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恋なんかじゃない(2018)
LINEにインスタ、それから電話。これだけコミュニケーションツールに事欠かない時代に生きていて、もう何年も連絡するのを我慢している女友だちがいる。
それはまるで、好きで好きでどうしようもなかったのに別れを迎え、気持ちに蓋をしたあの恋のようだと思う。
でも恋心はいずれ冷める。
その人がいない生活に慣れていくからだ。
なのに私は未だ、たとえばどうにもへこたれそうになってしまったとき、一番に彼女のことを思い浮かべる。
それで携帯に手を伸ばしては、ぐっと耐え、波が去るまでやり過ごしている。
出会いは24歳のときに勤めていた出版社。
刊行物が経済誌ということもあって女性が少なく年齢層が高い社内で唯一同い年だった私たちは、一度飲みに行ったことはあったものの、互いに人見知りの性分が邪魔して今一歩近づくことができなかった。
だけど、その会社を離れ、数年経ったころに不意に彼女の方から連絡がきて、すぐに毎日LINEでやりとりするようになった。
今思うと、彼女は失恋直後の寂しさをだれかに打ち明けることで紛らわせたかったんだろう。
そしてそのころ私も不倫という良くない恋にはまっていて、同じく孤独を持て余していた。
同い年の女友だちが、より急接近するにはひどく適切すぎるタイミングだったのだ。
一人になるとどうしても嫌なことばかり考えてしまい、だから暇を作らないように仕事に逃げる。
だけど職場にもストレスの種は落ちていて、ある程度実績を積んで認められてきたものの、作品のクリエイティビティーよりスピードを求められたときの、なにかが消費されるような思いだとか、部下がついたばかりで上手く立ち回れないことへの焦燥だとか、そういうのと恋愛で満たされないことが一緒くたになって自分を責め立てて、だれもいない深夜のオフィスで急に涙が溢れて止まらなくなる。
自信はどんどんなくなり、私にできることなど、そして私を好いてくれる人などこの先、一生現れないのではないかと思う。
でも自分だけは自分をかわいがってあげないと、と奮起して仕事に没頭するのに空回りし続ける。
そんなとき、同じところで立ち止まっている友だちがいることはとにかく励みだったのだ。
人に自分の話をするのが苦手な私たちは、なぜか互いのLINEの中では気持ちを抑えずにいられ、それだけでなく、辛いからこそ織り交ぜるくだらない冗談の配分バランスも心地よかった。
「なんでも言い合える仲」というものに子どものころから憧れていたけれど、まさしく彼女はそれだったと思う。
特別な友だちだと思っていたし、彼女の方もそう感じてくれていたと自負している。
だけど、二人の中には暗黙のルールが存在していて、どんなに話が盛り上がってもどちらも会おうとは言い出さなかった。
こんなに通じ合っているのに、実際に会って、もしまた人見知りの顔が現れたら、と思うと怖かったのだ。
最後は「話すことが尽きた」という感じだった。
徐々に返信ペースが遅くなり、些細なことは伝えなくなり、そしてどちらからともなく連絡が途絶えた。
恋人同士であれば「別れよう」という言葉があったかもしれない。
終わりを意識すると人は寂しさを感じるものだから、「考え直そう。私たちあんなに盛り上がったじゃない。別れる必要ないじゃない」とどちらかが言い、また互いとの時間を大事にするようになったかもしれない。
だけど私たちは友だちで、終わりのない関係だ。
だから、ちょっとした距離感におびえ、連絡できないでいる。
今はまだ我慢のとき。
連絡するのは、あのときの自分をすべて脱したときと決めている。
辛いときほど彼女とまた笑い飛ばしたくなるけど、孤独を分け合った私たちなら、次に持ち合うのは別のものがいい。