【映画感想】『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』さまざまな愛って
今日は私が一番好きな映画
『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』
についてご紹介しようと思います。
マット・デイモンとベン・アフレックの脚本によるヒューマンドラマ映画。
さまざまな「愛」の形を知ることができる、
とても優しい映画です。
あらすじ
MIT大学で数学の教鞭をとるジェラルド・ランボー教授(ステラン・スカルスガルド)は、廊下に数学の難問を掲示する。自身の学生たちすら解くことができなかった難問を解いたのは、清掃員のアルバイトをしていた青年ウィル・ハンティング(マット・デイモン)だった。
ランボーはすぐさま彼を調べると、ウィルはケンカばかりする素行の悪い青年だった。彼を保護するも手を焼いたランボーは最終手段に、学生時代の親友であり心理学の教授でもあるショーン・マグワイア(ロビン・ウィリアムズ)に託す。
ウィルは当初持ち前の頭脳でショーンをからかうが、次第にショーンとウィルの間に友情が芽生えていく。そして、ハーバード大学の学生スカイラーに出会うことで、本当の愛について知っていく。
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感想
※ここからネタバレを含みます ご注意ください
何度見ても優しさに溢れていて泣いてしまう大好きな映画です。
なんとこの作品をマット・デイモンはハーバード大学在学時のシナリオの授業で執筆したというのですから、彼は本当に天才なのだと思います。
マット・デイモンがベン・アフレックにこの脚本を見せたことで共同執筆がスタートしたようなので、ベン・アフレックも類まれない才能の持ち主だということがわかります。
ちなみにベン・アフレック主演・監督作品の『アルゴ』という映画も面白いので、
この天才2人が出会ったことは奇跡のようだなと思います。
そして何と言っても私の最推し俳優のロビン・ウィリアムズが素晴らしい。
彼の表情が本当に本当に優しいんです。
コメディ俳優でもある彼の演技が全面に出ています。
私はロビン・ウィリアムズが子供の頃から大好きで、
特にこの作品の彼が一番好きです。
実生活でも慈愛に満ちた方だったので、その内面が溢れている感じがして、
とても好きなんです。
この作品は、ウィルを取り巻くさまざまな「愛」が詰まっています。
数学者ジェラルド・ランボー教授からの愛情
心理学者ショーン・マグワイア先生からの愛情
親友チャッキー・サリヴァン(ベン・アフレック)からの愛情
恋人スカイラーからの愛情
そして愛を受け入れて、成長していく姿が描かれます。
この記事では、2つの愛情について書こうと思います。
ショーン・マグワイア先生からの愛情
ケンカをして少年鑑別所に入れられたウィルは、カウンセリングを受けることを条件に出所します。
ランボー教授は何人もの心理学の権威にウィルを会わせますが、ウィルは持ち前の頭脳で打ち負かします。
最後の手段として名が上がったのがショーンでした。
ウィルはショーンを持ち前の頭脳で激しく傷つけます。
そしてショーンは数々の名言を残します。
ショーンはウィルを、
さまざまな文献から引用はするが自分の言葉で語らず、
さらけ出すことを恐れている子供だ、といいます。
昔テレビで放映された日本語訳では「埃っぽい匂い」だったと記憶しています。
より直接的な表現ですね。
この映画を見た当時、高校受験の塾と学校と家の往復だけの狭い世界にいた私にとって衝撃でした。
私は早熟な子供だったと思います。
そしてウィルほどの天才でないにしろ、そこそこの偏差値。
若くエネルギーだけはあり、疲れ切った大人を論破して、
こんなことも知らないのかと狭い世界で判断して小馬鹿にする自分。
当時テレビではクイズ番組が流行っていて、
大人が簡単な問題すら答えられないことが面白く、
「こんなのもわかんないの!?」とちょっと馬鹿にできることが痛快だった時があります。
でも歴史の資料集で見たことはあっても実物は見たことがない。
それこそ「システィナ礼拝堂の匂い」を知らない子供でした。
これは実際その後に私が経験したことですが、
ノートルダム大聖堂のステンドグラスの美しさと見ている隙にスリがあることや、
「モナ・リザ」が思ったよりもかなり小さい絵だということ、
「サモトラケのニケ」が大きく雄弁だけれど台座の船がかなり大きいこと。
