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中条遺跡 土偶A 26:空海の御衣木

赤目樫元弘法(あかめかしもとこうぼう)に寄った後、中条遺跡(刈谷市重原本町)の東側を流れている長篠川の西側の堤防で予想外のものに遭遇しました。

●中条遺跡 土偶A

長篠川の西側の堤防に面して(下記写真 橋のすぐ右側の森の中の手前端)小屋があった。

6赤目樫元弘法長篠川

最初にこの堤防に上がった時は、その小屋の脇に愛車を止めたのだが、水田の中にポツンとある赤目樫元弘法を観たことで、その小屋が気になった。
それでその小屋の裏面(堤防の反対側)を覗いてみたところ、何と!不動堂であることが判った。

6MAP赤目樫元弘法(入口)

それは瓦葺切妻造棟入の小さな堂で、格子戸には赤目樫元弘法と同じように涎掛けが結び付けられていた。

7赤目樫元弘法不動堂

しかも、6枚も。堂脇には赤地に「南無大聖不動明王」の文字が白抜きになっており、不動堂であることが判った。

堂内を覗くと、天井の無い白壁の堂内の中央には巨石が据えられ、その石を基壇として、後背を火炎に包まれた不動明王の石像が奉られていた。

8赤目樫元弘法不動明王弘法大師

不動明王の足元には赤目樫元弘法の弘法堂内に敷き詰められていたのと同じ赤い毛氈を敷いた壇があり、3体の弘法大師坐像石仏。
両端には弘法大師立像が奉られているのだが、向かって右端の立像はこの堂内唯一の着彩木像だった。

不動明王は両腕で何かを抱えているように見えたのだが、よく見れば、右手に立てた剣、左手に索(さく:紐)を持った、通常の不動明王像だった。

9赤目樫元弘法不動明王

しかし、この不動明王像、身体の中心軸から頭部が明らかに右にズレている。
この不動堂の前の地面にエメラルドグリーンの宝石のようなものが落ちていたので、何だろうと見てみると、それは梅の実だった(ヘッダー写真)。
不動堂の前には梅と松の樹があったのだ。
そして、不動堂の向いている東方向の森の中には何かが奉られていた。
その入り口には「☞三弘法御衣木霊場」と刻まれた霊場碑があり、奥に手水桶と土管が見えている。

10三弘法御衣木霊場

御衣木(みそぎ)とは仏像を製作するのに使用する木材のことだ。
この森から霊場碑に刻まれた「☞」の方向を森の外に出て見てみると、その先にはさっき見てきた、赤目樫元弘法の森があった。

11赤目樫元弘法

この森から赤目樫元弘法の森まで60m以内で、その間は現在はすっかり水田になってしまっているが、かつては長篠川沿いの丘陵上に山門があって、そこから赤目樫元弘法の森まで参道があった可能性がある。

霊場碑の奥には縁石で囲われたプールがあって、その中に弘法大師座像石仏とひび割れた手水桶は置かれていた。

12見返弘法大師

弘法大師石仏脇には赤目樫元弘法の森にも立てられていた、白地に「見返り弘法大師」と墨書きされた幟が1本立てられていた。

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この堤防に面した丘陵上にある森は“霊場”という名にふさわしい雰囲気のある森でした。

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