【一首評】ちはやぶるレスキュー隊に助けてもらう圧倒的な恋愛の中で(濱田友郎)
ちはやぶるレスキュー隊に助けてもらう圧倒的な恋愛の中で
/濱田友郎「一切の望みを捨てよ」(京大短歌22号)
こういう歌を読むと、安心する。そして、勇気づけられる気がする。
たとえば初句の「ちはやぶる」は、ふつう神に関する言葉にかかる枕詞だけれど、この歌では「レスキュー隊」にかかる。もちろんこれは、助けてくれるレスキュー隊のことを神だと思うようなニュアンスを伝えるためにしていることだけれど、別にこの技法自体はそんなに凄いものではない。いま枕詞というものを利用して面白いことを書こうと思えば必ず行き着く答えの一つだと思うし、同様のことは既に試みられていたと思う。
でも、この歌は陳腐なところに落ちていない。むしろ、その先へ行こうとしている。
そのように感じることができるのは、おそらく、「レスキュー隊」という言葉づかいのおかげなのだろうと思う。「レスキュー隊が助けてくれる」というフレーズの、ある意味で浮世離れしたバカバカしさが、「ちはやぶる」の修辞にかかってしまうはずの体重を巧みに逃して、歌全体を相対化する働きをしている。この相対化に、安心する。歌の表面的な内容がバカバカしいことと引き換えに、作者や歌がもつ核のようなものを信じていい気がしてくる。
そして、こういう相対化によって良い歌をつくる作者がいて、その歌を現に自分が良いと感じることに、勇気づけられる。自分の歌がそのように読まれて、誰かに良いと感じさせる可能性がひらけるような気がするから。
後半の「圧倒的な恋愛の中で」という言い方もそう。恋愛について歌う、それも、レスキューが必要な恋愛について歌う、というときに、「圧倒的な」という言い回しがわざわざついてくることで、作者のことを信用できる気がしてくる。ほんとうの恋愛のことを歌っているのだとしても、そうでないとしても、この歌の下句が「圧倒的な恋愛の中で」であることを認めることができる。
信用を得るために変わった言葉づかいをする、と言ってみれば簡単だけれど、やってみるとかなり難しい。変わった言葉づかいをしながら、全体のイメージの統制をとりつつ一首として着地させるのには、相当なバランス感覚が必要になる。そこのバランスの調整がとてもうまくいっているのが、この歌の真に心憎いところだと思う。
(森)