神は理であり法である
皆さんが知っている法則に因果と言うのがあります。
ご存知のとおり原因と結果は一致するということです。
では結果が先で、原因は後だと言われたらどう思うでしょうか?
おそらく多くの方が原因が先で、結果が後と言うのではないでしょうか。
ですが因果は『原因と結果は一致する』と言っているだけで、原因が先で結果は後とは言っていないんです。
人は限定された範囲で物事を見るため原因が先で、結果が後に見えているだけなんです。
原因と結果が一致している限り、順序がどうなろうとも起こることは同じ故に法則に反していないんです。
グル(導師)達は『起こることは起こるべくして起こる』『結果はすでに決まっている』と言います。
この言葉からも原因が先で結果は後と決まっていないのがわかると思います。
また神は人それぞれに命を与え、体験を与え、役目を与えています。
全ての人、一人一人の生まれる前から臨終までの一切を与えているんです。
一切の法則は神が生んだ故に最初から全てが決まっているとも言えます。
だから寸分の狂いもなく原因と結果が一致し、因果が成立するのだと私は思っています。
逆にいうと最初から決まっていないと原因と結果は一致せず、因果も成立しないことになります。
神は絶対的な存在ですが、神はまた理であり、法であるため神ですらそれを破ることは出来ません。
この理や法の根底にあるのは歓喜、弥栄です。
一切の歓喜、弥栄のために行為することが理や法にそって生きることになります。
またこれは神と共に生きることになるため、神の行為になるんです。
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【碧玉之巻 18帖】
氷と水と水蒸気ぢゃと申してあろうがな、同じであって違うのぞと知らしてあろう、地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの法則があり、秩序があるのであるぞ、霊界に起こったことが現界に写ると申しても、そのままで写るのではないぞ、また物質界が霊界に反映すると申しても、そのままに反映するのではないぞ、すべてが太神の中での動きであるから、喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのであるぞ、それをフトマニと申すのぞ、太神の歓喜から生まれたものであるが、太神もその法則、秩序、統一性を破ることは出来ない大宇宙の鉄則であるぞ、鉄則ではあるが、無限角度をもつ球であるから、如何ようにも変化して誤らない、摩邇の珠とも申すのであるぞ。
その鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階にと、絶えず完成から超完成に向かって弥栄するのであるぞ。
弥栄すればこそ、呼吸し、脈搏し、進展して止まないのであるぞ。
このことわかれば、次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのであるぞ。