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ちゃんとしてると思われたい欲求

私が1番気にしてしまうのは、他人の時間や労力への思いやりが機能しているかどうか。これはたぶん、こどもの頃読んだ猫関連の本に

開業している獣医の家に、診療時間外の夜中でも「うちのペットが大変だ」と電話をしてくる飼い主がいる。夜間は通常営業していないけれど話を聞いた獣医さんは動物のことが心配なので設備の準備をして眠気覚ましのコーヒーを飲みながら夜中でも来院を待っているが、そういう飼い主ほどその後連絡をよこさず結局そのまま朝を迎えることも多い

というようなことが書かれているのを読んで、自分勝手な振る舞いをしてしまうと、影響を与えた相手からの信頼を回復するほうが大変となんとなく感じとったことがベースになっている気がする。成長するにしたがって、バレなければいいやという幼い気持ちもわからなくはないけれど、そういう思考の習慣を隠そうとしてもふとしたときに信頼を失うことが多いだろうし、先の動物病院の例に関係すると獣医が体調不良になれば頼りにしている人たちは困り、何よりスタッフ側に不信感を抱かせることは利用者側にとってもかなりのマイナスと考えるようになった。単なる綺麗事ではなく、ひとつひとつが積み重なると社会的な損害につながり自分にも影響するイメージを抱いている。

共同で何かしているとき、とくに誰かに何かを頼んでいるとき、私は予定が変更になった時点ですぐ連絡できる人と思われたい。お店やサービスを予約しているときは行けなくなりそうな際にまず一報を入れる。仕事をしている人に対して「キャンセルや予定変更はそれが判明している時点で業務時間内に速やかに伝える。社交辞令は最小限にして、伝言でもとにかく要件をメインに形に残るように」という自分がしてほしいことを実践することで、相手にもそうしてほしいという期待があるのだ。
以前、仕事関係の人から「店を予約していた友人の送別会を当日キャンセルした」という話を聞いて、それはそうとうな理由がないと難しいのではとすごく驚いたことがある。お店を予約していたなら当日に人数を減らすのは他の人にも影響のある感染症以外の理由ではキャンセル料が無いと恐縮する場合が多い。店側にも都合があるから「体調不良がわかった時点で教えて」と私は思ってしまう。
体調不良以外での「当日キャンセル」は、その後の関係がこじれてもかまわない人への対応に思える私は、何度誘いを断ってもしつこい相手への制裁のように考えることが多い。
自分の力ではどうしようもないことへもせめてベストを尽くしたと思いたいだけで、私は利用のキャンセルと予定変更は速やかに伝えたい。終業後にメールなどでも連絡を残せない相手なら翌日朝イチで電話をすることを予定の上のほうにくるように入れておくまで落ち着かない。そして、その相手方の始業後にいざ電話をすると要件を伝える前に吃って時間だけが過ぎていく夢を見たこともあるが、実際電話をしたときはなんとか要件を伝えられた。勢いあまって吃った時間もあったけれど、変更で手数をかけることを詫びて相手方の了承を得るまで実際は30秒弱で済んだのだった。

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