偏差値70越えの進学校 まさかの不登校 #2
この高校に入学できた自分のことを、すごく誇りに思っていました
でもだんだんと体が追い付かなくなってきてしまったのです・・・
完全に学校へ通えなくなるまで
高校1年生の夏休み明けから、だんだんと通えなくなりました
夏休み明け
夏休みが明けたら、しばらくして英語と数学の習熟度テストがありました
授業が一段落したり長い休みがあると、このようなテストがあるのです
テストで6割以上の点数がとれるまで、何度も再試があります
これまで習熟度テストを落としたことはなかったのですが、初めて数学で引っかかってしまいました
このときは気が付いていませんでしたが
「勉強したいけれど、体がついてこない」
という現象の片鱗だったのではと思います
2学期
その後、1回の再試で習熟度テストはクリアできました
ほっとしたのもつかの間、中間テストがありました
このころは中堅国公立大学の受験を考えていました
その大学に行きたいなら、学年順位は真ん中以上をキープしなければならないと担任から言われていました
習熟度テストも引っかかってしまったので、特に頑張らなければと思い
入学以来最も気合を入れて、時には徹夜もして勉強しました
そのかいあって、上位1/3の成績を修めることができました
滅多にほめてくれない両親もこの時ばかりはほめてくれた記憶があります
担任からも、志望校はこのままいけば安泰だから、志望大学の受験科目をもとに2年生の選択科目を考えるようにと言われました
ある日
このまま成績を維持して、志望大学に行けたらいいな
選択科目は何にしようか・・・
など考えながら2学期の期末テストにむけて勉強していました
しかしある日の朝、どうしてもベットから動けず・・・
本当に布団がはがせず、体が思うように起こせないのです
「今日はどうしても学校にいけない」
これまで根詰めて勉強しすぎたのか?徹夜をやりすぎたか?
そのように考えました
親もそのように思ったのか、すんなり学校を休ませてくれました
通えない日のほうが多くなる
そのような状態が週に1日、2日、3日・・・
だんだんと通えない日のほうが多くなりました
学校に行きたい気持ち、勉強したい気持ちはあるのに
休んだ日は、朝は起きれず1日中ベットの上で過ごすことに
食事もベットの上でした
あとはずっと寝ていました
最初は休ませてくれた親でしたが、だんだんと
「今日は行けない」
そういうと泣いて布団をはがして、
なんとしても学校に行かせようとしてきました
でもさぼりたいわけではないし、本当に体がうごかないので
私はどうしようもありませんでした
そのような様子を見かねて、親はだんだんと無理に引っ張ってもこの子は動かないと理解してくれたようでした
完全に不登校に
通える日が少なくなり、休みの連絡をするほうが多いことから
行く日のみ連絡してくれたらよいと、学校側が言ってくれました
この対応は、毎朝の親との「行くのか、行かないのか」というやり取りが減ったので少しプレッシャーから解放された気持ちになりました
学校に行けた日は、担任や副担任が下駄箱にいて迎えてくれました
が、これは私にとっては特別対応されているようで負担でした
やがて冬休みに入り、完全に学校から解放された気持ちになりました
冬休み期間もほぼ寝て過ごしていました
冬休みが明けても、体の状態は変わらず
これまでの状態をみて、両親はとうとう
「学校に行かないで良いよ」
そのように言ってくれました
「何も気にせず休める」
それがなによりもうれしかったのを覚えています