「批判」と「非難」
ニュースサイト、SNS、Youtube、マンガ、新聞…
挙げればきりが無いほど、私の周りには膨大な量と種類の情報が流れては消えていく。そして、自分が選びたいと思ったところに手を突っ込んで情報を得ていく。
そう考えると、自分は相当に限定された情報のみで物事を判断していることになる。とはいえ、一個人が掴める情報量でも、流し作業で掴んでいくと結構な量になる。最近、未知のコロナウイルスについて調べる機会が多いが、質も種類も様々な情報を如何せんたくさん掴むから、余計にそのように感じる。
そうなると、日々言葉の意味の違いがごっちゃになっている事に気づく。掲題の「批判」と「非難」もその一つだ。
「批判」も「非難」も対象は同じく相手かも知れないが、目的とそれに基づく効果は大分違う。と解釈してる。
「批判」は、相手の主張の脆弱性を指摘することで自身の主張の正当性を証明することが目的とされる。それにより、自分も自信の主張の質に関して比較検討が出来てブラッシュアップすることができる。また、脆弱性を指摘された相手も、より己の主張の正当性を高めるためのヒント、改善の方向性を獲得することができる。
正当な「批判」は双方にとってメリットがあるものだ。
では、「非難」はどうだろう。
非難の目的は
①主張の正当性に限らない、又は関係しない相手の主義や機微情報に向けて相手を貶すこと
②自分の主張を認めさせること
③自分の主張を相手に無防備に聞かせること
だと考えられる。
その効果として、
①相手のやる気を削ぐ
②自分の優越感を挙げる
事が期待できるだろう。そうなると、双方にメリットがある「批判」とは異なり「批判」はそれを実行した本人にしかメリットがないことになる。
コロナが世界に蔓延するこの世の中で、様々な問題に関してSNS等で発言する人々を多く見かける。だが、ある程度は「批判」ではなく「非難」に終始している。そこには「非難」される相手は見えておらず、自分・この瞬間のみしか見えていない。
様々な情報をインプットして、そこから自身の主張を発信するとき、それは「批判」なのか「非難」なのか、余裕を持ってよく考えていく事が今この状況ではより一層求められると思われる。コロナでめまぐるしいスピードで社会が変革している今こそ、「批判」は大きな力を発揮するだろう。
といっても、中々相手の気持ちを理解することが苦手な自分には全部ブーメランであるが。。。自戒したい。
初投稿がこんなんでいいんだろうか。。。