自由は制限の中にある
人は自由であることに生きる意味を感じています。
皆さんは自由についてどのようなイメージを抱いているでしょうか?
何でもあり、思い通りになる、制限がない、何ものにも縛られないなどいろいろと思いつくかもしれません。
では仮に何でもありな世界が自由だとして、どうなるか考えてみます。
何でもありだからから犯罪し放題になります。
何でもありだから三大義務(教育、勤労、納税)を守る必要はありません。
何でもありだから基準がなく、どうしたらよいのかわかりません。
何でもありだから生存権は保障されません。
何でもありだから国は国民を守りません。
「思い通りになる」についても同じです。
皆が欲しいと思うものに限りがあれば、奪い合いになります。
皆が総理大臣になりたいと言って、皆が総理大臣になったら社会は成り立ちません。
試合などで皆が「私が優勝だ」と主張したら競技でなくなってしまいます。
ソマリアと呼ばれる国がありますが、無政府状態なためある意味において自由です。
ですがそこに秩序はなく、また喜び、安心はありません。
喜び、安心のない自由に何の価値があるでしょうか?
皆が法やルールを守って初めて平和になり、安心できるんです。
そして、その範囲の中で行動してこそ喜びが生まれるんです。
自由とは法やルールといった制限の中に存在します。
法やルールのない自由はただの無秩序に過ぎません。
本来、法やルールなどというものは必要ありません。
皆が相手の立場、一切の立場に立って考えて行為できればそれで十分です。
ですが、それが出来ないから法やルールが存在するんです。
法やルールがあるということはそれが出来ないことを現しています。
つまり法やルールが多いほど、我善しの生き方をしているということです。
法やルールのような制限されるものは必要です。
ですが、それは誰からも催促されることなく、当たり前に守っているという意味で必要ということです。
制限はあっても、当たり前に守っているので制限と認識していないんです。
皆が当たり前に法やルールを守っている世界にこそ本当の自由があります。
自由を得たければ自分を完全に律することです。
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【秋の巻 4帖】
道徳、倫理、法律はいずれも人民がつくったもの。
本質的には生まれ出た神の息吹によらねばならん。
神も世界も人民もいずれも生長しつつあるのざ。
いつまでも同じであってはならん。
三千年一切りぢゃ。
今までの考え方を変えよと申してあろう。
道徳を向上させよ。
倫理を新しくせよ。
法律を少なくせよ。
いずれも一段ずつ上げねばならん。
今までのやり方、間違っていたことわかったであろう。
一足飛びには行かんなれど、一歩々々上がって行かなならんぞ。
ぢゃと申して土台を捨ててはならん。
土台の上に建物立てるのぢゃ。
空中楼閣見ておれん。
【黒鉄の巻 23帖】
自分の自由にならんことは大き自分が自由にしているのであるぞ。
神となれば何事も心のまま。
神とは神、大神とは⦿一十(カミヒト)のこと。
【黒鉄の巻 25帖】
人間の智の中には悪も善も入るぞ。
入るからこそこれは善ぢゃ。
これは悪ぢゃとわかるのぢゃ。
人間の自由は其処にあるのぢゃ。
自由なければ発展ないぞ。
弥栄ないぞ。
【黄金の巻 50帖】
口で言うことよくきけよ。
肉体で言うこと、神の申すこと、よく聞き分けて下されよ。
霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。
はげしくなるぞ。
世界一平まだまだ出来そうで出来ない相談。
奥の奥、見通して下され。
動きは必要であれど、皮むくぞ。
仏には仏の世界はあれど、三千年でチョンぞと申してあろう。
神示しめすに、順乱して来るぞ。
欲出して下さるなよ。
順乱れるところに神のはたらきないぞ。
人民自由にせよと申して、悪自由してならん。
【白銀の巻 5帖】
人間に自由はないのであるぞ。
真の自由は、大神にのみあるものぞ。
大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、また神の喜びとなって人間に流れ入るから、人間自身は自由を持っていると信ずるのであるぞ。
本質的には自由はないのであるぞ。
人間には自由の影があり、反映があるのざ。
それを人間は自由と心得ているのであるぞ。
自由の反映あるから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。
また進歩、弥栄するのであるぞ。
悪自由を、人間は自由と心得ているが、それは自由ではなく、自分自身を首くくるものぞ。
善自由こそ真の自由であるぞ。
自由は神から流れ出ると申してあろう。