【一首評】ドラム式洗濯機のなか布の絵本舞はせて夏をうたがはずあり(光森裕樹)
ドラム式洗濯機のなか布の絵本舞はせて夏をうたがはずあり
/光森裕樹「鶴をつなぐ」(『山椒魚が飛んだ日』)
「鶴をつなぐ」は、結婚、妊娠、出産、子育てを夫・父の視点から歌う連作群の中の一連。主体が父となったとき、季節は秋であった。
赤ん坊は世の中に対峙するとき、まずは何でも口に入れてみる。だから赤ん坊用のおもちゃは大抵、口に入れても大丈夫なようになっていて、絵本もそういう理由で布で作られたりする。
布の絵本を、洗濯する。赤ん坊のもとでよだれまみれになった絵本は、ドラム式洗濯機に放り込まれる。洗濯のさなか、確かな夏を感じる。
「夏をうたがはず」と言う主体は、一度夏を疑っている。今は本当に夏であるかという疑いの目線を、なにものかに説得されて、確信へと至る。
それはたとえば、洗剤の匂いや水に触れる感覚かもしれないし、絵本が舞う姿の涼やかさかもしれない。もちろん、絵本を与えるまでに成長した赤ん坊への感慨もあるだろう。
赤ん坊は、いろいろなものを疑って、あるいは疑わず、口に入れて確かめる。その行為を発端に、父たる主体は布の絵本をドラム式洗濯機の大きな口に入れ、夏を確信する。そして最後には、「うたがはずあり」として、そこに確かにある自分自身をも認めることになる。
(森)