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覚悟の道

エゴが強い人、自分勝手な人、わがままな人。
 
このような人達を世間では悪と見なし、裁く傾向にあります。
 
では赤子は自分勝手に泣いたり、わめいたりしますがこれは悪でしょうか?
 
おそらく悪と思う方はいないと思います。
 
同じ自分勝手でも赤子と大人では意味が違います。
 
赤子の自分勝手とは他者の立場があることを知らない故に、純粋な意思表示に過ぎません。
 
対して大人の自分勝手とは他者の立場を無視する故に、悪意の我善しです。
 
我善しが一切の苦しみの元凶と言われますが、個人として生きれば我善しの生き方しか出来ません。
 
皆さんは生まれてから今までの間、多くの人々との関わりで個人という立場で生きてきたと思います。
 
例えば私の場合、田中俊和(個人)と言う前提で、皆が接してきました。
 
そして当然、私も田中俊和(個人)という立場で応えてきました。
 
それを幾度と繰り返してきたため、個人という立場にあることが習慣化されているわけです。
 
これは人の持つ一番、強固な癖であるとグル(導師)達は言います。
 
この癖をやめることが改心で、日月神示でいうところの身魂の洗濯、掃除です。
 
癖、習慣化された事を改めるにはどうすれば良いのか、皆さんは知っているはずです。
 
常に意識して、癖に気づいたら正していけばいいんです。
 
たったこれだけですが、それには多大な時間と労力が必要です。
 
問題はそれをひたすら続けられるかです。
 
物事を成すには知識や智慧、そして現実的な行動も必要ですが、大きな事ほど簡単に成すことは出来ません。
 
では他に何が必要かというと覚悟です。
 
実際にグル(導師)と呼ばれる方達は弟子の覚悟だけを見ています。
 
私の師匠も『学びとは覚悟の道だ』と言っていました。
 
死んでもやるんだ、という覚悟さえ出来てしまえば不動心の完成です。
 
不動心、つまり心が勝手に動かなくなれば一切の問題が解決します。
 
勿論、これは内側の問題であって、外側の解決すべき事に対しては現実的な行動をしなければなりません。
 
ただ内側に問題がないと迷うことなく、ひたすら解決に向けた行動できるんです。
 
これが苦しみからの解放であり、心の救済であり、解脱であり、安心立命です。
 
この覚悟を養うために様々な教えがあり、また行が存在するんです。
 
以下は日月神示の一文と師匠の教えです。
 
 
日月神示
【黄金の巻 90帖】
世界中がいくら集まって、善き世にいたす相談いたしても、肝腎の・がわからんから、まとまりつかん。
だれ一人、悪いわがままの癖持たん人間ないぞ。
その癖直して行くのが、皮むくことぢゃ。
改心ぢゃ。
弥栄行くことぢゃ。
金持つと金の地獄に、理窟持つと理窟の地獄に、神に捉われると神の地獄に落ちて苦しむぞ。
持たねばならんし、中々ぢゃなあ。
まず求めよ、求めねばならん。
まず捨てて求めよ、求めて行ぜよ。
 
 
【師匠の教え】
恐れを知らず、断固として折れない意志を持ち、何事にも恐れず、決して諦めるということを知らず、しかも苦しむということも知らない人が出来るんです。
こう言う人のことを自分を支配した勝利者と呼びます。
お釈迦様も勝利者とも呼ばれていました。
ここで私が教えてきたのは無明に智慧で灯りをつけて、恐れに立ち向かう覚悟を養うことと恐れに突き動かされないでいることの二つです。
恐れに突き動かされないことが見ている、または恐れと共にあるで、それが可能になるように智慧で無明に明かりを灯しているんです。
『恐れと共にあることとは?』を知ることが恐れと共にある勇気を与えてくれるからです。
あそうそう断固として折れない意志と謙虚も一つの状態を構成する二つのパーツです。
断固として折れない意志と委ねも一つの状態を構成する二つのパーツです。
断固として折れない意志がなければ決して委ねもありません。
委ねられている状態は断固とした意志がある状態なんです。
逆に見えるものが合わさって一つの状態を現す。
面白いね。
グルは人を見るとき意志の強さだけを見ます。
全く知識など関係ないんです。
悟りに、神に近いほど、近づくほど断固とした意志が備わり、また断固とした折れない意志がなければ神の御前に座ることは不可能と知っているからです。

道元さんをグルがその素質を見抜いたのも、空海さんのグルが空海さんを見抜いたのもその覚悟を見たんです。
グルとは覚悟しか見ないんです。
ここに来てどんな知識を得たかなどどうでもいいんです。
グルが欲するのは皆さんの強い意志と覚悟だけです。
グルはそれを欲して何かを教えるんです。
皆さん、様々に語るグル達の言葉に迷わされてはダメです。
自分の負荷を和らげて楽になろうとしても無理です。
肩に人の二倍も三倍も負荷を背負っても楽であることが本当の安楽です。
落とすのは心の負荷だけでいいんです。
心の負荷が落ちれば肩に人の二倍も三倍も負荷を載せても、心は安楽で決して折れないんです。
『負荷を背負いたくない』も恐れから来ます。
その恐れに突き動かされず、負荷を背負って恐れと共にあるんです。
皆さん、初めの恐れとは暗闇なんです。
暗闇であることが怖いんです。
知らないことが見えないことが怖いんです。
突き動かされず恐れと共にあってごらん。
怖いものではないことがその内に分かる事でしょう。
その奥にずっと入って行った所が皆さんの家だ。
今ここにあると言うことは恐れと共にあると言うことです。
断固として揺るがない意志がなければそんなこと不可能です。
だから智慧を使うんです。