【一首評】髪を切った理由のように舞茸と鮭の炊き込みご飯をつくる(國森晴野)
髪を切った理由のように舞茸と鮭の炊き込みご飯をつくる
/國森晴野「髪を切る」(ねむらない樹 vol.3)
「舞茸と鮭の炊き込みご飯」が美味しそうに立ち上がる歌だと思う。歌に食べ物を詠み込むとき、その食べ物が美味しそうに見えるかどうか、はかなり大事だと思っている。(もちろん、美味しそうには見えないように書かれることが効く場合もある。)そもそも舞茸と鮭の炊き込みご飯というメニューが美味しそうというのはあるけれど、この歌においては「髪を切った理由のように」「つくる」ことが、美味しさを一層引き立てている気がする。
髪を切るということと、炊き込みご飯を作ることが並べられていることで、主体にとっての炊き込みご飯づくりの位置付けがほのめかされる。料理自体はきっと普段からしているけれど、炊き込みご飯はそのルーティンには入っていないから、少しだけ特別。髪を切るというのは非常に個人的なことであって、その「理由のように」つくる炊き込みご飯は、きっと自分が自分の満足のためにつくる料理なのだろう。生活の豊かさがある。
髪を切ったから炊き込みご飯をつくる、のではなく、炊き込みご飯をつくりたかったから髪を切った。もちろん「のように」だからそんな因果関係は後付けで、ほかに髪を切る理由があったりなかったりしたのだろうと、読者は察することになる。そして、その真の理由、もしくは全く理由がなかったこと、を誤魔化すかのように炊き込みご飯が持ち出される。主体によって言いだされたこの偽の因果関係が主体の内面世界に奥行きを生じさせ、炊き込みご飯に湯気をたたせる。
(森)