息子が急性散在性脳脊髄炎になって倒れた話33
長男が倒れてから21日目。
この日、主治医やリハビリ担当の医師等からの診察を受け、翌日の退院許可が出た。
長男は前日に母親との面会を満喫した為、この日は父親に目一杯甘えて過ごしたとのことだった。
私と次男も穏やかに2人きりの時間を楽しみ、翌日まで何事もありませんように、と心の中で祈った。
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長男が倒れて22日目。
夜中に急変の電話がくるのでは、と構えていたが何事も無く、待ちに待った日を迎えた。
この日は夫婦で休みを取り、10時までに来るよう指示を受けた為、間に合うように向かう。
面会と同じく、病棟内に入れるのは両親の内どちらか1人のみのため、前日に本人に聞いた希望の通り母が向かった。
病室に着くと、いつもとは違うバタバタとした空気感を感じてか、長男は緊張したような不安な面持ちで私を出迎えた。
そして、開口一番、泣き出しそうな顔で
「パパがいい!」
と言われてしまい、なくなくバトンタッチ。
そのまま待合の部屋で待っていたが、なかなか連絡も無く、長男も夫も姿を見せない。
(何かあったのか…?)
不安が頭をよぎる。
と、同時に夫から連絡が入った。
また長男の熱が上がったから、念のため血液検査をしてから退院することになったよ。
検査結果がわかるまで1時間から1時間半かかるそうです。
ずっと不安に思っていた長男の熱がぶり返したようだった。
検査をしてもらえるならそのほうが良い。
そう思って結果が出るまでの時間を過ごした。
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パタパタパタパタ
軽い足音が響く。
ふとそちらをみると、なんのコードもつけていない、元気な姿の長男が廊下を歩いてくるのが見えた。
その後ろには荷物を抱えた夫が、本当に幸せそうな笑顔で長男を見守りながら進んできた。
私は思わず廊下へ出る。
そこへ長男が駆け寄り私の胸に飛び込んできた。
右側の窓から差し込む、弱いけれど暖かな冬の日差しを感じながら、溢れる涙が止まらない。
長男を身体全体で抱きしめながら、
「おかえり…!頑張ったね…!」
そう言い、頭を撫でた。
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検査の結果、長男は感染症では無かった。
体力が落ちた関係で、日中の活動時間に体温が上がってしまっているのだろうという診断のもと、退院が決定した。
会計や退院手続きを終え、帰宅出来る状況が整った。
そこからは3人で手を繋ぎ、タクシーに乗って自宅へ帰る。
普段タクシーに乗るときは大興奮な長男だが、久しぶりの帰宅に緊張しているようで表情が固く言葉数も少ない。
体調が悪いのかと心配したが、帰宅と同時に徐々に表情が明るくなり、テンションも上がっていった。
ケーキを買い、長男が食べたいと言っていたハンバーグカレーを作った。
久しぶりに家族が4人揃った空間に、私も夫も心の底から喜び、安堵した。
次男は、突然戻ってきた長男に戸惑いはしたものの、大好きな兄の存在にとても喜び、ついて回った。
本人は突然離れることになってしまった3週間ぶりの『我が家』を噛みしめていた。
家族全員の笑顔で溢れていた。
まだ治療は終わっていない。
MOG抗体が無くても再発するパターンもあるそうだ。
それでも
『最初の発症から半年間再発が無ければ〝完治‘’と言えるだろう。』
主治医からはそう言われている。
今もまだ家族で乗り越えている最中だ。
再発を疑って夜間救急を受診したり、少しでも具合が悪そうならばまた倒れるのでは…という恐怖にかられることもある。
それでも、家族で同じ屋根の下、笑顔が絶えない生活が出来ることに心の底から幸せを感じながら日々を過ごすことが出来ている。
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入院生活のお話はここで終了です。
急性期からの重い話も多くありましたが、皆さまのスキやフォローに支えられて、ここまで書き進めることが出来ました。
記事に目をとめてくださった全ての皆様にお礼を言わせてください。
本当にありがとうございます。
次回からはその後の経過や、ちょっとした小話などを書いていきたいと思っています。
また、闘病記とは別の記事も含めながら毎日投稿も続けられるよう頑張ります!
noteを始めたきっかけである『闘病記』をある程度書き終えることが出来たので、改めて自己紹介記事なども書けたらなぁと思っています。
まだまだ書き慣れていない拙い文章だとは思いますが、これからも読んで頂けたら嬉しいです。
この記録が誰かの目に留まり、お役に立てる日がくることを信じて。
これからもよろしくお願いします。
ぽんすけ