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一切に感謝

皆さんが感謝の気持ちをもつのは、どのような時でしょうか?

人に何かしてもらったり、何か良いことがあった時が多いのではないでしょうか?

何かがあるから感謝する、つまり条件が必要なわけです。

私の師匠は『一切に感謝しなさい』と教えてくれました。

一切に感謝すると言っても、どうすれば感謝できるのでしょうか?

何とも思わないものに対して感謝の気持ちなど出てくるわけではありません。

格好だけ感謝しても虚しいだけで意味がありません。

グル達は言います。

『神しかいないから、起こること一切は神の行為です。

神は一切の幸福、弥栄のために人々に苦しみや悲しみを与えることがあります。

ですがそれは気づきという財産を与えるのに必要だからです』

皆さんが自分と思いなしているものも神です。

神とは理であり、法であるとも言われます。

故にこの世界の法則に縛られるんです。

この世界にある様々な法則を無視して生きているものなどいるでしょうか?

だから一切は神のものであり、また一切は神だとも言えるんです。

先にも述べたように神は様々な手段を駆使して一切の幸福、弥栄のために休むことなく活動しています。

神が神を導いている、とも表現できます。

神にも大元の大神から自我神まで様々いますが神が神に対して行う、つまり自分が自分に対して行っているんです。

皆さんは常に神の恩寵を受けているから『一切に感謝』となるわけです。

日々、神の与えるものに気づいて下さい。

心が大きく揺れ動いた時ほどチャンスです。

感情に、思いに気づいて下さい。

それら感情、思いで行動せずにひたすら気づき続けることです。

これを続けていると面白いことに感情、思いと距離が生まれてきて心が静かになってきます。

心が静かになってくるほど神なるものを感じ取れるようになってきます。

そうすることで自然と感謝が生まれてきます。

『一切は神の行為ゆえに一切に感謝』であると。

以下は日月神示の一文です。


日月神示
【夏の巻 1帖】
与えられたもの、そのもの喜ぶようにすれば楽に行けるよう、
暮らし向きも楽し楽しで暮らせるようになっているぞ。
あり余るほど与えているでないか。生かして使えよ。
生活に何故あくせくするのぢゃ。
与えてあるもの殺すから自分も死の苦しみするのぢゃ。
有限でなければモノは顕われないぞ。
モノに顕わすと有限となるのぢゃ。
すべてに感謝せよと申してあろうが。
すべてのものに、それ相当の意義あるぞ。
全体的には喜びせねばならん。
愛をもって接しなければならん。
信をおかねばならん。
ぢゃと申して局部々々においては、それぞれ、その時に応じて処理せねばならん。
ただその場合は、ゆとりをもって処理せよ。
綱長くしておかねばならん。


【月光の巻 31帖】
足の裏を綺麗に掃除なされよ。
外から見えん所が穢れているぞ。
日本の国よ、そなたも同様、世界よ、そなたも同様ぞ。
出雲の神の社をかえて竜宮の乙姫様のお社を陸につくらねば、これからの世の動きとれんことになるぞ。
一切が自分であるぞということは例えでないぞ。
そなたは、食物は自分でないと思うているが、食べるとすぐ自分となるでないか。
空気も同様、水も同様ぞ。
火も同様、大空もそなたぞ。
山も川も野も海も、植物も動物も同様ぞ。
人間は横の自分ぞ。
神は縦の自分ぞ、自分を見極めねばならん。
自分をおろそかにしてはならん。
一切を受け入れねばならんぞ。
一切に向かって感謝しなければならんと申してあろうが。