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散歩編〜文京台東荒川あたり

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文京区、台東区、荒川区の境目あたりの寺社仏閣や史跡などなど。 写真は撮影年月日ばらばらですが、なるべく新しいものを掲載しています。
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#塚

谷中「慈雲山躰仙院」

谷中「慈雲山躰仙院」



谷中、日本美術院向かいにある日蓮宗慈雲山躰仙院。瑞輪寺の五つの子院のうちのひとつ。通称、谷中鬼子母神。

縁起開山:慈雲院日新
開基:恵遠院日遥
潮師法縁

1704-1711(宝永年間)創建。恵遠院と躰仙院が合併
1868(慶應4年)上野戦争により消失し、詳細不明

本尊:一塔両尊四士
祖像:説法像、鬼子母神像。

墓所・石碑新派俳優石井寛
灰塚

谷中「東京七面山 安産飯匙祖師」

谷中「東京七面山 安産飯匙祖師」



谷中、三崎坂から少し入ったところに入り口がある東京七面山 安産飯匙祖師は瑞輪寺の境内にある。正面に祀られている祖師は、江戸十大祖師のひとり、除厄・安産飯匙の祖師。日蓮大聖人は、文永11年に佐渡流罪をご赦免となり、同年3月13日佐渡を出発し鎌倉に向かった。その途中、武蔵国粂川の辺りに住む関善左衛門が、通りかかりの日蓮大聖人に妻が難産であることを告げ救いを求めたところ日蓮大聖人は求めに応じ飯匙に御

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谷中「倍増山寶城院 金嶺寺」

谷中「倍増山寶城院 金嶺寺」



谷中、三崎坂と言問通りの中間にある倍増山寶城院金嶺寺。本堂までのアプローチの植物と小さな石庭が美しい。1716-1736(享保年間)に西国三十三観音霊場の巡礼に模して江戸三十三観音霊場ができた。如意輪観音様をまつっていたため西国の三十一番札所である「近江長命寺」になぞらえて、第三十一番札所となった。本堂正面の大柱に、「三十一番」の札が今でもひっそりと掲げられている。

縁起1611(慶長16年

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根津「根津神社 塞の大神」

根津「根津神社 塞の大神」



塞の神は邪霊の侵入を防ぐ神であり、道行く人を再燃から守る神でみちのかみとも道祖神とも言われる。
この塞の大神碑(さえ・さいのおおかみ)は、もとは駒込の追分(向ヶ丘1-1)にあった。ここは東大農学部前で、旧中山道と旧岩槻街道(旧日光将軍御成道)との分岐点で追分と言われた。この追分は日本橋から1里(約4km)で、江戸時代一里塚があった所である。今も角店は江戸時代から続き老舗の高崎屋である。

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根津「根津神社 庚申塔」

根津「根津神社 庚申塔」



六基の庚申塔である。道の辻に建てられていたものが明治以後、道路拡幅のために根津神社に収められたもの。①青面金剛・猿・鶏・寛文八戌申(1668)駒込村・施主15名②観音像・庚申供養・施主12名③日月瑞雲・青面金剛・鬼・鶏・元禄五壬申(1692)施主26名④日月・青面金剛・猿・延宝八庚申(1680)願主1名⑤梵字・庚申供養・寛永九年壬申(1632)・都鳥□馬米村・施主7名…区内に現存するものでは最

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根津「根津神社 徳川家宣胞衣塚」

根津「根津神社 徳川家宣胞衣塚」



根津神社敷地内、千本鳥居の途中に、第6代将軍・家宣の胞衣(えな:胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めた「徳川家宣胞衣塚」があり、十数個の割石が積み上げられている。この地が甲府藩邸であった時に家宣が生まれたことに由来する。
関東では包衣を岩や家の床下に埋める週間がある。上流階層では胞衣塚を築くことが早くから行われていた。家宣の産湯の井戸と伝えられるものが社務所の庭にある。