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80年代の日本女性とフランス男

《この記事はいつもの記事ではなく挿入記事です。》

目の前にあるのはモーターサイクル雑誌「CYCLE WORLD」創刊2号です。引き続き日本の黄金時代(80年代)にタッチしてみよう。この号では創刊号に見られたご祝儀広告が姿を消したために、広告が半減しています。内容は1983年度の鈴鹿8時間&4時間耐久レースの速報と世界GP第9戦ベルギー・ラウンドを伝えているものの、記事としては地味でした。そして、メインの記事は日本の女性ライダーとフランスのモーターサイクルに関わる男たちの紹介でした。80年代の日本女性たちは果たして如何。そして、2号目にして、CYCLE WORLD誌が米国版CYCLE WORLD誌の日本版であることを知りました。
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CYCLE WORLD探検記 2 (1983.09号)

創刊2号の表紙は白人の男性モデルとオフロード車をスタジオで撮影したもので、グラビア頁に日本で制作された6ページの関連記事がありましたが、メイン記事とは言いがたく、ここでは紹介できませんでした。

◼️女性たちの2輪車への進出◼️

創刊2号の目玉になっているかは別にして、それを目指したカラーグラビア記事が以下だった。

CYCLE WORLD誌 カラーグラビア(P36・37)

その記事タイトル。

バイクと暮らすのが、
イイ女の新しい習慣です。

CYCLE WORLD誌 カラーグラビア(P36)記事タイトル

女性に対する「イイ女」という形容が生まれたのは日本の黄金時代ならではの出来事だったのかもしれない。
6人のテイスティ(魅力的)な女性たちが紹介されている。
その一部を紹介する。

下記カラーグラビア左頁はスタジオでのイメージ撮影で、スタイリストが入ったモデルさんたちだ。

CYCLE WORLD誌 カラーグラビア(P38・39)

さすがプロがスタイリングしているだけあって、今の価値観で見ても格好いい!

右頁下の愛車に跨った女性はファッション・モデルの林ヒロ子さん。
34歳で愛車はホンダCB250RS。
モデル業の合間にテキスタイルメーカーのヨーガンレールでアドバイザーも務めているという。
モデル暦10年の林さんは買い物バイクに乗るようになったのがきっかけで2輪車のオモシロさにハマり、中型免許を取得して、愛車を手に入れたという。
バイクに乗っていてもバイクウエアーにはまったく興味はなく、ファッションモデルの価値観で着衣を選んでバイクに乗っているという。
彼女の紹介写真から感じる違和感の元はそこにあるようだ。
今、手に入れたいと考えているバイクはヤマハSRだという。
やはりファッション・バイクだ。

二人目は林邦子さん。

CYCLE WORLD誌 カラーグラビア(P36)

東京の広告代理店に勤める25歳のアートディレクターで、愛車はHONDA L250S。
バイク暦7年になるが、きっかけは高校通学のために父親が買ってくれたホンダ ダックス(小型2輪バイク)だったという。
大学卒業後、中型自動二輪免許を取得。
オフロード車のL250Sをチョイスしたのは自然の中に簡単に入っていけるからだという。
愛車は通勤に使用しており、丹沢あたりに日帰りツーリングすることが多いというが、1982年の夏には能登半島を一周したという。
プラグ交換やチェーンの調整は自分でできる。
この先は400ccのロードバイクを手に入れて、北海道、九州を制覇したいという。

三人目は谷カオルさん。

CYCLE WORLD誌 カラーグラビア(P37)

20歳の学生で愛車はヤマハRZ250。
飛ばすためのバイクだ。
中学の頃からバイクに乗り始め、1年ほど前からレースに興味を惹かれ、サーキットを走行するようになったという。
写真で着用している革のツナギは伊達じゃないのだ。
レース資金作りにスイミングスクールでアルバイトをしているという。
レースを通して仲間の大切さに気づき、スタッフのために早くレースで勝ちたいという。

ここで紹介した3人の女性だけを見ても、その生活の充実度は、現在のキャンプ女子に通じるものがあり、紹介に使用されている写真以上なのが、記事としてもったいない。
そしてこの後、3年後に彼女たちが学習研究社が発刊する女性バイク雑誌「Lady's Bike」を支えるようになっていく。

