「12月の記事 3選」。
noteを始めてから、4年目になりました。
いつも読んでくださる方がいらっしゃるおかげで、こうして書き続けることができています。ありがとうございます。
今回、初めて目に留めて下さった方も、ありがとうございます。
もし、少しでも興味を持っていただいたら、今回の記事からでも、読んでくださると、ありがたく思います。
noteの記事は、古くなるほど、読んでもらえなくなるようですが、昔の記事であっても、今読んでも(自分自身で少し評価が甘くなっているのかもしれませんが)、そんなに古くなっていない内容もあると思い、こうして過去の記事を時々紹介するようにしています。
2020年12月、2021年12月、2022年12月の記事から、1つずつ選びました。
未読の方に、少しでも興味を持ってもらい、読んでいただければ、うれしいです。
よろしく、お願いします。
おち まこと
「目的」と「手段」の関係について、改めて確認したいこと。
この記事は2020年のものなのですが、ここで考えたことは、今もそれほど変わっていないような気がします。
どんなことでも、「目的」があって、それを達成するために「手段」があるはずです。
それなのに、様々な場面で、その「手段」と「目的」が取り違えられていることが少なくないように思います。
例えば「ルール」に関しては、何かを達成するために、もしくは何かを維持するために定められたもののはずで、その「目的」のために、状況によっては「ルール」も変えていかなくてはいけないのに、いつの間にか「ルール」を守ること自体が「目的」になっていることが、思ったより多いように感じています。
そうした「目的」と「手段」の関係について、改めて考えてみました。
「選挙に行かない人たち」と、「学歴」と「階層」の関係を改めて考える。
選挙が近づくたびに、「投票へ行こう」という呼びかけが、あらゆる方法でされているような気がするのですが、それが実っているようには思えません。
それがどうしてなのか。その理由は正直、よく分からなかったのですが、すでに、様々な分析もされていていることを恥ずかしながら、改めて知りました。
そうすると、選挙に行かない人と、行く人では、明らかに「階層の違い」のようなものがあることにも気がつかされました。
選挙の前だけではなく、通常時から考える必要があることは、伝わると思います。
「悪い結果」は、存在できなくなっているのだろうか。
この記事から1年が経ち、さらに、この傾向が定着しつつあるように感じています。
元々、というよりは今でも「結果」というのは、何かを行ったり、試してみたりした後のことで、当然、成功した場合の「いい結果」(≒成果)だったり、「悪い結果」(≒失敗)に分かれる方が、圧倒的に多いはずです。
それがいつの間にか、「結果」は、「結果を出す」というように、「いい結果」に限られるようになってきたようです。
それは、考えすぎかもしれませんが、失敗が許されないという窮屈さに、よりつながり、あまり良くない緊張感を生みやすくなるのでは、と考え、この記事を書きました。
記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。