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オンラインのおっちゃん

身内には見当がついてしまうかもしれないが、私にはとてもファンキーな親戚のおっちゃんがいる。いや、ファンキーという表現は少し違うか。とにかく少し珍しい人だと思う。


歳は80ぐらい、パンチパーマに口髭、昼間は白い股引き・腹巻に下駄を履き、夜は上にドテラを羽織る。酒のせいで枯れた大声と、大ぶりなジェスチャーで話すおっちゃんの手には、でかい金の指輪が光り、葉巻が挟まれている。そしてたしかどこかの指が短い。正装する日は着流しと茶色いサングラスが決まりで、腕をよく着流しの中に入れている。
ここまで読むと「ああそっち側の人か」と思うかもしれないが、おっちゃんの指が短いのは仕事の事故が原因で、身なりはおそらくただの趣味、お酒が好きなのは昔からだ。ついでにいうと超男前でスタイルが良いので、無駄に決まってしまうのだと思う。おっちゃんは普通の漁師である。

小さい頃から見ていた吉本新喜劇で、いわゆるそっち系の悪役が出てきても何も怖くなかったのは、おっちゃんの影響な気がする。おっちゃんの風貌が世間的な「悪い・怖い」につながると知ったのは、ある程度大きくなってからだ。


私は3年前に東京に出てきた。
おっちゃんは父親の故郷の親戚なので、遠くの島にいる。このご時世、なかなか実家にも帰れず、ましてや田舎のお年寄りと会うなんてことは難しい。私には兄が2人いるが、皆それぞれの土地にいるため現在家族は離れ離れである。(といっても全員30代の既婚者なので普通の状況か)

さすがに誰も帰省できず会えない期間が1年続いたので、両親が「みんなでオンラインで話そう」と持ちかけてきた。良い時代だ。オンラインは良い。面倒くさいことがおおよそ削がれる。
大人になると親も兄弟も1人の人間だと知り、ただ会うだけでも色んな気持ちや段取りが必要だと実感するので、オンラインは本当にありがたい。たとえ家族でも同じだ。人が集まると良くも悪くも色々ある。


「せっかくなのでおっちゃんも出てもらおう」という父の提案で、オンライン通話におっちゃんが登場することになった。というのも、私たち兄妹は昔からおっちゃんの生き様を超クールだと思っているので、両親の粋な計らいだった。私たちはとても喜んだ。
画面に映るおっちゃんは相変わらず無茶苦茶でとても良かった。独特な島の方言は耳馴染みがなく、かつ声がガラガラなのでほぼ内容は分からないのだが、なぜかとにかく面白い。兄妹の配偶者もさすが各々が選んだ人だけあって、おっちゃんのことを良く捉えてくれている。この日もとても面白かった。


ただ、なんだか冷静な気持ちになったのは「嫁のご飯は美味しいか?」と「早く子どもを作れ」という言葉が出てきた時だった。私を含め3人の妻はフルタイムで自分の好きな仕事をしているし、兄を含め3人の夫はそれを良しとして日々を送っている。6人の自立した人間だ。男女がベースではない(と私は思っている)。料理も出来る方がやればいいし、なんなら作らなくてもいい。買えばいい。子どもを持つかどうかも自由だ。おそらく6人ともが今の時代らしい考え方をしていると思う。
しかし、親や親戚の気持ちはとても分かるし、意見を否定はしない。ただ、なんだろう。状況や時代が違うだけで考え方はすごく変わるのだなあと思ってしまった。あの憧れのおっちゃんにそう言われた時、もちろん否定はしないけれど肯定もしたくない、私たちは私たちなりに暮らしている、時代は変わっている…とブワッと身体に違和感が流れた。でもきっと言っても伝わらない。分かり合えないのが分かる。その瞬間、なんだかとても悲しかった。おっちゃんも悪くないし私たちも悪くない。じゃあなんだろうなあこの違和感は。どうしたら良いんだろうなあ。


実際、地元では私の年齢で子どもを持たずに仕事や趣味に時間を使う女性は少ないと思う。でもそれはそれ。その人が選んだ状況だ。
この先、例えば両親や兄たちにも、伝わらないと諦める瞬間があるのだろうか。友人や夫にもそう思ってしまう瞬間があるのだろうか。

けど私は、もちろん今もおっちゃんが大好きである。


この話には特にオチも教訓もないけれど、書いておきたいなと思ったので記録。

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