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御用地遺跡 土偶 34:一姫の正体

ここからは安城市の御用地遺跡周辺に存在する神社を巡ります。
御用地遺跡内には隣合う2企業の用地が1ヶ所、霊園が1ヶ所あるのみ。
あとは全て水田用地で、神社仏閣は存在しません。

●後頭部結髪土偶

御用地遺跡の最も近くにある神社は一姫神社(いちひめじんじゃ)で、その社地は御用地遺跡の南120m以内に位置していた。

1MAP一姫神社

一姫神社は非常に小さな神社で、神社庁リストにも記載が無く、目印は石造の明神鳥居だった。

1一姫神社

社頭には2車線しかない県道230号線が東西に延びており、一姫神社の表参道はその230号線と直角ではなく、45度くらいの角度で北東に延びていた。
社地の一般道に面した場所には自然石が並べられ、東側の水田地と西側の私道に面した側は並木となっており、鳥居の奥には銅版葺の社殿。
社殿の裏面と西側には4軒の住宅が並んでおり、周囲は畑地に囲まれていた。
一方、一姫神社の向いている230号線をはさんだ向かい側は住宅で埋まっていた。

参道に入って鳥居の社頭額を見上げると、「村社一姫神社」とあった。

2一姫神社鳥居

3段しか無い石段と一対の狛犬を構えた銅版葺流造の社殿までは10mもない。
境内には案内書や由緒書は見当たらず、社殿前で参拝して境内社がないかと脇に回ってみると、拝殿は省略されており、本殿のみの神社であることが判った。

短い参道の右手には複数の石が配置されており、磐座かと思ったが、その石群の中に230号線に表面を向けた石碑が混じっていた。

3一姫神社古跡碑

石碑には「一姫神社古跡」と刻まれていた。
社号標ではないので、一姫神社は消滅していた時期があり、近年になって、廃社になった神社の本殿を流用して再興されたものかもしれなかった。

ネットで「一姫神社」を検索してみたところ、「一姫神社」はヒットせず、「市比賣神社(いちひめじんじゃ)」がどっとヒットした。
すべて同じ京都市下京区河原町の市比賣神社の情報で、市比賣神社は一姫神社の本社である可能性があった。
ただ、この2社に関わりがあるとする情報があるわけではないので、市比賣神社がどんな神社なのか知ることで、安城市柿崎町にある一姫神社が系列の神社なのかどうか検証するしかなさそうだった。

市比賣神社には公式ウェブサイトと思われるサイトが存在した(https://ichihime.net)。

その案内書には以下のようにあった。

御祭神は全て女神様をお祀りしているところから女性の守り神とされ、女性全ての願い事にご利益があります。特に「女人厄除け」の神として厄除け女性の参拝者が全国から絶えません。  

平安時代より市場の守り神である市比賣社は、多くの人々で賑わっていました。昭和2年日本で初めて「中央卸売市場」が京都に開設された折、分社として「市姫神社」が祀られています。「五十日百日之祝」(いかももかのいわい)は生後五十日目か百日目に当社より「五十顆之餅」を授かり健やかな成長を祈り子供の口に含ませる現在のお食べ初めの発祥として知られています。源氏物語など多くの古典文学にも描かれ、歴史にその名を残しています。

中央卸売市場に市姫神社が祀られたのは社名に「市」が入っていたからだろう。
それはともかく、この案内書によれば、市比賣神社と一姫神社のある安城市柿崎町とに関係があるようには思えない。
しかし、祭神をみると以下となっていた。

・多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
・市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)
・多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)
・神大市比賣命(かみおおいちひめのみこと)
・下光比賣命(したてるひめのみこと)

全て女神だが、「イチヒメ」の社名になっている神大市比賣命が祀られている。
神大市比賣命の「神大」と「命」は尊称であり、実名は「イチヒメ(市比賣)」である。

さらに以下のような系図が紹介されていた。

1系図

多紀理比賣命・市寸嶋比賣命・多岐都比賣命の宗像三女神(むなかたさんじょしん)はアマテラスとスサノオの宇気比(うけい=占いによる契約)によって生まれた3姉妹。
神大市比賣命は稲荷神=宇迦之御魂神(ウカノミタマ)の母親である。
一姫神社の存在で確信を得たのだが、安城市の神社の特徴として、著名な神(天津神)に関わる稀有な神(国津神)、あるいは著名な国津神を知られていない別名で祀ることにこだわりがあることを感じていた。
これは『古事記』史観から『日本書紀』史観に転換した明治政府に抵抗する姿勢でもある。
安城市は徳川家康のお膝元である岡崎市に隣接する地域なのだ。
農耕を中心としている地域で稲荷神(宇迦之御魂神)が祀られていることは多いのだが、一姫神社の祭神が市比賣神社と同じ神々を祀っているか、単独で神大市比賣命を祀っているのなら、宇迦之御魂神の親神を祀っていることになる。
小生は境内社を含めて、本州のかなりな数の神社を巡っているが、神大市比賣命を祀った神社には1度(愛知県津島市)しか遭遇したことがない。

すでに紹介している竊樹神社(ひそこじんじゃ)の場合は

稲荷神を祀っているのにも関わらず、社名を稲荷神社とせず、主祭神も宇迦之御魂神とはせず、その別名である御気津神(みけつかみ)としています。

また、碧海山古墳(へきかいさんこふん)の墳頂には農耕神のアマテラスを祀るのではなく、伊勢神宮(内宮主祭神:アマテラス)を祀った倭姫命(ヤマトヒメ)の方を祀っています。

もちろん、倭姫命を主祭神として祀った神社は他で遭遇したことがない。

また、市比賣神社に祀られている下光比賣命は、同じく市比賣神社に祀られている多紀理比賣命と大国主神の間に生まれた娘で、やはり祀られているのは珍しい神だ。

市比賣神社では水神(宗方三女神)・農耕神(宇迦之御魂神)・雷神(下光比賣命)が祀られているにも関わらず、女人厄除け・市場守護神・食物神としての神格がクローズアップされている。
これは祀られている場所が都であったからだろう。
しかし、本来なら御用地遺跡のような水田耕作地にふさわしい神々なのだ。
五穀豊穣を表すものとして注連縄が存在するが、食物神として雷神(下光比賣命)が祀られる例は珍しい。
注連縄には〆の子(しめのこ)と紙垂(しで)が下がっている場合があるが、和紙をジグザグに切った紙垂は雷を意味し、藁が短冊状に下がった〆の子は雨を意味する。
つまり雲(注連縄)から雷光が落ち、雨が降る様を表したものが五穀豊穣をシンボライズする注連縄の全体像なのだ。

御用地遺跡の中央部から一姫神社方面に延びる用水路が設けられている。

4御用地遺跡用水路

撮影したのは12月中旬のことで、用水は止められていた。
そして、この用水に関係してくるのだが、「一姫」の候補者は神大市比賣命だけではない。
同じく市比賣神社に祀られている市寸嶋比賣命もまた、神大市比賣命と同じく、名前に「市=一」を持っている。
実のところ、一姫神社の祭神が水神・市寸嶋比賣命と考えるなら、一姫神社の周囲を取り囲んでいた水田に水を供給するために市寸嶋比賣命が単独で祀られたと考えられ、神社庁リストに記載が無く、拝殿を持たずに本殿のみで祀られている理由の説明にもなるのだ。
つまり、当初(明治時代以降)は小祠という形で用水路脇に祀られた市寸嶋比賣社が発展して現在のような最低限の境内を持った一姫神社となったものとも考えられるのだ。
「一姫」とは「一柱の姫」であり、単独の市寸嶋比賣命(=弁財天)を指している可能性も考えられる。

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安城市ではほとんどの神社に由緒書は掲示されてなく、境内社にも表札がつけられていないので、現場で未知の情報に遭遇することはほとんどありません。
巡るには、はなはだ楽しみの少ない地域です。
観光資源は多いのに、地元の意識は観光業には向かっていない、実業の地域です。
観光客が殺到するパワースポットに興味の無い人にお勧めの地域です。

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