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【読書】社会心理学者 加藤諦三‐感情を出したほうが好かれるを読んで

はじめに

私は、とあるコールセンターの派遣オペレータと申します。

本日は、コミュニケーションにおけるマインドセットを加藤諦三さんの本からご紹介・学んでいきたいと思います♫

宜しくお願いします!✍️


「かたち」で生きてきたものは「かたち」を失うことを恐れる。

山を登ったという事実がほしい。

「私は、〇〇という山を登った。」

登りたいから山に登るのではなく、登ったという事実を自分の経歴に取り入れるために登っている。

「かたち」で生きてきたとは、中身なく生きてきたことだ。

ギクッとする人は、いると思う。

中身とは、その過程で得た気づき・感情だ。

「この山は、地面は柔らかく道は狭くて登りやすい。」「この山の木は、枯れているな」「登山開始してから2時間後にいつもへばるよな。」

中身とは、山登りの過程で、気づき・感情は人それぞれ異なるから個性は産まれる。

「かたち」で生きてきた人は、この中身がなく、山を登ったという同じ事実を持っている人に過ぎない。

「かたち」を求めた人は、気づきや感情を得るために、山を登っていない。

「かたち」の希少性を〜という山は、誰でも登れない。価値のある山なのだ。と自慢・アピールする。

似た仲間に、「これこれ山に登ったんだ。この山は世界に〇〇しかなくて、▲▲なのよ。」

山に対する外側からの評価に頼る。

山を登ったて得られた気づき・感情は、そこにはない。


動機

「かたち」を求めて山登りした人の動機は、〜という山は希少性が高い・ブランド力があるという事実に着目して、

自分自身が、山登りをしたいか/山登りが好きかは無視して、体験を求めに行っている。


さいごに

「かたち」だけで生きてきた人にとって、自分の中身のなさ、虚しさにどこかのタイミングで気づいている。

しかし、その虚しさから目を背けるか/背けないか。

それは、現実と向き合うか向き合わないかなのかもしれない。

「かたち」で生きる虚しさ、私も「かたち」にしがみついて生きてきたからこそ手放す怖さ・勇気のいる行為だとわかる。


おわりに

とあるコールセンターの派遣オペレータよりお送りしました。

noteの更新、久々となってしまいましたが、興味深いコンテンツを皆様に届けたいと思っています。

陰ながら応援してくださりますと幸いです!

お読み頂き、ありがとうございました😊

bye〜


追記

今日は、仕事休み、明日から3連勤です。
行ってきます!

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