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【短編】ロマンチックな猫と現実離れな煮干したち 2
泡一粒吐き出して消えて
知ってる明日も覚えてる昨日も
いなくなってしまった
悲しいのかな 知らないみたい
魚一匹泳ぎまわって消えて
握っていた手も繋いでいた心も
放してしまった
哀しいのかな 知らないみたい
円の真ん中 真夜中 一つ
知らない話をしてみよう
宇宙の一つに 転がる記憶
遠く見えない さよならに
また会いに行きたいから
歌が好きな従兄弟には昔の記憶がないらしい。
無理もないと思う。11年前の海で大事なものを全て失ったから。大地震の後に津波が来て街を飲み込んで行った。私はその話、話で聞いただけだから言葉以外では知らないんだけど。
目の前で飲み込まれる全てを見ながら従兄弟は気を失って、そのまま、うちに来たのだ。
従兄弟は生まれつきで金髪だった。
私は不思議に思いながら、羨ましくてその髪をよく触っては怒らせた。形のいい耳には、リングがついていた。
「なんで、輪っかついてるの?」
「知らない」
「なんで、髪の毛金色なの?」
「知らない」
幼い私たちは、なんでと知らないを繰り返していた。
「ねえ。」
「ん?」
「僕は宇宙人だと思う。」
「…そうかもね。」
従兄弟は髪のことを怒られて学校に行くのをやめたし、記憶が戻らないことも諦めて病院に行くのもやめてしまった。
病院のベッド。
年末からずっと眠っている。なんて運が悪いんだろう。自転車で坂道を下っているときに、タイヤがパンクして前から走ってきたトラックにぶつかったらしい。植え込みに突っ込んだらしくてそこは運が良かった。
命に関わる怪我だった。
頭を打っているし、内臓も…。もしも叶うなら頭を打ったことで記憶が戻ってくれたら良いなんて絶対に無理なんだけど。家族の記憶とか戻って来ればいいのにって。
「煮干し」
年の離れた4歳の弟が、従兄弟の顔のそばに煮干しを置く。
「ちょっと学!やめて」
「骨折ったんだろ、カルシウム」
煮干しは学のおやつで、いつも持ち歩いている。煮干しが好きなんて、ひょっとしたら猫なんじゃないの。病院にまで持ってくるなんて、持たせる母もどうかしている。
「のぶみちくん、なんで寝てるの?」
「体が痛いからだよ」
「包帯ぐるぐるだね」
「怪我してるの」
「また歌ってくれるかな…」
「起きたら歌ってくれるよ。自分で作った変な歌」
「里香ちゃん、ギター弾いてあげなよ」
「だめだよ、病院だから」
いつも鼻歌を歌っている子どもだった。機嫌のいい時も悪い時も。横で聞きながら変な歌って思ったけど変な歌の理由は、従兄弟が、自分で作った歌を自分のために歌っていたからだった。
最近はそばにいないから、どんな歌を作ってどんな時に歌っているのか知らない。
私はこの従兄弟の歌に、君は1人じゃないと言いたくてギターを習って伴奏を弾いてあげようと記憶を辿りながらコードを押さえる。押さえれば押さえるほど、音色は悲しくて、涙が溢れた。
「ねえ、起きなよ、のぶみっつぁん。」
呼吸が時々止まった夜は、いなくなってしまうんじゃないかって怖くて仕方がなかった。
起きている時の従兄弟は背が高いのに猫背だ。首が前に出ている。そんな姿を思い出せないほど真っ直ぐな姿勢で眠っている。時折眉間に皺がよる。嫌な夢を見ているに違いない。
従兄弟が事故に遭う前にLINEが来た。
”バイトまたクビになった”
”死んだ方が良い。”
15からいろんなバイトを点々としている。
クビになるたびに死んだ方が良いと言ってくる。
わたしは毎回
”生きろ”と打ち返してため息をつくのだ。
学校へ行っていないからかはわからないが、友達もいないらしく全ての報告を私にしてくる。
しばらくするともう一度LINEが来た。
”コンビニのかわいい女の子が飛んだ”
お気に入りができたらしいが、どうやら今日は会えなかったようだ。
”たぶん飛んでないから落ち着け”
そう打ち返して、従兄弟ががっかりしている様子を想像すると少し笑える。
15で家から出て行って、アパートで一人暮らし。楽しみを見つけるのに必死だったのかもしれない。
「死んだ方が良いなんて、思ってるからこうなっちゃったのかな…」
目を開くことなく細い息を吐く従兄弟を見ながら、警察から預かった従兄弟のスマホを触る。暗証番号は私が設定してあげたから、開こうと思えば開けてしまう。
思いついては吹き込んでいるという、日記みたいな歌を聞いてみたい。でも、やっぱり悪いよね。
「里香、お母さんそろそろ帰るけど。
学も一緒に帰るから」
「あ、私、もう少しいる。」
「そう、目が覚めたら教えてね。」
「ねえ、お母さん。」
「何?」
「のぶみっつぁん、起きたら連れて帰ろうよ。」
もう、1人にしてはいけないような気がする。
「…この子が選んで1人になったんだから。」
「仕事ないんだよ?」
「また見つけるでしょ」
母は、あまり従兄弟のことが好きじゃない。
それは昔から子どもながらになんとなく気づいていた。
愛想笑いができない猫背の子ども。金髪ピアスで学校から切り離された厄介な子ども。そんな話をしているのを聞いては従兄弟を私の部屋に招いてディズニーやピクサーの話をした。
