「マトリックス レザレクションズ」 と プラトンと
ネタバレしてないつもりで書いたけど、ひょっとしたらネタバレになっちゃってるかもしれないので、まだ観てない方は読まないでください。
もし哲学者プラトンが「マトリックス レザレクションズ」を観てしまったら・・・
きっと、こんなことを考え、こんなことを思うだろうな、というお話。
プラトンは「イデア論」という見解の中で、こんなことを言っています。
「人間は完全な事柄を無意識のうちに知っている。そして、その無意識の領域にこそ、真実や善がある。」と。
だから、人間というのは、誰に教わることなく、これは真実で、これは真実ではないというのを本能的に感じ取っているということ。
それを念頭に置きつつ、読み進めてもらえると嬉しいです。
映画「マトリックス」
人は、誰しもネオ(「マトリックス」の主人公)のように、「この世界は何か間違ってる」「この世界は本物じゃない」「真実を知りたい」という強い思いを持っていても不思議じゃない。
なぜなら、人は潜在的に何が真実で、何がそうでないかを知っているから。
だから、さまざまなところで、違和感や疑問が生まれる。
この考え方って、誰かに植え付けられているだけなんじゃないか? 本物じゃないよね?
この常識って、誰が考えたの? 何のために? 誰を支配するために?
この情報って、本当なの? 誰を洗脳するためのものなの?
と、様々な物事を疑ったり、違和感を持つのは当たり前のこと。
一見、都市伝説的な疑問だけど、実はそれも人間ならではの発想。なぜなら人は完全なものをすでに知っているから。
なかには、Mr. Smith みたいに、その洗脳を解かせないために、疑問すら湧かせないために生まれてくる人種もいるので、かなり上手に邪魔をされているのだけど。
だって都市伝説的なことを言ってる人たちの中にも、Mr. Smith は存在しているのだから。
「マトリックスの世界観」
「マトリックス」の世界では、
物事を疑って真実を追求する側 vs. 洗脳する側
物事を疑って真実を追求する側が正義。そして、洗脳する側が悪。という図式。
その正義というカテゴリーの中にも完全なもの(本物の正義)と、そうでないものがあって、本物の正義というのは完全なる自由ということ。
そう、本当の自由というのは何なのかを、もうみんな気づいていて、私たちはその本当の自由がないということにすら薄々気づいている。
ネオたちも。
ネオたちの世界はシンプルで、目覚めた人たちが、それを勝ち取るために戦っているわけだけど、私たちの世界はどうだろうか。
きっと誰も戦ってない・・・ように見える。
提唱はしてて、こんなに自由だよ、いいでしょうとは言ってるけど、誰も世界を変えよう、みんなを目覚めさせようと戦う人はいない。みんなのために戦ってくれるのは、アメコミのヒーローくらいかも。
で、ここで思うのは、マトリックスもプラトンも、
この世の中の真実ってなに?