どれもその場に行かなければわからないことです。
相手に配慮なく攻撃し論破することが、
いかに幼稚で恥ずべき行為かもこの作品で知りました。
大人は知らないから何も言わないんじゃない、
知ってて相手への配慮で言わないだけなんだと。
ウィルはそのことに気づかず無遠慮に大人を傷つける子供でした。
でもそれは相手に傷つけられる前に自分で傷つけるという防衛本能の一種でした。
そして別の日にショーンはウィルにこう言います。
ウィルは「何をしたい?」と聞かれて言葉を詰まらせます。
これのセリフが流れた時に「ドキッ」としました。
私も答えられないから。
私は人並みに「勉強はできる」子供でした。
昔は楽しかったはずの勉強も受験勉強という目標のなかで目的を見失っていました。
きっとこれは私だけではないと思います。
日々生活する中で、「生きる目的」のようなものは忘れがちだと思います。
生きがいを据えて生き続けるには、
今の世の中はあまりに辛く厳しい。
ウィルは非凡な才能を持つも虐待されてきたため、特殊な子として映画で描かれていますが、
私はこの作品のメッセージは誰にでも当てはまると思っています。
「本当は何をしたいのか?」
それをわかって生きている人はきっと少数派です。
私たちはいつもそれをわかりたいと思って生きているのかもしれません。
カウンセリングの一環とはいえ、
このような問いを投げかけられる関係というのは、
間違いなく尊いもので、ショーンからの愛情だと思います。
きっとこれはショーンからウィルへの”ギフト”でした。
ラスト、カウンセリングの最後にハグする2人は、
心の琴線に触れられるかけがえのない心の友でした。
親友チャッキーからの愛情
チャッキーは毎朝ウィルを仕事に迎えに来る親友です。
彼は毎晩ウィルとお酒を飲み馬鹿騒ぎしています。
時には一緒にケンカをすることも。でも面倒見のいいアニキ肌。
羨ましいくらいの親友であり家族です。
親友だからこそ、チャッキーはウィルに厳しい言葉を伝えます。
チャッキーはウィルの才能を認め、羨みながらも足を引っ張るようなことは言わず、
親友だからこそウィルの将来を案じてこの街から出て、
ウィルにしかできない仕事をするように言います。
この作品ではランボー教授やショーン先生がウィルの将来をその人の立場なりに考えていますが、
長く友達でいて信頼しているチャッキーだからこそ、ウィルの心に響きます。
私はこんなに才能がある友人がそばに居て親友だったら、
チャッキーのように同じ言葉を言えるかわからないなと思い、
彼の精神的な大人さに感動しました。
たぶん嫉妬して、いつまでも自分のレベルでいてほしいと思い、足を引っ張ってしまう気がしました。
そしてそんな心の小さい自分に愕然とし、
人を応援できる自分でありたいと思うようになりました。
私は幸い友人に恵まれていて、なかには新しいことに挑戦する友人も数人います。
本当なら反対するのが本当の友人だったりするのかもしれません。
そういう場合ももちろんあります。
でも新しいことをするのに批判してくる友達って、
仮に失敗した時に「だから言ったでしょ」とだけ言って助けてくれない気がします。
自分の言葉に責任を持ちたくないだけなんだと思います。
私は、私だけでも、
新しいことに挑戦すると打ち明けてくれた勇気ある友達には、
頑張れと言える人間でありたいと思います。
チャッキーは私にとって友達の在り方を教えてくれたアニキでした。
最後に
ウィルは本当にやりたいことを見つけ、プレゼントされた車を走らせます。
車が夜明けの1本道を走っていくエンディングは、
とても美しいものでした。
人生は続いていく、
そんなメッセージがあるのだと思います。
さまざまな愛に触れ、映画開始時点の若者らしい血気盛んな印象から、
ウィルはかなり穏やかな表情をするようになったと思います。
大人になったということなのか、それが本来の彼なのか。
ウィルが最終的に選んだのはいわゆる「LOVE」の方の愛でしたが、
1997年当時らしい選択だと思います。
2023年現在に製作されればまた違う選択肢になっていたかもしれません。
この作品は、愛にはざまざまな形や側面がある
ということを示しています。
この記事では言及していませんが、
人は1人では成長できない
相手を受け入れ、自分も受け入れることが大切だ
と教えてもらった作品でした。
そして
「何をしたいのか」
というシンプルな問いを、いつも自分の心に住まわせて、
忘れずに生きていきたいと思います。
3食小麦