        CYCLE WORLD誌(発刊〜休刊)=1983年〜1990年
                 日本バブル景気=1986年〜1991年
    学習研究社版Lady's Bike誌(発刊〜休刊)=1986年〜1992年
エルビーマガジン社版Lady's Bike誌(続刊〜休刊)=1992年〜1999年
クレタ社〜ヘリテージ社版Lady's Bike誌(新創刊〜不定期発行)
                       =2005年〜2019年

日本のバブル景気と完全にリンクしていたLady's Bike誌(学習研究社版)の、その後の変遷を見ると、2005年以降が本当に女性たちにモーターサイクルが定着した年とも言えるが、同時に雑誌の出版というメディア形態が衰退に向かってしまい、コロナ期で盛り上がったバイクブームを雑誌が継続して支えることはできなかった。


◼️モーターサイクルにハマったフランスの男たち◼️

次に紹介する記事は二輪車が人生に組み込まれているフランスの男たちの紹介だ。
海外のバイク関係者たちが日本のバイク雑誌で紹介されることは、まず無いので、CYCLE WORLD誌ならではの記事だと言える。

●見果てぬ大陸横断ラリー
一人目はオフロード・ラリーが人生の柱になっている37歳の実業家ミッシェル・マウニエ氏。

CYCLE WORLD誌 カラーグラビア(P72・73)

彼はオフィスのインテリア施工会社2社を経営しながら、出場の準備から出走を含めると2ヶ月以上を要するパリダカール・ラリーに自ら出場してきた。
そして、1983年のパリダカでは市販の改造車では飽きたらなくなり、ついにオリジナルのスペシャル・マシンを発注してenntori-したという。
しかし、近年のパリダカール・ラリーはファクトリー(企業)勢の競争が激しくなりすぎて、個人の参加では上位に喰い込むのが困難になってきているという。
それで、1984年でパリダカへのエントリーは最後にして、自ら長距離オフロードラリーをプロデュースすることにしたという。
コースは南米を横断するリマ→リオデジャネイロ。
パリダカに匹敵するビッグスケールのラリーになるという。
もちろん、自らもこのレースにエントリーするという。
その後、このレースが実現されたかは不明だが、2009年にはダカール・ラリー自体が南米で行われるようになり、2017年まで続いた。
この南米でのダカール・ラリーにミッシェル・マウニエ氏が関係しているかは不明だ。
その後、2020年と2022年のダカール・ラリーはサウジアラビアで開催されているが、それ以降の情報は無い。

●200km/hのクルージングを可能にするカウル
二人目はキングス・モーターサイクルのオーナー、ユベール・スメ氏。

CYCLE WORLD誌 カラーグラビア(P75)

しかし、この記事にはユベール・スメ氏に関する情報は、彼がロングツーリングのためのフルカウリングシステムを開発した男であることしか書かれてなく、写真と文章のほとんどが、そのフルカウリングシステムの紹介になっていた。
ただ、記事のイントロにはフランス人のバイク乗りをひとことでいうと、「より長い時間、より遠くへ走ること」である、とあった。
そして、彼らがそれを実行するためにはヨーロッパで充実している高速道路を利用することになる。
そこで、必要になるのが優秀なカウリングだ。
KING'Sブランドのカウリングは200km/hのクルージングを可能にし、雨の中での走行ではまったく濡れることが無く、寒冷期にはエンジンの熱気がライダーを温め、夏場はアンダーカウルを外せば熱気に悩まされることはないという。
KING'Sのカウリングはフランスのみならず、ヨーロッパ各国で高い評価を得ている。

●Dadaの男
三人目はレザーウェア「Dada」ブランドの生みの親アルバート・エーシュ氏。

CYCLE WORLD誌 カラーグラビア(P76)

もともとは彫刻家だったというエーシュ氏、現在は「ダダ」のオーナー、デザイナーにしてクラフツマンである。
13年前にレザーショップをスタートし、今や「ヨーロッパ一のバイクウェアショップ」、「水で洗えるレザーウェアのダダ」と評されるようになり、耐久レースの帝王J.C.シュマランやM.ルージェリーなど、一流のレーサーたちがダダの革つなぎやグローブ、ブーツをレースで愛用している。
そして、このエーシュ氏、ジャズ狂でもあるという。

