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【読んだ本】武田砂鉄著「父ではありませんが第三者として考える」

先日読み終わったこちらの本について書きたいと思います。

数年前からTBSラジオを聴いていて好きになった武田砂鉄さんのご著書です。今年の年初に出された本で、タイトルがとても興味深く、砂鉄さんはこのテーマについてどんなことを書いたのだろうと、楽しみにしていました。

砂鉄さんが、「父親ではない」立場から「『子ども』をめぐる言説について考えていく」本です。日常にあふれる子どもや結婚にまつわる通説や言葉、エピソードに対して、ひとつひとつに向き合って問い続けています。

私自身は「未婚」「子なし」です。結婚について、この歳まで「してない」立場だとなぜか、積極的に結婚(及び出産)しなかった理由を表明しなければいけないような気持ちにさせられます。

私も20代半ばくらいまでは、自分も当然結婚(及び出産)するものだと思っていました。30歳あたりでそろそろ結婚しなくてはと思っていたのですが、どこかのタイミングで、「あれ、無理してしなくてもいいのでは?」と思い、「しなくてもそんなに大変なことにならなそうだし、楽しく過ごせそう」となり、今に至ります。

このあたりの心境については、「女ふたり、暮らしています。」の著者のファン・ソヌ様が見事に代弁してくれています。

時が過ぎて、自然とわかるようになった。私が不安で焦っていたのは、結婚できないからというよりも、「結婚できないお前に問題がある」「このまま結婚せずにいたら、大変なことになる」と不安をあおり、焦らせ、脅した人たちのせいだということを。

「女ふたり、暮らしています。」

結婚や妊娠を強要されたくないという気持ちはある一方で、少子高齢化が進むことや、人口が減っていくことに対しては、多くの人々がそうであるように不安があります。そして自分のような子供を産まなかった女性が、少子化を促進しているのか(「役目を果たし」ていないのか)、とも思います。でも同時に、なぜ女性だけがその責任を負わされるのか?という疑問が沸きます。

正しいとされる形にピタッとハマった人の語りが重宝され、そして一般化され、そうではない人の語りよりも優先されるというのは、「役に立つかどうか」を計測する社会と極めて親和性が高い。

今の社会では「未婚」「子なし」の女性は、やはり肩身が狭い思いをする場面が多々あります。近年ではあからさまに攻撃してくるような言動は少ないですが、マイクロアグレッションは常にどこにでも漂っています。本書にも出てくるように、「未熟だと決めつけ」られていると感じたり、「自分の生き方を軽んじられたような」気持ちになったりしてきました。

この本を読んだからといって、自分の立場を強く肯定されることはありません。なぜなら、あまりにも世の中の「普通」がありとあらゆる場面に充満しているから。それでも、それぞれいろんな状態があっていい、とよしよしと慰められるような気がしました。そして、少し勇気をもらえました。

子供がいてもいなくても、そしてもちろん結婚していてもいなくても、どっちでもいいと思っている。そういうフラットな状態でいたいのだが、それをさせてくれない人や組織があるのならば、それはおかしいと思うんです、と言い続けていきたい。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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