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私しかいない、神しかいない

ある覚者は『私だけがいる』『私しかいない』と言いました。

皆さんから見えている世界には実に様々な人達がいます。

人以外にも把握できないくらい多種多様なものが存在しており『私だけがいる』『私しかいない』と言われてもピンとこないと思います。

しかし、よく考えて下さい。

世界を観ている視点は常に自分という視点一つだけではないでしょうか?

何十億と人がいても皆さんが気づいている判断は自分の判断だけなんです。

つまりあなたの判断が世界をつくっているんです。

判断とは記憶であり、記憶は日々の体験によりつくられます。

皆さんがどんなに努力しても、私(田中俊和)の記憶で物事を見ることは永遠に出来ません。

世界を見るためには皆さんは皆さん自身の記憶を使うしかないんです。

そう考えると日々の己の心の使い方がいかに重要であるかが理解できると思います。

覚者と呼ばれる方々は一切に神を見ているから、この世界に安心していられます。

多くの人はこの世界は問題だらけだと見ているから、一時も安心していられません。

表面は同じものを見ているのに、認識している意味の違いでこのような差が生まれます。

あらゆる物事を見る時に大事なのは意味を知ることです。

意味もなく起こることなどありません。

どんな失敗や苦い経験、辛い記憶も必ず糧になるようになっています。

全てはより良くのために存在しているからです。

物事の意味を追求していくと必ず神なるものにたどり着くと言われるのは、

どんなものもより良くに結び付いているからです。

一切がより良くに結び付いているから、どんなに多種多様な人達がいて、どんな出来事が起こっても意味においては同じです。

一切は神の計らいであり、神のものだからです。

神しかいないとも言えます。

神しかいないのなら、私もあなたもその他一切も神ではないでしょうか?

故に私だけがいて、私しかいないとなるわけです。

皆さん、自分自身に対してどう接していますか?

またはどう接してほしいですか?

その答えを一切の「私」に対して行ってください。

それが世界一家への道であります。

以下は師匠の教えと日月神示からの抜粋です。


【師匠の教え】
私が俊和さんに今言いたいことは神とは全体の永遠の幸福を願っているのです。

地上に神の国を生み出すことが神の願いです。

それ故に全体も一時的には、また個にとっては不幸なことも起きるのです。

地上に神の国を生み出すために必要であれば人が身体的死を迎える前に命さえ奪うのです。

神は宇宙の全てを使い、人も手足として使い、神の願いに向けて全てを動かしているのです。

誰が何を行ったとしてもそれは神の責任です。

神は地上に神の国を生み出すことでその責任を果たそうとしている。

ですから私は神の手足となって働こうとしているのです。

地上に神の国が生まれた時、これまでの全ての犠牲は全て成仏するのです。

宇宙丸ごと成仏です。

我々は神の一部であり、宇宙全体が一つになり神を形成する。

神しかいないのです。

我々は神の一部であり、全部が神です。

全体で神を形成する。

では我々は神ではないのかと言われたら神ではないとも言えない。

一部だからです。

イエスは自分を神の子と呼んだ。

表現としてはそれが一番正しいかも知れません。


日月神示
【磐戸の巻 11帖】
心にメグリ積むと動物の容れ物となるぞ、⦿(かみ)の容れ物、動物などに自由にされていて、それでマコトの⦿の臣民と申されるか、わからんと申してあまりであるぞ。
ゴモク吐き出せよ、そのままにしておくとだんだん大きくなりて、(始末にゆかんことになりて、)終(しま)いには灰にするより、手なくなるぞ、石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。
改心して綺麗に掃除出来たら、千里先にいても、日月の⦿と頼めばどんなことでもさしてやるぞ、この⦿は、世界中何処へでも届く鼻持っているのざぞ、この世造りたこの⦿ぞ、この世にわからんこと一つもないのざぞ、⦿の御用さえ務めて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、⦿には依怙ないぞ。


【夜明けの巻 1帖】
今までは悪の世でありたから、己殺して他人助けることを、この上ない天の一番の教えといたしていたが、それは悪の天の教えであるぞ。
己を活かし、他人も活かすのが天の道ざぞ、⦿の御心ぞ。
他人殺して己助かるも悪ぞ、己殺して他人助けるのも悪ぞ、神無きものにして人民生きるのも悪ぞ。
⦿ばかり大切にして人民放っておくのも悪ぞ。
神人共にと申してあろが。
⦿は人に依り⦿となり、人は⦿によって人となるのざぞ。
まことの神の御心(おんこころ)わかりたか。
今までの教え間違っていること、だんだんわかりて来るであろうがな。


【春の巻 24帖】
自分捨てて他力なし。
人民なくてこの世の仕事出来ん。
人民は道具ぢゃ。
神は心ぢゃ。
元ぢゃ、元だけではならん。
道具だけではならん。
大神は一切を幸し、一切を救い給うのであるぞ。
一切が神であり一切が喜びであるぞ。
その人民にメグリなくしてもメグリ負うことあるぞ。
人類のメグリは人類の誰かが負わねばならん。
一家のメグリは一家の誰かが負わねばならん。
果たさねばならん。
善人が苦しむ一つの原因であるぞ。
神の大きな恵みであり試練であるぞ。
わかりたか。
愛するものほど、その度が濃いほど、魂が入っているのぢゃ。
先祖が大切にしていたものは大切にせねばならんぞ。


【春の巻 34帖】
自分は自分の意志で生まれたのではないのぢゃ。
その時、その環境を無視出来ん。
その法則に従わねばならん。
草を拝めば草が神となり、機械拝めば機械が神ぢゃ。
食物拝めば食物が神となる。
心せよ。
神は人民を根本から永遠の意味でよくしようと、マコトの喜び与えようとしているのぢゃ。
局部的、瞬間的に見てわからんこと多いぞ。
おかげは、すぐにはないものと思え。
すぐのおかげは下級霊。
眉に唾せよ、考えよ。
現在の環境を甘受せよと申してあるが、甘受だけでは足らん。
それに感謝せよ。
積極的に感謝し、天地の恩に報じなければならん。
誠の真理を知らぬ人間に神はわからん。


【夏の巻 17帖】
神の姿はすべてものに現われているぞ。
道ばたの花の白きにも現われているぞ。
それを一度に、すべて見せて、呑(の)みこませてくれと申してもわかりはせんぞ。
わかるところから、気長に神求めよ。
すべては神から流れ出ているのであるから、神にお願いして実行しなければならん。
このわかり切った道理、おろそかにして御座るぞ。
そこに天狗出ているのぞ。


【秋の巻 12帖】
神について御座れよ。
理窟申さず、ついて御座れよ。
地獄ないと申してあろう。
人は神の喜びの子と申してあろう。
人の本性は神であるぞ。
神なればこそ天国へ自ずから行くのぢゃ
住むのぢゃ。


【扶桑之巻 11帖】
人民と申すものは天狗ざから、自分はよいのだが、世の中悪いのざと申しているなれど、世の中と申すものは大神の働きの現われであるから、大神の中での動きであるから、世の中が悪いと思うのは、大神が悪いと思うことになるのぢゃぞ。
其処に底知れぬほどの魔の仕組みがあるぞ、気つけおくぞ。