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生活能力0のクズが同居を求められた話

昔の恋人の命日の3日前に、偶然最近友だちになった人がnoteに親友の訃報について書いていたのを見つけたので読んだ。

今年の6/15には彼のことを一切思い出さなかった。昨日の続きでしかなかった。私にとって完全に過去になったということなのだろう。 だからその人の生傷のような孤独を自身の心情の代弁と捉えることはなかったけれど、どこか残された者同士の連帯のようなものを感じた。

死にたいと思ったことはないけれど、生きたいと思ったこともない。生命力はおそらくないほう。でも毎日どうしようもなく幸せで、そんな自分を愛している。そして孤独死を想定している。

私には去り行く人を止めるほどの熱量は不足しており、追い求めるほどの情熱ははなから持ち合わせていない。すれ違う人たちを歓迎しながら常に先の別れを思っている気がする。いや正しくいえばもっと刹那的に生きていて、先のことなどあまり考えてはいない。

もとよりアロマンティックな性質なので(一時デミロマを自覚したときもあったけど今はどっちなのか自分でもよくわからない)恋愛ごとには向いていないのは理解していて、その性質はこの恋愛至上主義がベースの日本社会において生きにくいなぁと思うし、事実年頃になって結婚について聞いてくるめんどくさい人も増えてきた。

結婚に憧れたこともあったような気がするけれど、それは現実的な話ではなく、しょせん「ひとりで生きるのは寂しいからだれかと一緒に住みたい」程度の子どもの戯言にすぎなかったし、自分に欠けているところをいやというほど認識すると、まぁ普通に結婚するという未来はないんだろうなと、これは現実的に捉えている。

最近聞く「友情結婚」とやらが可能なら最高にベストオブベスト最適解なのだけど、あと阿佐ヶ谷姉妹みたいな気の置けない相手と隣の部屋を借りるとか憧れるけど、ちょうどよくそんな人と出会えるわけないし(恋愛できる人が両思いになるより遥かに奇跡的だと思う)なにより私の場合、生活能力に欠けていて一緒に暮らす人がだめになってしまうと思う。

仕事はできるけど生活ができない。ちょうど前回のはるちゃんの日記を読んでますます感じた。激務に追われてもしっかり食事をとってお風呂にも入って、そのうえでちょっと娯楽にも触れたりして、ちゃんと暮らしてんね、ほんとに。大尊敬ですよ。

そのうえ弾丸で台湾にひとりで!?もはや意味がわからん。人間は本当にすべて別の個体なんだと実感するしかない。そういうことができる人生を送りたかったよ私も。でも世界で一番自分を愛してしまっているから仕方ない。

私はというと、そんなに忙しくもないのに毎日いつの間にか気づくと1時を過ぎているし、名前のついていない家事がひたすらに苦手で(時折なぜか機嫌よくできるときもある)、生活というものがすべてかったるくて仕方ない。

情報はかたっぱしから仕入れていないと気が済まなくて一生デジタルデバイスとお友だちだし、あとはもう、ひとりでいるときは、食事も掃除も洗濯もギリギリ間に合えばOKという感じ。空腹でなければいいし、掃除も今日はいいかで後回しにしちゃうし、洗濯もまぁまだ下着あるし……で溜まっていく一方。終わってる。

こういうの、大人になったらちゃんとできるようになるんだと思っていた。対仕事に関してはわりと想像していたくらいにはできていると思うけど、休みの日は遊びに全振りしちゃうし、「丁寧な暮らしってなに?」ですよ。終わってる。(まぁべつに丁寧に暮らす必要はないとしても)

自分でいうのもなんだけど、わりと常識的な思考を持っているし、自分というものもあったりするもんで、くわえて仕事もなんかできるっぽいみたいなのが見えたりするので(どんどん自分でいってくよ)「まともな人」扱いされることが多いけど、安心して驚いてほしい、わりとクズ。でもまじで仕事はできる。安心してほしい(?)

昔友だちにやたら「みなみちゃんは儚いから」って言う子がいて、私といえばハッピークソ野郎なので、いつも「なんで?」って笑っていたんだけど、今思えばこういうのがちょっと見え隠れしていたのかもしれないなーなんて思う。「退廃的」ってやつですか。

発達障害的なやつなんかねー、わからんけど。軽く調べたことはあったけど、当てはまるものはなかったんだよなー。ただダーティーなクズ(色欲、金、ギャンブル、酒)じゃないからいいやと思ってしまっている自分もいて、でも今はよくてもこれから先の人生、とくに母が亡くなってからはもう人生詰むんだろうなぁと思うこともあり。

今から孤独死を覚悟しておこうとだけ思っているのだけど、そんなタイミングで先日絶賛育児しながら働いている友だちに、……あ、しかも私のことを儚いってよく言っていた(最近は言わなくなったので今でも思っているかどうかは不明)友だちだわ……に、なにを思ったのか知らんけど「子どもが大きくなって手を離れたらみなみちゃんと一緒に住みたいんだ」って言われて意味わかんなくて泣いちゃった。

あまりにも予期していなさすぎて、びっくりして脊髄反射で目から水が飛び出た。その子、いま夫と子どもふたりと犬2匹と、いい感じの家でいい感じの暮らしをしているんですよ。それこそ生活能力レベル100みたいな。(ちなみにはるちゃんは私のカウンターによるとレベル120です)それでなにをどういう方向に舵を切ったらそんな結論に達する!?っていう。しかもまったく脈絡のない流れで。

なんなら「かんぱーい!おつかれ〜!」「私子どもが手を離れたらみなみちゃんと一緒に住みたいんだ」くらいの感じ。まぁごめん、これは盛りましたけど。気持ちはこんなテンション。

実際そのときに私たちがどうなっているかなんてだれにもわからないから、実現できるかどうかは置いておいて、少なくとも今そんなことを思ってくれたんだなっていう事実がただうれしくて、幸せだなーと噛み締めるしかなかった。

私の最大の長所は人からもらった好意を全部ちゃんと受け止められるところなんだけど、こうして関わってくれた人全員幸せに生き抜いてほしいと切に願うね。はるちゃんももちろんその中にいます。

そのときに着ていた赤いワンピースがかわいくて自撮りをストーリーに上げたら「かわいい❤️」ってDMくれた友だちもいて、その子いつも私が自撮りを上げると褒めてくれるんですよ。最高じゃないですか?幸せに生きろよ!ってまた思ったり。

本当に私は出会う人に恵まれているし、でもそんないい人たちが集まるってことはきっと私もいい人なんだわ、と思ったり。一生甘やかされて生きていたい(クズ末っ子)し、甘やかしてもらうために私も一生いい人でいようと思うよ。

という、遅れに遅れた最近の近況でした。うちら幸せに生きような!(急に終わる)

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