見出し画像

〇〇と僕『う』~歌と僕~

僕は歌が好きだ。

18歳くらいから約10年間、僕はその魅力に取り憑かれ、がむしゃらに歌を歌い続けた。

じゃがいもルルル~
にんじんルルル〜
玉ねぎルルル〜
煮込んでルルル〜
最後に投入カレーのルルル〜

なんて鼻歌を10年も歌い続けたわけではない。
僕がやっていたのは、エレキギターでジャーン、ベースでベンベン、ドラムでドコドコ、マイクを握りしめオンギャー!
ってやつ。
ロックンロール。


若かりし頃、インスタントミュージックがはびこる日本のヒットチャートに飽き飽きしていた僕は、洋楽ばかりを聞き漁っていた。
そんなある日、夜中にやっていたローカル局の音楽番組を見て、当時高校生だった僕は衝撃を受ける。
それは、札幌で活躍するインディーズバンドのライブ映像。
日本に、しかも札幌に、これほどカッコいいロックバンドがいるなんて。
……。
よし、札幌でバンドをやろう。
ロックンロール。

やると決めたら一直線。
勉強そっちのけで、ギターを弾き弾き、曲を書き書き。
大学で軽音サークルに入り、バンドメンバーを集め、早速札幌のライブハウスで歌い始めた。

そこから頭の中は寝ても覚めても歌のことだらけ。
ピッチの合わせ方、楽器に負けない声のトーン、リズムの取り方、表現力……。
それだけ歌について考えていれば、いくら馬鹿でも多少は上手くなる。
そして歌の技術向上と引き換えに失っていく大学の単位。
ロックンロール。


そんなこんなで僕は、振り返ることなく歌い続けた。
がむしゃらでも、馬鹿デカい声で歌い続けていれば、どっかで誰かが聞いてるもんだ。
ようやく東京の音楽事務所に所属が決まり上京。
無事インディーズデビューを果たし、目指せメジャーデビュー!ってやっていた時、事務所のお偉いさんが一言。
「もう1段階レベルを上げるために、ボイストレーニングを受けなさい。」

そんで紹介されたのは、誰もが知っているアーティストのバッグコーラスを長年務めているプロの女性ボーカリスト。
最初のレッスンで指定された持ち物は、『持ち曲のなかで1番難しい曲のCD』と『替えのTシャツ』。
Tシャツ??


そしてレッスン初日。
緊張しながら自由が丘のスタジオへ。
「は、はじめまして。よろしくお願いします。」
「おはよう!!! 君がイケモリ君ね!! これからよろしくぅ!!!!」
って朝からテンションマックスの先生。
全身からほとばしる生命力。
僕は挨拶でクッタクタ。

そんでいよいよレッスン開始。
まずは持ってきたCDを流しながら普通に歌う。
歌い終えると「OK! じゃあわたしと同じポーズしてみて!」と先生。
足を前後に開き、腰を落としてかかとを浮かせた。
訳もわからず後に続く僕。
「じゃ、その格好のままで歌って!」
えっ?! 
ちょっと……、こ、このまま?!
なんてやっている間に、先生はCDのスイッチオン。
サビの手前ですでに足はぷるぷる痙攣。
そして1番の高音に差し掛かった時、僕のお腹に先生のパンチ炸裂。

ぐほぉっ!!

そんな調子で2時間みっちり拷問を受けたが、なんとか生還。
僕へろへろ、足ぷるぷる、汗だらだら、
なるほど、替えのTシャツが必要な訳だ。

その後、幾度となく自由が丘のスタジオに通い、先生のパンチを受け続けた。
気付けば足も震えることはなくなり、パンチを受けなくても腹から声が出るようになった。
技術は向上したが、目標には届かなかった。
しかし、歌に費やした10年間に一片の悔いなし。
ロックンロール。


今はもう歌わなくなったが、音楽を聞くことは今でも好きだ。
この記事を書きながら、札幌でバンドをやろうと思うきっかけになったバンドを久しぶりに聞いた。
やっぱりカッコいいね。
歌いたくなっちゃうね。
コロナ騒動が落ち着いたら、久しぶりにカラオケでも行こうかしら。
うん、そうしよう。

では、また。

『Addiction / アジアンガール』を聞きながら
FJALLRAVEN by 3NITY TOKYO 池守


『〇〇と僕』←過去の記事はこちらからお読みいただけます!是非!


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集