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環境問題を見つめ直す話題スポット『私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために』森美術館20周年記念展覧会

さてもさても、TiktokやInstagramを中心に話題になっている展覧会「私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために」へ行ってまいりました。

森美術館が20周年で開催した記念展だそうで、今流行りのSDGsとやらを意識した企画のにおいがしますね。

さて、前置きはここまでにして、さっそく本題へ入ります。

1. 展示概要

展覧会入り口

ざっくりかみ砕いた内容

地球の環境問題」に焦点を当てた企画でした。

産業革命以降に人類が地球に与えた影響を、多様なアーティストがアートを通して表現している”といったところでしょうか。

廃棄や公害、化学兵器など、近年よく耳にする"地球温暖化"だけではない、過去も今も未来も含めた環境問題たちが、作品を通じて可視化され、私たちに訴えかけてくるような内容でした。

なので、SNSで「今行きたいアート展示!」なんて紹介されているより、はるかにヘビーな内容です。

"一人で足を運んでじっくり感じる。"ことをおすすめします。まじで。

次に展示構成と展示作品をざっくりとご紹介。



2. 館内の雰囲気とアート作品

展示作品について

国内外のアーティスト34名の作品が展示されています。
作品数は約100点。

お、これ有名という作品から、新しいなこれという作品まで多数ありました。

気になった作品だけピックアップしてご紹介。


第1章「全ては繋がっている」

動物、植物、微生物、商品、データ、廃棄物など地球上にあるあらゆるものは、私たち人間の活動や思考になんらかの影響をうけている。

その過程を、触覚、視覚、聴覚など五感を使ったアートとして表現している現代アーティストの作品を紹介しています。

一番最初の展示はなんと5トンの貝殻の上を歩くというもの。

<マッスル・メモリー(5トン)> ニナ・カネル

初っ端から触覚、視覚、聴覚の全てを使う展示で、面白いなあと思いつつ、作品のメッセージは考えさせられるものでした。


…というのも、北海道では毎年20万トンの貝殻が廃棄され、再利用方法が問題になっているとのこと。

どんな問題かというと、廃棄が多いのでなんとかしたいが、再利用できる状態にするまでに膨大なエネルギーが必要(=あまり環境によくない)という八方ふさがりな状態。

展示が終わった貝殻たちはどこへ向かうのでしょうか。


他にも、映像でCGと実写を融合させた作品も。(今っぽい)

<時の矢> エミリア・シュカルヌリーテ


かつて反映していたローマの巨大都市が自然に飲まれ、時と共に海底都市と化してしまった様から、圧倒的な自然の前では人間の文明は脆いということを作品として表現。

地球上には数多くの生物が存在しているにもかかわらず、どうしても人間中心主義的な考え方になってしまうという作品意図は、基本的に自分しか見えていない私たちに訴えかけるものがありますね。


第2章「土に還る」

1950~80年代の高度経済成長の裏で、環境汚染が問題となった日本で制作・発表されたアートたちを紹介しています。

この章は、たった数十年前まで、日本という国がどれだけ地球に対して酷な行いをしてきたかということを生々しく表現していました。

公害年表


数十年前まで日本の空が黒かったこと、
電線に有害物質が含まれた雨によるつららが下がっていたこと。

あまりにも酷く、惨く、目をつむり、耳を塞ぎたくなるような恐ろしさがありました。

中でも辛辣だったのがこちら。

<山口ー日本海ー二位ノ浜 お好み焼き> 殿敷 侃

原爆被災者であるアーティストが、掘っておいた穴の中へ二位ノ浜海岸で集めたごみを入れて燃やし、造形した作品です。

見た目もだいぶインパクトがありますが、作品に込められたメッセージが直接的で苦しくなりました。

ー「メメント・モリ」の象徴として53階の展示室に設えられ、輝く首都を見下ろしています。殿敷が体験した恐ろしい核の悲劇を繰り返すな、この焦げたお好み焼きのお化けのように東京が焼け野原になるかもしれないぞ、と警告を発しながら。

私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために 解説より


ちなみに「メメント・モリ」とは、ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」といった意味があるそうです。

かなり触れにくい問題かと思いますが、争いのない平和な世の中を望む人間が多数派な世界であってほしい、あらためてそう強く願うきっかけになりました。


第3章「大いなる加速」

ここ数十年の近代化と工業化によって科学的発見と技術革新が世界的に凄まじいスピードで起こり、

その過程において"自然"は、分析し利用する対象として考えられ、あたかも人類のためのものとして捉えられているという関係性を表現した作品を表現しています。

インパクトがあったのはこちらの展示。

<恨み言> モニラ・アルカディリ

巨大な真珠が宙に浮き、その一つ一つから”恨み”の声が聞こえてきます。

人間の自然への介入と搾取。
どのように自然と共存すべきかを問われる作品でした。


<fruiting body> 保良 雄

難しかったのがこちら。

機械や道具、人間や植物、動物など、それらすべてを個々の存在として認めること(たぶんですが等しい存在と考えること)で人間中心主義的ではない視点の表現をしている作品です。

自然の力で生み出された大理石と、産業廃棄物からできた非晶質スラグ(ゴムとかガラスがそれにあたります)をつかって、自然と人工物の地層を表現しています。


なんだか現代を生きるということは、それだけで人間至上主義的である、そんな世の中に生きているんだなあと思ってしまいました。


第4章「未来は私たちの中にある」

過去をうけて、未来をどう考え、構想するかについて表現された作品が紹介されています。

↓の作品は六本木と銀座の間で収集された、コンクリート、ガラス、陶器、医師、金属を使用してつくった人造大理石だそう。

<ファイヤー!!!!!!!> ケイト・ニュービー

缶のようなものも埋まっていて、何か感じるというよりは、先進的でおしゃれだなと思ってしまいました。


<私の死> 松澤 宥

空っぽの部屋に死を想像させるパネルを設置してあるアート。

第4章はこれまでの章と異なり、環境問題というよりアーティストの思考によった作品が多いように感じます。

<木漏れ日> アサド・ラザ

最後を飾るのはこの作品。

だだっ広い空間に木組みの足場が。

森タワーの天窓のロールスクリーンが長年故障しており、これを修繕するために組まれた足場だそうです。

壊れていたものを元に戻るように修復する、
言い換えれば「あるべき姿への再生」を示しています。

この日は曇りだったのでわかりにくいですが、この展示のみ照明が落とされ、自然光(木漏れ日)だけになっています。

なんだか最後は心落ち着く展示でした。


3. 展覧会の見どころと響いたこと

本展のタイトル「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」は、私たちとは誰か、地球環境は誰のものなのか、という問いかけから名付けられたそうです。

その問いかけ通り、人間中心主義的な考えを問う展示作品が多くありました。


展示後半になるつれて、かなりヘビーな内容になってくるため、終わるころには「もう思考停止だ…」となっていましたが…


廃棄や公害、化学兵器など、人間がつくり出してしまった、"地球に必要のない"ものたち。

今騒がれているが、目には見えないためにどこか他人ごとになりがちな"環境問題"たち。

それらが作品として具現化され、自分事として捉えられる粒度まで細かく、より感じやすくされている展示がたくさんあり、私自身、環境問題についてできることを考えてみようかなあという第一歩になったのは大きな収穫です。


自然との共存。
「あるべき姿への再生」のためにどう選択すべきか?


ぜひみなさんも足を運んでどう感じたかを教えてくださいませ!



最後に…
↓のような環境に対する小さな取り組みもまた本展示の味になっていていいなあと個人的に思いました。


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