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伊川津貝塚 有髯土偶 22:七神と猩々

愛知県名古屋市南区笠寺町の丹八山(たんぱちやま)から北東230m以内にある同じ笠寺町の笠寺七所神社(かさでらしちしょじんじゃ)に向かいました。両地とも、現在は完全な住宅地の中に存在しています。

愛知県名古屋市南区笠寺町 笠寺七所神社
名古屋市南区笠寺町 笠寺七所神社

途中、名鉄の踏切を西から東に渡る場所があって、このあたりの線路は容易に線路内に立ち入ることのできるようになっていた時代があったようで、子供たちが線路上に五寸釘を並べて車両の通過で釘がペシャンコになり、その平になった釘が磁気を帯びるようになったりすることがあったらしく、ここから東700mあまりの場所を流れている天白川は砂鉄が大量に採取できた時代でもあり、製造した磁気を帯びた釘と砂鉄で遊んだりしたそうです。

笠寺七所神社の社頭に着くと、社頭は南々東を向いており、表道路から舗装された表参道が奥に延び、表道路から10mほど奥に一ノ鳥居が設置されていた。

南区笠寺町 笠寺七所神社
愛知県名古屋市南区笠寺町 笠寺七所神社 社頭

一ノ鳥居の数メートル奥で表参道は右に折れているが、この神社の駐車場は一ノ鳥居をくぐったすぐ先の右手に入り口があった。

駐車場に愛車を入れて、撮影のために一ノ鳥居前に戻って来た。

名古屋市南区笠寺町 笠寺七所神社 一ノ鳥居

鳥居は石造の伊勢鳥居だが、笠木(上の横棒)が樹液で染まっている。
各地の鳥居の汚れの多くが樹液によるものだ。

一ノ鳥居をくぐって右に折れるとすぐ、二ノ鳥居があり、ここから表参道は登りの傾斜が強くなり、一直線に三ノ鳥居に向かい、三ノ鳥居の正面奥には拝殿が設置されている。

南区笠寺町 笠寺七所神社 三ノ鳥居

三ノ鳥居をくぐると境内は左右に平らに開け、正面には狛犬を従えた瓦葺切妻造棟入の拝殿が位置している。

笠寺町 笠寺七所神社 拝殿

拝殿の周囲には瑞垣が巡らされ、この日は神社幕が張られていた。
そして拝殿はしっかりと、丹八山上の平将門の首塚を向いている。
拝殿の軒下には竹笹の棒に結びつけた細い注連縄が申し訳なさそうに張られている。

笠寺七所神社 拝殿 拝所の頭上

この神社には国津神は祀られていないので、太い注連縄は必要ないということなのだろう。
ここに祀られた7柱の神は朝廷に謀反を起こし、新皇を名乗った平将門を調伏するために熱田神宮に祀られている神の中からセレクトされた七神となっている。
拝殿前で参拝したが、祭神は以下となっている。

一、須佐之男尊         
 ※草薙神剣(熱田神宮の神体)を手に入れた神
二、日本武尊          ※草薙神剣を継承した神
三、宇賀魂命(ウカノミタマ)   ※秦氏(須佐之男尊系)の神
四、天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)
 天照大御神と須佐之男命の誓約で生まれた長男
五、天穂日尊(アメノホヒ)   
 天照大御神と須佐之男命の誓約で生まれた次男
六、乎止与尊(オトヨ)      ※日本武尊の義父 
七、宮簀比売尊(ミヤズヒメ)   ※日本武尊の妻

by 山乃辺 時久

社殿の脇を眺めると、拝殿脇には例祭(10月上旬)の直後ということで、白い御神燈が並んでいた。
本殿部分は1.7mほどの高さの石垣上に設置され、やはり瑞垣が巡らされているのだが、拝殿より随分横幅が広い。
1844年(天保15年)に成立した『尾張志』には摂社に天王社(※須佐之男尊)須佐之男尊と子安社(※木花開耶姫命)とあるが、今も本殿両脇に祀られているのだろうか。

笠寺七所神社 拝殿/渡殿/本殿

笠寺七所神社の神紋は以下の「五七桐竹紋」となっている。

笠寺七所神社 五七桐竹紋

「五七ノ桐」は「五三ノ桐」と違って皇室を表すものであり、「竹」も皇族のトーテムである。
皇室・皇族に反旗を翻した平将門に対する神社であることを表明する神紋と言える。

拝殿の西の並びには「新町 秋葉神社」が祀られている。

笠寺七所神社 (境内社 新町 秋葉神社)

「新町」は旧い字名で現在は「上新町」と「下新町」に分割されているが、かつては城の存在した地域であり、秋葉神社を祀るスペースが無くて、新町ではない、ここに祀られたなどの事情があったのだと推測する。
50cmほどの高さの石垣上に玉垣を巡らせ、その中に社殿が設けられている。

3段しかない石段を上ると、瓦葺入母屋造棟入の秋葉神社で、前面全面が格子戸になっている。

笠寺七所神社 (境内社 新町 秋葉神社)

笠寺七所神社を氏神とする笠寺学区には20数町が存在し、各町内に1社づつ秋葉神社が祀られている。
そして、その各秋葉神社には基本的に笠鉾車(将門討伐の意か?)と神輿が各1基と猩々(しょうじょう)の親子3体、夫婦獅子が1対保持されており、それらが祭本番では各町内を練り歩き、最後にすべての町内が笠寺七所神社に集結する。
全町内が集結すると、笠寺七所神社内は満員電車内に近い状態になる。
以下は休息中の猩々2体。

笠寺七所神社 猩々/神輿

「猩」の文字に「星」が含まれているのは偶然か。
『本草綱目』(1596年成立)では猩々は現在のベトナム地域の人語を解する人面獣身の生物とされ、自らの血で毛皮を染める風習があったと説明されている。
実際の猩々の着ぐるみを見ると、「血で毛皮を染める」という説明はすごく納得がいく。
ほかに特徴としては酒好きとあるが、巨漢という説明が抜けているような気がする。
着ぐるみにしてあるための巨漢で、実際は人間と同寸くらいの生物なのだろうか。
日本では海棲生物(河童の海洋版?)とされたようだが、この海棲生物とう説明は祭りの様子ではまったくピンとくるものがないが、かつて笠寺七所神社のすぐ西側は海であったことと関係があるのだろうか。

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ヘッダー写真は祭の時に新町 秋葉神社前で休息をとる新町の逆鉾車(通称さかほこ)に乗せた子供の猩々を恐る恐る覗き込む女の子たち。実は猩々にあらん限りの罵声を浴びせて逃げ惑う男の子たちを追いかけ回して竹棒でぶん殴るのが祭における猩々の役割なのです。エキサイティングです😓

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