大河ドラマ光る君へ感想(第36~40回) ~"君を置きて"の"君"はだれ~
どうも、古の平安中期オタク(中関白家推し)です。
ついに一条天皇の御代も終わりました……な40回。
↓前回
彰子様 皇子ご出産
1008年、彰子様が皇子(敦成親王)を産んだことで、完全に中関白家VS道長の戦いに終止符が打たれました。1001年の定子様崩御の後も、中関白家は一条天皇の第一皇子(敦康親王)という最強カードを持っていたので、立ち回り次第ではもうちょっと上手くやれた気もしなくもない。(ひどく描かれすぎではあるものの)伊周がトップに立てる器ではなかったというのは事実なのでしょうが、最期まで哀れすぎました、伊周…。
それにしても道長、綺麗な政治をするために権力を盤石なものにする云々と言っていましたが、普通に権力と財が欲しかっただけな気がしますけどね・・。
紫式部日記の五十日の祝い
敦成親王ご誕生に際しては、紫式部日記の映像化盛りだくさんで大興奮でした。やっぱり紫式部日記と言えば、五十日の祝いの公卿たちの泥酔パーティーですよね!(※私見)
実資が衣の枚数数えるくだりは、紫式部が憧れの実資に勇気出して話しかけるというドキドキシチュエーションだったはずなのに、ロバート実資がただの泥酔おじさんになっていて笑いました。
そして公任の「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」キターーー!
公任もただの泥酔うざ絡みおじさんで笑いました。
清少納言が引退していない件
清少納言が脩子内親王にお仕えしているという設定は、中関白家推しとしても自然に受け入れられる感じで良いですね。通説では定子様崩御後に宮仕えを辞し、再婚して摂津へ下ったとなっていますが、それをこのドラマでやってもつまらないですし…。
源氏物語も読んで作者に直接感想言ってるし(笑)、清少納言と紫式部が面識があった設定を最大限活かしていて良いかと思います。
枕草子を政治の道具として積極的に利用したかったのか?というのは疑問ですが、脩子内親王にお仕えしている立場なら、敦康親王を東宮にしなかった道長サイドに怒り新党だろうしなあ…。
(私、清少納言と行成の絡み大好物侍なのですが、こういうストーリーなら作中で全く絡ませなかったの納得できます。夜をこめてまでやっちゃうと、本筋と関係ないところで話が複雑になりすぎる…)(それはそうとして別で清少納言主役のドラマ作って欲しいナ……)
一条天皇崩御
敦成親王立太子は権記の映像化
・大江匡衡の占いを几帳の隙間から見てショックを受ける一条天皇
・行成の説得(清和天皇の話をして敦成親王の正当性を説明&そもそも敦康親王立太子については道長が承知しないと脅す)
・彰子が事後報告を受けてブチギレ
すごい、ぜんぶ権記で読んだやつだ!権記の映像化だ!そんなことある?(笑)
公式にも全部まとめてありました↓
これまで皇后か中宮が産んだ第一皇子が立太子できない例はなかったのに、道長がこのタイミングでの敦成親王立太子をゴリ押ししたのは、道長が当時46歳で先が長くなかったから、と権記の倉本先生解説にありました。まあ、綺麗ごとじゃなく、権力欲だよね……。
露の身の 風の宿りに 君を置きて
望んでいた敦康親王立太子が叶わず、病状が重くなるなか譲位・出家する一条天皇。辞世の句の「露の身の風の宿りに君を置きて 塵を出でぬることぞ悲しき」を残して逝かれました。
君=定子様or彰子様論争が昔からあるのですが、本ドラマでもどちらとも解釈できるように作られていて良きーー!
普通に考えて、君=そばにいる人=彰子様、ですし、一条天皇晩年の彰子様への信頼は確かなものになっていったと思うので、彰子様と解釈するのが自然です。
一方、定子様説の根拠は、定子様辞世の句(煙とも雲ともならぬ身なれども 草葉の露をそれとながめよ)へのアンサーと考えられること、そして、権記に皇后と書いてあることです。倉本先生の解釈では、行成が「皇后=定子様」と書いているので、一条天皇の心は最期まで定子様にあった、ということのようです。中関白家推しとしては、こちらの説を推したいです。
塩野さんのインタビュー読むと、本ドラマにおいては、君=定子様かつ彰子様というのが美しくはまる解釈な気もしますが。
それにしても、美しい字で、泣きながら「御志在寄皇后」と書いている行成……良きです。
今回は以上です。
ところで大河ドラマって全何話なんでしょうか?昨年同様48回で終わり??
もう10月末だし、作中1011年だし、キラキラ装飾した「この世をば」でフィナーレでしょうか???
中関白家サイドにはもう清少納言と隆家しか残っていないので、ラストで多少なりとも見せ場があることを期待します・・。