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こんな大人がいてくれたらよかったな

子供の頃は、「普通」という枠から
どうにもこうにもはみ出していた私。
本人はいたって「普通」だと思ってたけど。


お勉強はとりあえず人並みよりちょっとできたけど
皆ができることがなぜかできない。


小学校の低学年
図画工作の時間で
とにかく油粘土を触るのが嫌だった。


手がベトベトになるのが耐えられなくて
私は図画工作の時間は
絵を描いて過ごした。


なので私の油粘土はずっと
綺麗な立方体そのままだったし
なぜ粘土をしないのか?と
クラスメイトからの強いプレッシャーを
感じながらも粘土を触ることはなかった。


あとは、とにかく食パンと牛乳が嫌いすぎて
6年間の給食のほとんどを残したし
居残りさせられた。



興味がわかないことには
全く情熱が湧かないので
授業中もうろうろと
学校の中を探検したりしていたらしい(通知表に書かれていた💦)



どうしてみんなができることを
あんたはできないの!!!


しらんがな。としか言い返せない質問を
大人たちから幾度となくされ
何を言っても理解されなかったのもあり
自分の思うことをうまく言語化できなかった幼さも手伝って
私は自分が思うことや感じたこと
こうしたいとか、そういうのをすっかり閉じてしまった。


現代の社会は
こう言った性質を持つ人たちに
理解を示す機会がたくさんあるけど
家庭という小さな団体になると、なかなかそうもいかないらしい。


うちの母さんが言ってたけれど
「うちの子に限って」
「私の育て方が間違ってる?」
「私が悪いのかしら?」
とそんな罪悪感を持っている母親は
どうやらこういう個性は
認めにくいらしい。


今考えると
絶対に他の子とは全く違う
個性を持っていることが明確なのに
当時はそれを受け入れることができなかった
と言っていた。


まぁそれはいいとして


私は大人になってから
実にたくさんの「変」な人に出会った。


その中でも夫はすごく変わっていて
私はその「変」に触れて
地中深く埋めていた自分の個性を
少しづつ掘り返し取り戻していった。


我が家には子供がいないのだけど
時たま接触する子供達と話していると
その子供たちがいつの間にか
目をキラキラさせている。


お母さんがダメだと言ったから
お父さんに怒られる


そんな言葉で
本当の自分の気持ちを
押し殺している子供達を見ると
少しおせっかいしたくなって
こんなことを言う。


なぜダメなのか?
そして大人側からみえてること
子供から感じてることなどを
言語化してあげるのだ。


どちらの気持ちもわかる。


こう言う変な大人が
子供の頃にいたら
きっと心を閉ざすことなく
自分から湧いてくる
創造性や個性を大切に大人になることが
できるんじゃないかな?
と思ったりした。


未来のためにできること。


子供たちが自分の能力を最大限に発揮して
さらに社会性や公共性も身につけて
他者を尊重し、自分を尊重し
思いやりのある社会をつくる個性を磨けるように


私も夫もこの先も変な大人でいようと思う。


#未来のためにできること

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