そろそろ、その真実に気づいて、目を覚ましなよ
って言ってる気がするってこと。
そしてそれは、プラトンの「洞窟の比喩」という概念を思い出させる。
「洞窟の比喩」とは
「洞窟の比喩」でプラトンが言いたいことというのは、
この世の中は、真実ではないものを、そのまま鵜呑みにし過ぎてて、疑問にすら思ってない。本当にそれでいいの?ってこと。
ほぼ大半の人間が洞窟の中の人間=本物を見ないで、これが◯◯ですよ、と先生や権威者に言われたら、そのまま疑問も持たずに鵜呑みにする人種。
少数だけど、これはおかしいんじゃないか、これは本当はこうなんじゃないかと訴えるのが、作家や作曲家、芸術家などのアーティスト。
そして、こっちが本物なんですよ。それを見に行きましょう。見せてあげましょう。と、その洞窟から連れ出して本物を見せてくれるのが哲学者。
だから、マトリックスって、ネオという人物が、初めは人間、そして、教育者、そして、アーティスト、そして、最終的に哲学者になっていく過程を表しているのかもしれない。
特に、レザレクションズでは、その人間から哲学者への道を一気にすっ飛ばすということをしてると思う。今までのおさらいみたいな感じかな。そして、その一連の過程をみることで、今一度、この世界から脱出してみれば?って言われてる気がしないでもない。
今一度、おさらい
この世界は、4種類の種族から成り立っている。
まず、人間・・・
権威者にこれはこれ、これが事実、これが真実、これは◯◯です。
と言われると、全て「はい、そうですか」と言って疑うこともなくインプットするという種族。
そして、人間に、「これはこうですよ」と教えるのが、先生という種族。
いや、違うんじゃない? 本当はこうじゃない? こういうのだっていいんじゃない?と提唱し表現するのが、アーティストという種族。
そして最終的に人間をその世界から連れ出して、本物を見せるのが哲学者という種族。
この「人間」「先生」「アーティスト」「哲学者」という種族のカテゴリーは、何もその職種だからってそうですよと言っているのではなく、便宜上、プラトンが使用した言葉。
人間の中にも、先生の中にも、アーティストの中にも、哲学者の中にも、Mr. Smith という役割の人たちがいて、哲学者っぽく語っていたとしても、実はまた深い眠りに誘うという使命の人たちもいるのが現実。何せ悟りと言われてる世界の中にも、Mr. Smith がいるんだから、とっても厄介だ。
まさに「マトリックス」の Mr. Smith だよね。どんな種族にもなれる。
だから、便宜上のカテゴリー名である、人間、先生、アーティスト、哲学者という言葉には惑わされないでください。
どんなにいいことを言っていたとしても、どんなにいい人に見えたとしても、Mr. Smith は案外近くにいるものなのです。
ということで、じゃあ、マトリックスという映画の中で、または、この現実世界で誰がどのカテゴリーに当てはまるのか?だよ。
ま、人間は言わずもがなで、マトリックスの中で、それが誰かに創られた世界であるということも疑わず生きている人たち。
先生は、これもまた、そのマトリックスの中で順応できる人を育てるために活躍している人たち。これは、レザレクションズの中では、精神科医が当てはまるかな。
Mr. Smith は、そういった人たちを監視し、枠からはみ出ないよう、より洗脳されるよう誘導したり、そういう人たちを社会から排除する役目。
そして、ちょっと毛色が変わってくるのが、アーティストと哲学者。
アーティストは、自分で感じたこと、自分で考えたことを、自分の言葉で発信する人たち。そして、それを真似して、俺も俺もと発信するのは、まだ人間なので要注意を。
誰を信じ、誰についていくのかは、ちゃんと選ばないといけないってこと。
レザレクションズには出てきてないなぁ。第一話だと、ネオ本人だったと思うんだけど。
そして、哲学者。
実際に洞窟の外を見たことがあって、本物や真実を知っている人。しかもそれだけでなく、救い出せる能力(映画では例の赤い薬)を持っている人。これは、モーフィアスとか、トリニティたち。そして、覚醒後のネオ。
これをこの今の世界で考えてみると、
人間と先生とMr. Smith はわんさかいるってのは分かる。
あとは、マトリックスのウォシャウスキー姉妹監督とか、ジェームズキャメロン監督、ビートルズとかは、あ!日本人だったら手塚治虫とかもアーティストなんだろうなぁ。この世の中の仕組みを知ってるからこそ、描けるもの、発信できるものがあるのだから。
そして、彼らの作品が注目を浴びるのは、プラトンも言っている通り、全ての人間には本能的に本物かどうかを見極める力があるから。
そして最大の疑問は、実際に救い出せる能力を持ってる人は、未だ出てきていないのか、それともモーフィアスたちみたいに潜伏しているのかってこと。
ま、きっと Mr. Smith が面倒だから、どこかに潜伏してるんだろうな。いつか会ってみたい。
そうしたら、私はどちらの薬を飲むのだろうか。赤か、青か・・・