自然につながる習慣
フォロワーの「なないろ」さんが、
「大変な事態になると「自然」と繋がる余裕もなくなる」
と書かれています。
本当にそのとおりだと思います。いろんなことが起こりすぎると、無機質な空間にいても何とも思わなくなって行きます。
ただ、体内シグナルが発動します。
「オイ! そろそろ、日常とは違うところへ出かけたほうがいいんじゃないかい?」と。
そこで私が主に行くのは、海釣りです。
釣りの主目的は、「魚を釣る事」ですが、魚を釣るために海等へ出向く事は、「自然に触れる」事になります。
もうひとつ、習慣にしている事があります。
母親が亡くなってから毎月1回、墓まいりを続けています。
亡くなった当初は都立霊園に墓地の場所がなく、2年近く「御霊堂(みたまどう)」という所におさめられていました。
まずは御霊堂の外で手を合わせ、それから中に入ります。
360度、御霊に囲まれた中、遺骨のある方向に手を合わせ続けました。
そこは360度、御霊に囲まれた場所。
人は(生き物は)自然にかえります。だからその御霊堂もある意味「自然」だったと言えるのかもしれません(建物は人工建造物ですが)。「月1回」が何の負担とも思わなかったのです。
やがて墓地に移設されても「月1回」は継続。
もう10年を過ぎました。
せっかく続けているので墓参時は同じ道をスマホで定点撮影することにしました。
最初の写真(2021年1月撮)
最近の写真(今年9月)
何にも変化がない…違うのは空だけ?
1年の大半は葉っぱ、あるいは枝しか撮れませんが、たまに桜の咲いている状態を撮影できる事もあります。
しかし、今年はこの景色を撮影出来ませんでした。桜の開花時期に墓参しなかったからです。
桜の開花時期は、今年は特に短かった。
そういう年も、あります。
桜が咲いていなくても、枝だけの状態でも、地面が枯れ葉だらけであっても、それも「自然」の姿。