すべて受け入れる魔法の言葉
今思えば、私の人生は、不自由の連続だったと思います。小さい頃は本当に貧しかったです。金銭的に周りの人と比べて、貧乏な生活をしていると思っていました。家族全員で外食なんて1度も記憶にありませんし、自家用車も年式の古い車か、無い場合がほとんどでした。父親は私が中学生の時に、脳梗塞を発症して以来、入退院を繰り返していました。良性の腫瘍と言われていましたが、最後は、悪性に変わり、手術を受けた後も入院を余儀なくされ、最後の2年間は寝たきりで意思疎通も困難でしたが、結局、56歳で帰らぬ人となってしまいました。私については、小学生の時から運動は苦手でしたし、大した才能もなく、計算も遅かったですし、勉強も好きではありませんでした。本も読むことが苦痛で、人とのコミュニケーションを取ることも苦手意識がありました。自分はよくいじめのターゲットにされていましたので、度々いじめられましたし、その都度、対処法が分からず、我慢して耐えるようにしていました。親にも心配をかけたくないので、一人で辛い時間が過ぎるのを待っていましたが、自殺したくなる瞬間もありました。そんな時は明るい未来を信じて、きっと大丈夫、止まない雨が無いようにいつか晴れる日が来ると信じ続けました。
そんな過去について、他人と比べてしまうと、暗く悲しい思い出になりますが、自分はまったく気にせずに、特有の考え方を持っていました。母親の影響だと思います。母親は「よそはよそ、うちはうち」が口癖でした。その言葉を信じて私も同じように考えていました。また、嫌な思い出は、2度と思い出さないように鍵付きの箱の中に封じ込めることが習慣になっていました。
それでも大人になってから、過去を振り返ってみると、心の中に当時、処理できなかった感情の残骸が取り残されていることに気づきました。ある日、過去の事実は変えられないですが、過去に起きた事実の解釈は変えられることを教わりました。
自分の過去に起きたすべての出来事に新たな意味付けしようと思いました。そして、そのすべての出来事に関して、ポジティブな意味を持たせようと考えたんです。
その方法は、、、、、感謝して受け入れることでした。
私の中で、感謝は、「受け入れること」「受け取ること」「頂戴すること」を意味します。
不謹慎というのは承知の上で、私にとって、父親が死んで良かったことはなんだろうか?感謝すべき点はなんだろう?と自問自答していきました。
父親が若くして病死して、感謝すべきポイント
■健康寿命は、人生において貴重な財産であることを学べた。
■病気になると本人はもとより、周りの家族も同じくらい辛いということを知ったこと。
■莫大な借金は、心と身体を蝕むということを学べたこと。
■経済的に親に甘えられず、自分で自立する道しか残されてなかったこと。
■死亡保険は、家族の為に入っておく必要があることを学べた。
■いざという時に頼りにできるのは、家族や親戚だということを学べた。
■人間はいつか死ぬのだから、死ぬまでに後悔なく生きようと決意できたこと。
たくさんの学びや決意があり、1つ1つに「ありがとう」と気持ちで受け入れていきました。
どんなことでも感謝できる点があることを知り、すべて受け入れることで、私の中で辛かった出来事はすべて感謝しかない状態になっていきました。過去は、解釈次第でいくらでも認識を変えられることに気づき、過去の記憶と向き合えるようになりました。
「ありがとう。」は
私の生涯で一番使う魔法の言葉になりそうです。
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