「これがミッキー!でね?ダッフィーはミッキーのぬいぐるみなんだけど彼女がいてね。」
「…里香ちゃん、僕なら大丈夫。ミッキーは好きじゃないから。」
「トイストーリーは?バズはね、宇宙飛行士で」
「僕も宇宙に行きたいな。一人で大気圏を超えて燃え尽きたいよ。なくなったら、里香ちゃんだけ僕がいたこと思い出して、空を見て手を振って。そしたら僕はにっこり笑ってさよならを言うから。」
「ニモはね!お魚でね、迷子になったけどお父さんが見つけに来てくれたから」
「里香ちゃん、お父さんて…何?」
私は、従兄弟の真っ黒な瞳に吸い込まれそうになって、何も撃つ手がなくて大声をあげて泣いた。何をしてあげたかったんだろう。してあげたいなんて、私のただのエゴだと気が付いた。偽善者と呼ばれることが怖くて泣いたのだ。
従兄弟はそんな私の横で小さな声で歌っていた。
「なんの歌?」
「泣かないでの歌。里香ちゃん泣くと僕も泣きたい。」
「何それ。」
私のおもちゃ入れからニモのぬいぐるみを手に取った。
「僕、お魚怖いんだ。」
「なんで?」
「顔が嫌。でも、ニモは…かわいいね。」
「うん。そうだよね。」
「はい。里香ちゃん。」
そう言って、ぬいぐるみを渡してきた。変わったことをするなと思った。私のものを私に渡すってどういうことかなって。
寝ている顔を見ると、そんな従兄弟を思い出す。
「お母さん、のぶみっつぁんは…」
「先に帰るね」
母は、一応保護者だから病院に来るけど、本当に従兄弟のことが嫌いみたいだ。なぜかはわからないけど、今回も厄介ごとに巻き込まれたって思ってるみたいだった。
手を握ると握り返す。
「ねえ、のぶみっつぁん。もう、年が明けたんだよ。なんで起きないの?」
学が並べた煮干しを片付ける。
魚が怖いと言っていたのはずいぶん昔。今はすっかりそんなことはないんだろうか。
「ねえ、帰るね。明日は起きてよ。」
どうして1人になりたかったんだろう。寂しくないのかな。母に嫌われてるってわかってたから1人になったのかな。
従兄弟の記憶はどこにあるんだろう。
もし、思い出したら、それは幸せなんだろうか。
今の従兄弟は幸せなんだろうか。
財布の中には1000円札が1枚。それぐらいしか持っていなかった。救急車を呼んでくれたトラックの運転手さんが言うには、従兄弟はずっとうわ言でお金お金と言っていたそうだ。
事故で完全に壊れてしまった自転車は、修理をするより買い替えた方が良いとわかった時点で母が処分してしまった。お金がない中、やっと買った自転車かもしれないのに。
幸せという概念がそもそもないから、死にたいと何度も言うのだろうか。
個室にいる従兄弟。ギターを弾かせて欲しいと交渉したら、先生はあっさり、いいよというから拍子抜けした。
昔歌ってくれた泣かないでの歌。思い出してアコースティックギターで弾いてあげる。歌詞を思い出す。
「あぶく、一粒、吐き出して消えて…。」
聞こえているのかな。涙が滲んで流れていく。泣かないでの歌なのに泣いているのはどうして。弾き終わって、涙を拭いてあげる。
「懐かしいね。」
学が来ては、従兄弟の顔の周りに煮干しを並べる。それから私と入れ違いにどこかに行こうとするから捕まえた。
「だから、学!ダメでしょ!それ!!」
「骨折ったらカルシウムだから!!」
「のぶみっつぁん、目が覚めたら、煮干しにびっくりするよ。片付けてきて!」
先に来ていた母が、少しの荷物を持って病室に来た。
「なんなの、里香。騒いで、全く。」
呆れる母は少しめんどくさそうだ。
「のぶみっつぁん、今日は起きてんの?」
顔を覗き込むと、目は閉じたままだ。
「起きてないよ。ほら、学、煮干し片付けて」
渋々片付け始める学は、従兄弟の顔を見ながら、
口に煮干しを運んだ。
「まったくさ、いつまで寝てんの?」
変わらない顔。でも、少し穏やかに見える。
「里香ちゃんギターやったら起きない?」
「起きなかった。ふざけてるよなー。」
そんな話をしていると、煮干しを数本残して学がどこかに行こうとする。
「学!煮干し!!」
怒った私の声に、ふっと吹き出す声がした。
「あ、笑った!」
学が、ぺたぺたと顔をいじると従兄弟が、しかめっつらをする。
「痛いよ…やめて」
「のぶみっつぁん、本当に…っ!」
抱きしめることができないから、震える気持ちを抑えられない。目の前の従兄弟の顔が滲んでちゃんと見られない。
誰がなんと言おうと私はこの従兄弟が世界で一番大切だと、いつか必ず伝えようと思った。
トラックの運転手さんが従兄弟に会いに来て、次の仕事が決まったとぽつりぽつり話す。
魚を運ぶことだという。
自分が海の街から来たことを働くうちに思い出すだろうか。
君は1人じゃないし、宇宙人でもない。何をしようと自由だし、寂しくなったら歌を歌って。その歌を一緒に歌う私がいるよ。寂しくないよ。
「ねえ、里香。僕、少し困ってるんだ。」
「何?」
「やっぱり、魚、怖いかも。」
眠っている間に見た夢を余すことなくしゃべってくれた。
↑のぶみち 編 こちらが①です。
21.12.31 38ねこ猫 筆