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理解・共感できなくても、応援はできる。~50歳を目前にして思うこと~

自分の身近な家族や仲間、友達が
何か新しいことを始めようとしている時。

本人は意気揚々と盛り上がっているんだけど、
その熱にまったく共感できないことがある。

共感できない理由はいろいろ。

・自分は興味・関心がないジャンル
・やろうとしていることが理解できない
・ひとりよがりに見える
・失敗するのが見えている
・本人の適性に合っていない(と感じられる)
・一緒にやろうとしている人が信頼できない

その他もろもろ。

今までのわたしは
自分が理解できないこと、
共感できないことを
やろうとしている人たちに対して
ものすごく否定的だった。

言わばストッパーで、
あれこれダメ出しして
その人の”やる気”や”意欲”を失わせる人だった。

でも、50歳を目前にして考えを改めた。

「やりたいことは、やったらいい。」

アクションを起こせば
何らかのリアクションが起きる。
そのリアクションをもとに
トライ&エラーを繰り返しながら
自分のやりたいことを磨いていけばいい。

思うようにいかないほど
試行錯誤して経験値は上がっていくから。

「思うようにやればいい。」

うまくいかないほど
その人が努力して成長するチャンスだから。

理解・共感できなくても、
応援はできる。

実際に力を貸す貸さないは別にして
背中を押してあげることはできる。

年を重ねてきたからこそ
行動を起こすことで得られる経験の価値がわかる。

だから、誰かの経験の機会を奪わないこと。

そしてうまくいかなかった時
「ほら、やっぱりね。」ってバカにしないこと。

何かに挑戦した勇気を受け止めてあげる。
その上で新たな挑戦を応援してあげる。

それが若い人たちに対して
年長者が果たす役割なんじゃないかな。

自分の経験のものさしでは
相手の未来をはかれない

特にこれまでと生き方も価値観も
大きく変わる風の時代はなおさら。

だから、若い”芽”をつぶさないことだ。

雨風に吹かれながらも
やがてその芽は大地にしっかりと根を張り
空に枝を伸ばし葉を広げて
誰かの人生に安らぎを与える大樹になるから。

誰かを応援する力は
誰かに応援される力になる。

・・・そっか。
風の時代は縁に応える”応縁”の時代なんだ。

来たる50代、わたしはたくさん”応縁”していこう。

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