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人から拒絶されることのメリット
こちらは
これと
これの
3部作最終話。
なぜ私は人から拒絶されることを
選択したのか??
好かれることではなく
人気者になることではなく
なぜ嫌われることを選んだのだろうか?
ふっと思い出したことがある。
私が本格的に嫌われ出したのは
小学校高学年からで
それまで人気者だった。
私は子供の頃から
いろんな人に可愛がられた。
幼稚園の時もそうだけど
小学校に入ってからも
知らない上級生がいつも教室に来て
私を運動場に連れ出して
一緒にゴム飛びとか
いろんな遊びに混ぜてきた。
ある時、私をおんぶしていた上級生のお姉ちゃんが
つまづいた拍子に私ごと転んだことがあった。
私はバランスを崩して
後頭部を地面に打ちつけて
たいそう痛かったが、泣かなかった。
たぶんここで騒いだら
このお姉ちゃんが困るだろうな
そう瞬時に察知して
後頭部がジンジンしながらも
「大丈夫〜」と上級生を気遣った。
はないちもんめをしても
(二手に分かれて相手を選びジャンケンで
勝敗を決めたのち最後の一人になるまで
延々と続く地味に傷つくゲーム)
真っ先に選ばれたし
学校が終わってから誰と遊ぶかで
私を取り合っていたりした。
そんな私を疎ましく思った子もいて
ちゃんといじめられたりしたが
私はあまり気にしてなかった。
ファミコンがしたいのに
なぜか同級生が家に遊びにきたり
本が読みたいのに
休み時間に運動場に駆り出されたりした。
そこで楽しそうにしてないと
なぜか怒られ
相手の期待に応えないと
相手が怒ってしまうんだと学んだりした。
だんだんこの辺りから
好かれるとめんどくさいなと
人が煩わしくなってき出したのだけど
あることを思い出した。
少しだけ知っていた中学生のお兄ちゃんに
確か小学校3年生の時に
かくれんぼしようと提案されて
一緒に隠れていたら後ろから抱きつかれたことがあった。
あまりの怖さに
反応ができなかったが
その後も何度かそういうことが続いた。
多分私のことが可愛くて仕方がなかったんだな
と子供心に思ったけど
嬉しいより怖いが襲ってきた。
誰にも言わないでと言われたのと
なんとなく言わない方がいい気がしたので
私は誰にもそのことを言わなかった。
そしたら今の今まで忘れてしまっていた。
その後も、好かれるとあまりいいことが起きなくて
しつこく付き纏われたり
喧嘩の元になったり
あいつがお前のこと好きなんだって〜とか
からかわれてウザかったり
好きなのに!と押し付けられて
自由を奪われたりと
好かれるってめんどくさいと
子供の私はどこかで思い込んでしまったのかもしれない。
でもその思い込みが強烈すぎて
今度は人から拒絶されるに
振り切ってしまったようで
今に至る。
好かれるとめんどくさいことが起きる
が基本ベースにあったため
思春期の時に自分が片思いしている相手が
自分に気持ちがあると知った時点で
急激に冷めてしまっていたのも
今なら理屈がわかる。
好かれそうになると
「嫌われること」をして人と距離を取り始め
好かれるかも?
と思うと「嫌な自分を演じて」相手に拒絶してもらう
ってことをしていたんだと思う。
書いていてほんとに
自分はめんどくさいなと思う。
無意識だけど。
それから
母が特に愛情表現が豊かな人だったので
朝起きたら抱っこをするとか
抱きつくとか
ベタベタしてくるとか
膝に乗せるとか
そういうのも子供ながらにすごくめんどくさかった。
好かれるととにかくめんどくさい。
愛されるとめんどくさい。
そうだ、私は
好かれるとめんどくさいことが起きる
と思っていたから
人から拒絶される
人から相手にされない
自分の話は聞いてもらえない
という現実を引き寄せていたのだ。
能動的に嫌われることを
選んでいるうちは良かったが
そのうち望んでない求めてない結果も
嫌われることでの恐怖体験、失敗体験も
同時多発することとなった。
それがトラウマとなって
好かれても終わり
嫌われても終わりと
人間関係が八方塞がりになったのだろう。
拒絶されることで
人から相手にされないことで
私はいろんないいことも身についた。
そんな中でもちゃんと
私に興味を持ってくれる人もいたりして
そんな貴重な人だから
私は目の前の人を大切にするということを
学んだりしたのだと思う。
こんな感じで、人から嫌われた方がいい
はある時期までは健全に作用してたけど
それが通用しなくなってきたから
必死で「嫌われること」を手放すために
散々取り組んできた。
そのおかげで嫌われることはなくなったが
好かれることに許可をしてなかったために
今回のような潜在意識大暴れの巻につながる。
私が取り組むべきことは
人から健全に好かれてもいい
だし
好かれるとすごくいいことが起きる
だし
めんどくさい人から好かれても適切に対応ができる
だし
私は人からサポートされていい
私は人から助けてもらっていい
私は人から好意を受けていい
私はもっと人と関わってもいい
そしてそれは安全で安心である
ということ。
夫は私の欲しい距離感で接してくれる
自分の価値観を
絶対に押し付けてきたりしない。
嫌だということもしない。
私の欲しい愛情の形を持っている人だったから
一緒にいれるのだと思う。
人からむやみやたらに好かれないために
好かれてめんどくさいことが起きないために
好かれて怖い思いをしないために
人を選ぶためにまずは拒絶してもらい
相手が安全かどうかを確かめることができるように
少数精鋭が私の人生に送り込まれていたのだろう。
うわー
ここにきて、こんな思い込みが出てくるとは・・・
そう、私はもっと人に好かれていい。
そうだった。
私は根暗で陰キャだけど
人気者だったんだった。
忘れてたわ。