石になった鯨、八戸太郎【西宮神社】
八戸市鮫町の恵比須浜、ここに西宮神社があります。
(写真は全て以前に撮ったものとなります)
鳥居をくぐり、少し歩くと右側に鳥居と本殿。
御祭神:事代主命(恵比寿)
この神社には、石になった鯨の八戸太郎のお話があります。
昔々、ここは鮫浦と呼ばれていました。
ある時、何日も海が荒れ漁に出られない日が続きました。
このままでは食べる物も無く、生活も出来なくなってしまう。
そう考えた一人の若者が、荒れ狂う海へ漁へ出て行ったのですが、あっという間に荒波に舟はのまれ、荒れた海に投げ出されてしまいました。
もうダメだ。
若者が諦めかけた時、一匹の大きな鯨が現れ若者を岸へと連れ帰ってくれたのでした。
村人たちは鯨に感謝し鮫浦太郎(八戸太郎)と呼びました。
それからというもの、太郎はイワシの大群を引き連れて鮫浦へ来るようになり、鮫浦はそのイワシの漁で大変潤ったと言います。
鮫浦の漁師は太郎を神の使いと崇めるようになり、大切にしたのでした。
実はこの太郎、毎年、伊勢参りをしていました。
その行為は仲間の鯨からも認められ、神の仲間入りも近いとも言われていた鯨だったのです。
それから数十年、太郎と鮫浦の人々との平和な時が流れました。
しかしある年、毎年来るはずの太郎が鮫浦に現れません。
いくら経っても、来るはずの時期に現れない太郎。
心配しながら太郎が現れるはずの海を、毎日眺めて待っていた漁師たち。
そんなある朝、とんでもない光景が鮫浦の浜に広がります。
一匹の大きな鯨が何本ものモリを受けて息絶えていたのです。
大騒ぎになる村。
打ち上げられた鯨の近くに寄ると、それは毎年元気に浜へやってくる太郎の変わり果てた姿でした。
太郎の受けたモリには熊野浦と刻印がありました。
その年の伊勢参りも無事に済ませ、鮫浦へ向かっていた太郎は、不覚にも紀州熊野浦の漁師のモリに打たれ、それでも最後の力をふり絞り鮫浦までたどり着き息絶えたのでした。
浜はそんな太郎の亡骸を前に、大きな悲しみに包まれました。
その後、八戸太郎の亡骸は石となり、鮫浦の人々はここに西宮神社を建ていつまでも太郎を偲びました。
そして石となった太郎は、今も変わらずこの場所で浜を眺めているのでした。
と、ここまでは鯨と漁師たちの悲しくも暖かい話となるのですが、明治にこの浜は血に染まる事になります。
明治42年、鮫村は東洋捕鯨株式会社を誘致を決めます。
あろうことか、この太郎が眺める浜で鯨を手当たり次第に捕鯨し、解体をしたのです。
一帯の海は血の色に染まりました。
東洋捕鯨株式会社は操業期間を越えても捕鯨を辞めず、それに怒った隣の湊村の漁師たちが事業所を襲撃し焼き討ちしたという事件が起きてしまったのでした。
鯨に恩を受けた村が、その恩を仇で返す。
そんな辛いオチがついた物語。
この東洋捕鯨事業所襲撃の話も、八戸太郎の物語と共に心に刻み、忘れてはならないと思います。
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