声で、団地前でいいですかね、と団地を連発する言葉を、男性が話し始めたら、長い座席の向こう側にいる女性が、かなり厳しい目を向けていた。以前ならば、車内での通話はご遠慮ください、といったマナーのことだったのだろうけど、今は、飛沫問題になってしまっていて、この男性は、マスクをしていなかったので、以前とは違う質の厳しさを向けられているように見える。
わたしも、その男性から、1メートルのところにいたのだけど、さらに遠くへ距離をとってしまっていた。
新型コロナウイルス感染拡大予防のために、窓を開けてください、というアナウンスがされているが、窓は1か所だけが、少し開いているだけだし、新たに開けようとする人はいない。
東京都内では、感染者は、18日は40人を超えた報道がされていたはずなのに、その同じ日に移動自粛全面解除がされている。
どっちに緊張感を置けばいいのか。
もう大丈夫、というメッセージと、気をつけたほうがいい、という数字の両方が出ていて、でも、どうしたらいいのか、というインフォメーションはない。
土曜日の電車の車内も、そういうどっちつかずの、座りの悪い緊張感が漂っているように思う。
予備校のポスターには、『「あんなにがんばった夏はない」って言ってみたいな』という言葉があって、それは、すでにコロナ禍は関係ない、という見定めをしているように見える。それは一つのあり方だし、大学入試が結局のところ、ほぼ一緒の日程で行われる以上、いつもと同じようなペースに戻さなければ間に合わないのだろうから、自然な発想だとは思う。
移動自粛全面解除への不安
用事がすみ、帰りの電車は、午後4時過ぎに乗った。
やっぱり「距離」はなくなっている。
でも、さっきは同じ路線で1か所だけが開いていた窓が、3か所になっていて、微妙な変化があり、マスクをしていない人も1人か2人はいる。
なんだか、バラバラな感じがする。
今日も、ドアの上の小さい画面でニュースが流れている。
接触確認アプリ、今日から運用。
WHOが、1日の感染者数が15万人を越えたと警告。
日本国内での「移動自粛が全面解除」。
もし、映画などだったら、このあと、日本は、ひどいことになるような流れだけど、さらに、「衣料店がマスクを売り出し、行列」とニュースが続く。
この何ヶ月かでも、東京から遠いところの人の話を聞いたりすると、こんなにコロナと言っているのは、どうやら東京近辺、特に東京都内に限られているのを改めて知るのだけど、確かに数字があまりにも違う。6月19日時点のデータだと、感染者数の累計が、東京都は5709人で、次に多いのが大阪府で1800人。10番目の京都が364人なので、東京都が圧倒的に多い。
本当に移動自粛を全面解除してもいいのだろうか、と改めて思う。
東京都から、他の場所に移動したら、危険なのではないか、と考えるのは、素人の発想なのだろうか。
「夜の街」と、繰り返し言われているのだけれど、集団検査に協力しているから、そこから陽性の人が多く出るのは当然で、それよりも、東京都から移動する人に、集団検査をしたほうが、感染拡大の危険を防げる可能性はないだろうかと、思うのは、変なのだろうか。
未来から考えると、微妙に怖くなる。
いま、この時にもう少し気をつけていれば、全国的な第2波は防げたのではないか、という見えにくい分岐点にいるのかもしれない、と思うのは考え過ぎなのだろうか。
そんなことをもやもやと考えていて、緊張感の持っていきどころが、やっぱり、よく分からなくなってしまうと思いながらも、電車を乗り換えて、距離を保てる空席ができたので座った。いくつか駅を過ぎたら、すぐ隣に人が座ってきて、ほぼくっつくような距離になったけれど、ついこの前までは、体に反応が出ていたのに、今日は、大丈夫だった。気持ちがゆるんだのか、それとも心身があきらめてしまったのか、と自分を疑う。
途中の駅で、学生の集団が乗ってくる。たぶん運動部。大きめの体の人間が、かたまりのように乗ってきて、急に「密」になる。
思った以上の嬉しさ
帰りに、図書館に寄ることにした。
予約していた本が入って、今日までに行かないと、また戻ってしまうことになっているからだった。
電車を降りて、飲食店の前を通ると、黒い板に、「無観客試合 巨人6000勝」の素朴な文字があった。そこにうれしがあるように思った。
そこから、さらに歩いて、坂道を登って、図書館に着く。
入り口には、「密」を避けてください、のポスターがあって、入り口付近に、赤いコーンが立てられていて、さらに再開が進んだといっても、それほどの変化でもないような気がして、また気持ちが沈むそうになる。
だけど、図書館の中に入ると、受付にはビニールが貼られているが、カウンターの中には、7人ほどのスタッフがいて、開架棚がある場所まで、入れるようになっている。周りを見たら、検索用のコンピューターを使っている人がいる。
図書館が生き返っていると思った。
思った以上に、うれしかった。
この20年の間に、介護に専念していて、社会と断絶しているような時間も長かったのだけど、その時も、図書館だけは来ていた。緊急事態宣言で閉鎖された時に、思った以上にショックだった。2ヶ月くらい図書館が機能していなかったのは、息ができないような感じもあったから、5月末から少しずつ再開されたのはうれしかったのだけど、今回の戻り方は、距離があるとはいっても、人が図書館の中に留まれるようになっていて、それが、息を吹き返したように思えた。
予約していた本を借りるために、距離をとって並んでから、カウンターに行き、図書カードをスタッフの人に渡す。
カードを、ピッとかざしたたら、「あ、さっき届いていたばかりのもありますね」と言われ、違う棚からも持ってきてくれた。
昨日、予約したばかりの本まで、もう着いていた。
今日、その本まで借りられると思えなかった。
なんだか、それもうれしかった。
借りる時に、「返却する時に、もし予約が入っていない時は、また、その場で借りられますか?」と、尋ねたら、「大丈夫ですよ。もし、予約が入っていても、在庫の状況によっては、そのまま借りられます」と素早く的確に穏やかに答えてくれた。
その応答自体が、とても、ありがたかった。
もう、このまま閉じるのではないかと思っていた児童室は、開いていた。
その中は、以前のようなごちゃごちゃした空間ではなく、距離を保つことが優先されたイスの配置になっていて、中は、とても静かだった。
雑誌のコーナーも、この前は、ソファーが撤去されて、もうそのまま閉まると思っていたのに、イスがソーシャルディスタンスを保ちながら並べられていて、それは、サッカーのフォーメーションのようで、人数は少ないけど、そこに同じ方向を向いて、何人もが座っていた。復活していた。
児童室に関しては、感染拡大予防は大事だけど、それだけでない視点を取り入れないと、これから失い続けるものが大きすぎるのではないか、とは思ったものの、それでも、もう動かないと思っていた場所が、再び動き始めたのは、その姿を実際に見ると、しみじみと、うれしくなった。
帰り道。
途中にある、小さめの公園からは、近づいていく途中から、もう声が聞こえてくる。
子どもも大人も含めて10人くらいは公園にいて、マスクをしていない男の子2人が、空へ向かって、並んだ2台のブランコを思い切り漕ぎ続けていて、よく分からない言葉を大声で発して、笑っている。
こういう光景は、やっぱり、ちょっとホッとする。
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「威勢のいい言葉」と「嵐の前の静けさ」。2020.6.24~6.27
noteを始めてから、1ヶ月が過ぎて、感じたこと、考えたこと、変わったこと。
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