『~だろう』をやめるには油断なく寛ぐこと
今、皆さん方は生きることが出来ています。
では明日はどうでしょうか?
「今日まで何もなかったから、明日も大丈夫だろう」と思っているかもしれません。
ですが明日が無事であるという根拠はどこにもありません。
明日、確実に生きているという揺るぎない証拠などあるでしょうか?
一寸先は闇です。
誰も1秒先のことすらわからないのです。
なのに何の根拠もなく『~だろう』で生きているのが人間です。
大丈夫だろう、いけるだろう、何も起こらないだろう。
『~だろう』は過去の産物に過ぎません。
『~だろう』で生きることは過去として生きることです。
ですが現実にあるのは今だけです。
全ての人々は、喜びある人生を生きたいと願っています。
今ある現実にしか喜びはないのに現実を無視して、一体いつ喜びを感じられるというのでしょうか?
過去を教訓にして今に活かすことは大切です。
ですが過去に執着し、今を捨てることは大きな損失にしかなりません。
今を生きている者に『~だろう』はありません。
一寸先は闇だから『~だろう』で油断してはいけません。
しかし、常に怯えて神経質になれと言うわけでもありません。
『~だろう』に気づいて『~だろう』を止めていくことです。
あるグル(導師)は猫を参考にしなさいと言います。
猫は普段、リラックスして寛いでいますが、何か起こると素早く身構えます。
またスポーツ選手は本番で実力を発揮するためにリラックス出来るよう努めると言われます。
つまり『~だろう』を止めるためには『油断なく寛いでいなさい』ということです。
以下は師匠の『~だろう』について教えてくれた時のお話です。
【師匠の教え】
人はミスを犯すものです。
そのミスを産む大きな原因は人の気づきのない鈍感さです。
どうして気づきがなくなるのかと言うと私に限って大丈夫だと言う過信です。
私に限って大丈夫となるとそれに対し、気づきが向けられなくなるんです。
例えば車の運転手が、止まっている車の陰から飛び出す物はないと思っていたら車の陰に気づきは向けられず鈍感になるんです。
車は『~だろう』運転すると注意は散漫になる。
人は自分を『~だろう』運転しているんです。
そう言う間違いに注意を向けることを反省と言います。
反省とは『~だろう』を辞めて油断なく意識し、見極めて行くことです。
グルは油断なく気づいているものです。
今にありなさいと言いますが『~だろう』は油断であり、『~だろう』があるものがどうして油断なく気づいていることが可能だろうか?
人から『~だろう』がなくなると自然に油断が消えて、注意深くなり、今にあることしか出来なくなるんです。
もし穴だらけの道が落ち葉で隠れていたら、全意識は足の感覚に自然に向くだろう。
普通の道では気にしなくても大丈夫に見える視覚の情報が油断をさせるんです。
これが『~だろう』でしょう。
事故の直前、衝突を覚悟した瞬間に誰が今晩のおかずを気に出来るだろう。
『~だろう』と言う油断があるから意識は暇になって未来へ向かうんです。
今に気づきを向けることは油断をなくさねば不可能に近いんです。
今ここが宇宙の全く知らない惑星でもあると思うように『~だろう』をなくすと意識は今に向けられるんです。
油断が消えたら注意は勝手に今に向くんです。
反省とは『~だろう』をやめて省みて行くということ。
これは人の心が持つ驚きの浄化作用で、これがある為に人に迷いがあり、迷いがある為の人にしかない境地が存在するんです。
『自分は大丈夫だろう』をやめて意識して行くことを反省と言います。
省みるとも言います。