伊川津貝塚 有髯土偶 3:巨石・池・箱船
愛知県田原市伊川津町の伊川津貝塚と本刈谷貝塚(もとかりやかいづか)を結ぶレイラインを南から北に辿ることにしました。まずは辿れる最南端である「New Japan Beach」と名付けられた太平洋岸に向かいました。渥美半島の数少ない丘陵を伊川津貝塚のある北側から南に超えて国道42号線に出て東に向かい、若見交差点からNew Japan Beachに向かう唯一の通路に入ることができます。その通路は最初に住宅街を通り抜けると、海岸に向かって降りはじめ、両側は森に変わりますが、その森を抜けると坂道は終わり、突然目の前に太平洋の青い水平線が広がり、海岸に沿った広場に出ました。その広場に愛車を駐めて海岸に出ようとすると、海岸線の砂浜に沿って舗装された渥美サイクリングロードと自動車の入れる海岸道路が並行して走っている道路に出ますが、海岸の砂浜は海岸道路より数メートル下に広がっていました。
レイラインはNew Japan Beachの西側部分に抜けていた。
そこは海岸道路から階段で砂浜に降りられるようになっているが、砂浜には降りず、階段上の踊り場から海岸を見下ろすと、暖冬の9月下旬ということで、何人ものサーファーが海に入っていた。
砂浜はウエットで、潮が満ちれば海岸道路下近くまで波が打ち寄せているようだ。
海岸道路の200m以上沖にはテトラポッドを組んだ消波ブロックが波線状に設置されていた。
台風などによる強い大波を低減して海岸線を守るためだ。
もしかすると、台風時にもサーファーはやって来ているのかもしれない。
設定したレイラインは200mほど西側で太平洋に抜けていたが、陽射しが強くて、何もしていないのに汗だくになってしまったので、愛車で海岸道路を西に向かうことにした。
海岸道路にはズラリとサーファーの乗って来たワゴン車が並んでいた。
特に惹かれるものにぶつかることもなく、レイラインを通り過ぎ、250mほど走ると巨石が海岸道路に喰い込んでいる場所に通りかかった。
巨石は海岸道路上に突き出している部分だけで上記写真の大きさで、海岸の波を被っているいる砂浜にも複数の石が散らばっている。
航空写真を見ると、このあたりから西は陸側が丘陵になっており、多くの石が海岸の砂浜に落ちていることが分かった。
ワゴン車たちはこの巨石の部分に車を駐めるのを避けているので、そこに愛車を駐めた。
この巨石を側面から見ると、巨石であることが解る。
この石に近づいて、焼けの少ない面を見ると、内部は灰白色で、確定はできないが、石灰岩、あるいは石灰岩ベースの変成岩のようだ。
地域地質研究報告『伊良湖岬地域の地質』(中島 礼・堀 常東・宮崎一博・西岡芳晴)P52によれば、渥美半島の根元の三河湾に面した田原市田原町には平成21年現在には石灰岩鉱山(「ジュラ〜白亜系」地層部分)が存在したし、1970年代までは田原町のすぐ西側の田原市白谷(しろや)においても石灰岩鉱山が存在したという。
そうなると、目の前のこの巨石も変成岩ではなく、石灰岩である可能性の方が高そうだ。
そこで、上記資料P36の「第6.1図 伊良湖岬地域における第四系の分布概略図」から、取り上げているこの巨石のある場所に関係のある5つの地層の分布概略図を抜き出してみた。
上記図の巨石のある部分は「後背湿地堆積物」の層に位置しており、その地層に接して陸側(北側)に「福江層」が存在するが、この二つの地層と石灰岩は関係性が無い。
つまり、この石灰岩らしい巨石は別の場所からやって来た可能性があることになる。
上から3番目の地図に、この巨石を含む「石の多い海岸」を示してあるが、この「石の多い海岸」に巨石のすぐ北側にそびえる小山と大山の間から太平洋(遠州灘)に流れ出している「弘法川」が関与している可能性があるように思えた。
なぜなら、すぐ上記の「伊良湖岬地域における第四系の分布概略図」の小山・大山の主地層になっている「ジュラ〜白亜系」地層とその周囲の「扇状地地堆積物」地層は石灰岩が出る可能性のある地層だからだ。
巨石脇から東側のNew Japan Beachを撮影したのが下記写真だが、遠景に赤羽根港の桟橋が500m以上海に向かって突き出しているのが眺望できる。
その向こう側に海に突き出している尾根は尾村崎、さらにその最奥に霞んで見える尾根は静岡県の御前崎か。
太平洋に面したNew Japan Beachからレイラインが三河湾に抜ける江比間町(えひまちょう)のポイントに向かった。
このポイントでは上記写真手前を流れている新堀川(しんぼりがわ)の右岸(北側)が三河湾に面しており、三河湾では沖から絶え間なく純白の波が岸に向かって押し寄せていた。
三河湾の向こう側に見える尾根は西尾市だ。
直接海岸線に出ようと新堀川の上流に遡って右岸側に渡り、三河湾に向かうと美しい池に遭遇した。
新堀川沿いの池なので、新堀川が流れ込んでできた池なのだろう。
上記写真、池の奥の三河湾側には潅木が覆っていて海は見えないが、西尾市の尾根が霞んで見える。
池の東岸にはすでにガンが渡って来ていて、群れていた。
潅木の深い部分にはシラサギも集団で止まっていた(ヘッダー写真)。
池の東側で海岸に出られる場所があったので出てみた。
上記写真右奥に西尾市の山岳部、左端の海上に佐久島が見えるが、中央部の海場に何か建物のようなものが立ち上がっている。
ズームしてみると、日本郵船の大型貨物線のようだ。
思い切ったモダンなデザインだが、現代の箱舟だ。
左手が前部だろうな。
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この後は三河湾を渡った西尾市吉良町に上陸するレイラインをたどります。