弱者の兵法
前回、ロッテオリオンズについて語りました。
もしロッテとヤクルトがどちらもリーグ優勝をしたら、日本シリーズは7試合全部見に行こうかなと思っていましたがロッテのほうは日本一になったところで熱がさめてしまいました(すみません)
しかし、ヤクルトのほうは違いました。野村克也監督が就任してから優勝争いをするチームに変わるのですが、そこで勝つためにとっていた考え方に「へぇー」と思ったのです。
「弱者」がまとまって変貌
野村さんが言っていたのが、
弱者の兵法
あるいは
弱者の流儀
力のある選手は巨人や阪神に行ってしまう。そうでない選手が集まりがちなヤクルトは決して「強者の集団」ではないが、それでもチームになれば勝てるかもしれない。
それを実現したチームだったように思います。
外国人4番打者のジンクスを破る
あまりにも有名ですが、「野村再生工場」という異名がついたほど、他球団でレギュラーになれなくなった選手を連れてきては活躍させるという場面に「夢」を感じましたが、一方ではその選手はあまり長く活躍していない印象もありました。
他球団から移籍してきた選手の中で、私にとっていちばんのインパクトだったのは、オマリー選手でした。阪神から移籍してきたオマリー選手は、阪神時代以上にホームランを打ちまくりリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは、当時、「外国人の4番バッターがいるチームは優勝しない」(←野村監督自身が言っていた記憶あり)というジンクスを打ち破り日本一にもなりました。
オマリー選手は下降線をたどってヤクルトを去ったわけではない(確か契約関係だったかチームの方針だったか)し、阪神で下降線だった選手というわけでもないので、「再生工場」という範疇には入らないかもしれません。
常識をくつがえした3番打者
強くなったのにファンを続けられた理由のひとつが、
「3番土橋」
でした。
クリーンアップ(3番から5番)は長距離砲を打てる選手が担うもの、と思っていました。西武の黄金期といえば、秋山・清原・デストラーデ。阪神はバース・掛布・岡田。超強力です。
ヤクルトには池山や広沢、古田がいましたので、これでクリーンアップは固定できたはずなのですが、ある時から線の細い小柄で、メガネをかけた土橋選手が3番に定着しました。
野球には「つなぎ役」という役割があります。それは本来、1番や2番がやるもの、と思われていたのですが、ヤクルトは3番バッターもつなぎ役にしたのです。
「体格に恵まれなくても中軸を打てるんだ」という夢を感じました。
速球派ではないクローザー
もうひとつが
「最後が高津」
です。
当時のクローザーは豪速球タイプが大多数でした。津田、郭源治、アニマル、佐々木、与田等々。。。変速タイプのクローザーは巨人の角と西武の鹿取ぐらいしか浮かびません。両者ともサイドスローですが、鹿取はえげつないシュート回転のストレートがありましたし、角も左のサイドハンドから投げるストレートはかなり脅威だったはずです。
が、高津投手はアンダースロー。速球が速いか、というとこれはなんとも言えません。
当時のアンダースローは、山田久志さんやロッテにいた仁科さん、西武の松沼さんなど、先発型しかいなかったように思います。
アンダースローを抑えに起用する、というのはおそらく奇策だったのではないでしょうか。高津投手は線も細い。それが相手をバッタバッタとなぎ倒していくのです。
共通点
共通しているのは、それまでの枠を変えた策略だと思います。「(日本一になるなら)4番は日本人」「3番は長距離砲タイプ」「抑え投手は速球派」といった、それまで「何となく」そう思われていたことに着目したことです。
こういう「なんとなく続いていること」、現代の社会生活でもあるのではないでしょうか。そこを変えられれば、私たちの生活も変わっていくのではないか。野村監督のやり方からそんなことを考えさせられました。
そのためには、社会の「なんとなく」に気づけるかどうか。日々の生活や仕事で「気づき」を発見できるか、から始めなければいけません。
余談
それ以来ずっと、「どう見ても弱い選手」がどうやったら隙を見つけて勝てるのかばかり見てしまいます。
ボクシングも好きなのですが、井上尚弥選手が戦う試合では、つい、相手に若干肩入れしてしまいます。
「あー、あそこで右のガードが甘くなっているから左のフックを食らっちゃったんだよ。もう少しガードを内側に入れなきゃ」とつぶやき、横でわが子から、
「お父さんどっちを応援してるの」
と突っ込まれました。
もちろん、私、井上選手を応援しています。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。