◼️水冷V型ツインエンジン車◼️

創刊2号の裏表紙広告はHONDA VT25F INTEGRAだった。

CYCLE WORLD誌 創刊2号裏表紙 広告 HONDA VT25F INTEGRA

「VT25F」とは「V型ツインエンジン(2気筒)・250cc・4サイクル」を車種名にしたものです。
「INTEGRA」はホンダが4輪車にも使用している名称ですが、「統合する・完全にする」を意味する造語です。

この広告のキャッチ・コピーは以下。

250ccクラス初のフルフェアリング装備。
誕生、エアロダイナミクス・クォーター。

CYCLE WORLD誌 創刊2号裏表紙 広告 キャッチ・コピー

「フェアリング」とは「空気抵抗を低減するカウル」のことで、「エアロダイナミクス」は「風を整流して効率よく前進する技術」を意味します。
意味が解らなくても「凄そうだ」という雰囲気が伝わればいいというコピーだ。
それにしてもHONDA VTの水冷V型ツインエンジンは当時、スーパー・カブのエンジンとともに“傑作”エンジンと呼ばれ、私がもっとも長く愛車としたHONDA Vツインマグナ250にも流用されていました。
80年代から2000年代に渡って使用されたエンジンですが、元はVT25Fのために設計されたエンジンです。
HONDAのV型ツインエンジンは2006年にリリースされたモデルを最後に生産が終了しました。
一方、1958年から生産が始まった空冷4ストロークSOHC単気筒50ccのスーパーカブのエンジンは今も尚、現役です。

HONDAはこの号でも裏表紙を押さえ、他にも広告を出しており、広告の出稿量は最多で、バイク雑誌(=バイク文化)を支えている。
反対にCYCLE WORLD誌発刊元のCBS/SONY出版とはライバル関係にある音楽出版社を系列に持つYAMAHAは、 一切、広告を出していない。

◼️日本の黄金時代に相応しい二輪車◼️

表紙を開くと最初の見開き広告で見られたのはSUZUKI RG250γ(ガンマ)だった。

CYCLE WORLD誌 見開き広告 SUZUKI RG250γ

その広告のキャッチ・コピーは「栄光のウイニング・ヒストリー、今ここに。」だ。
「ウイニング・ヒストリー」とはスズキの7年連続で世界チャンピオンを獲得した歴史を指している。
そのレーサーの技術を市販車に還元したのが、出力自主規制ながら45psという強烈なパワーを発揮する水冷2サイクルの2気筒エンジンを搭載した軽二輪車RG250γだった。
エンジンの水冷化は強烈なパワーを発揮するために必要な機構だった。
同時代の4サイクル2気筒エンジンの出力が40psであったことから、その強烈なパワーが想像できるだろう。
そのことから、これらの速く走ることを楽しむための市販車は「レーサー・レプリカ(複製品)」と呼ばれた。
もう一つ、このレーサー・レプリカでは世界初の試みが成された。
それはこれまで、どんな高級車でも2輪車のフレームには円筒形の鉄パイプが溶接されて使用されてきたのだが、初めてγでアルミ製角パイプが採用され、乾燥重量131kgが実現されたのだ。
裏表紙の広告の同じ250ccのHONDA VT25F INTEGRAが155kgであることから、軽量な車体に大パワーのエンジンを搭載したγが別のことを目指した乗り物であることがわかる。
そしてそのフレームとエンジンを包み込んだ軽二輪車初のフルカウルを装着した車体は1983年から86年まで生産され、80年代初期の若者たちの垂涎の的となった。
RG250γは正に日本の黄金時代に相応しい「レーサー・レプリカブーム」の火付け役となった2輪車だった。

◼️一人前ライディング・マニュアル◼️

今号は実用記事で目に止まったものがあった。
上記のタイトルに「後ろ姿をリファイン(洗練)するための」というサブタイトルの付いた記事だった。

CYCLE WORLD誌 本文(P52・53)

記事の内容もOHTOME Kimiko氏のイラストレーションも解かりやすく、素晴らしかった。
おそらくOHTOME Kimiko氏は女性ライダーなのだろう。

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創刊2号探検では日本の黄金時代は感じられたでしょうか。バブルとはいえ、女性たちの生きる空間は少し広がったような印象を受けました。一方で、バブルとは無関係に大陸横断ラリーに関わろうとする人間のいた当時のフランスはバブル期の日本人にとっても眩しい存在でした。

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