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伊川津貝塚 有髯土偶 42:塩土老翁も徐福

愛知県岩倉市北島町の白髭神社(しろひげじんじゃ)廻廊の西側には河原石で石垣を組んだ逆L字型の基壇は築かれ、複数の境内社と石碑が祀られていた。

愛知県岩倉市北島町 白髭神社
岩倉市北島町 白髭神社 境内社群

下記写真が北島町 白髭神社の境内社群だが、写真右側が廻廊で、写真奥が本殿側。

愛知県岩倉市北島町 白髭神社 境内社群

逆L字型の短い棒の部分に南向きに祀られているのが1基の板碑。
そして、長い棒の部分奥から1基の石碑、2棟の連棟社、最も手前に境内社津島社が単体で祀られていた。

板碑には頭頂部に角丸の凹刻枠取りがあり、「國幣中社」(こくへいちゅうしゃ)とあるが、これは神社の社格のことで、大中小に分けたうちの「中」に当たる社格の神社であることを示している。

北島町 白髭神社 境内社鹽竈神社板碑

この枠取りのすぐ下に文字なのか図版なのか不明のスペースがあり、その下に「鹽竈神社」(しおがまじんじゃ)と刻まれ、板碑には注連縄が張られている。
この鹽竈神社とは宮城県塩竈市にある総本社のことだ。
この総本社鹽竈神社は式外社で、陸奥国(むつこく:現・福島県、宮城県、岩手県、青森県、秋田県の一部)一宮で祭神は以下となっている。

別宮:塩土老翁神(シオツチノオジ:主祭神)
左宮:武甕槌神(タケミカヅチ)
右宮:経津主神(フツヌシ)

総本社鹽竈神社 社伝

「塩土老翁」は『日本書紀』と『先代旧事本紀』で使用されている名称。
総本社鹽竈神社の社伝によれば、武甕槌神と経津主神は、塩土老翁の先導で諸国を平定した後に塩竈にやってきたとする。
そして、武甕槌神と経津主神はすぐに去って行くが、塩土老翁はこの地(現・塩竈市)にとどまり、人々に漁業や製塩法を教えたとされている。
武甕槌神を祀った鹿島神宮と経津主神を祀った香取神宮の2神宮は陸奥国へ向かう入り口に祀られた神宮だ。
塩土老翁神は北島町 白髭神社の主祭神猿田彦命の別名とみられる。

逆L字型の長い棒の最奥で廻廊のある東向きに祀られていたのが石碑に大きく「庚申」(こうしん)と刻まれた庚申塔だった。

北島町 白髭神社 境内社 庚申塔

庚申信仰に関しては以下の記事「●庚申塔」の項目に詳しい。

上記庚申塔の南隣には「金刀比羅社・多賀社・稲荷社」を合祀した3連棟社が祀られていた。

北島町 白髭神社 境内社3連棟社

上記3社の中で多賀社の総本社は滋賀県犬上郡多賀町にある多賀大社で、イザナギ&イザナミを祀っている。
全国に二百数十社が存在する神社だ。
『古事記』の写本のうち真福寺本には「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」(伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり)との記述があり、これが総本社多賀大社の記録だとする説があるという。

上記3連棟社の左(南)隣の3連棟社には「八幡社」、「神明社」、「春日社」の3社が祀られていた。



北島町 白髭神社社頭脇に駐めた愛車で、白髭神社東側の道路の向かい側に祀られた御嶽山(おんたけさん)の福寿講社に向い、福寿講社の道路の向かい側にある北島町 白髭神社の回廊脇の石垣沿いに愛車を駐めた。

西向きに祀られた福寿講社社殿は瓦葺入母屋造棟入で旧社殿のガラス格子戸を流用したと思われる総白壁造の建物だった。

愛知県岩倉市北島町 御嶽山 福寿講社

参道の両側には3本の白地に白地に「講祖壽覚霊神」と墨書きされた幟が立てられている。
「講祖壽覚霊神」は福寿講を創立した人物の名前だが、読みに関する情報が見当たらない。
参道に入り、社殿前で軒下の扁額を見上げると、そこには金箔押しされた「御嶽山 元祖 福寿講社」の文字が浮き彫りされていた。

岩倉市北島町 御嶽山 福寿講社 社殿 扁額/注連縄

福寿講の人たちの社殿なので、ここでは参拝はしなかった。

社殿内の様子も覗かないようにしたが、右脇に「宝物殿」の表札を銅板葺切妻造妻入で扉以外は、やはり白壁の建物があった。

北島町 御嶽山 福寿講社 宝物殿

防火対応した建物のようで、黒鳶色に染められた鉄の扉が閉じられている。

幟にも付いているが、鉄の扉には真鍮でレリーフにされた違い山形に縦木瓜の神紋が飾られていた。

北島町 御嶽山 福寿講社 宝物殿扉 神紋

(この項終り)

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福寿講社の神紋、「違い山形に縦木瓜」ですが、パーツになっている違い山形からすると、御嶽山は峰が二つある山かと思う人もいるかもしれませんが、峰は一つだけの独立方です。ただし、火山としては富士山に次ぐ第2位の標高3,067mの山です。神紋の縦木瓜のパーツは「木瓜紋」(もっこうもん)です。木瓜(きうり)は波に乗って寄り付くモノでもありますが、新羅の曽尸茂梨(そしもり)から渡来したとされているスサノオを示す神紋でもあります。


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